その名を呼ばない
※『未だ、名も無い』続編
※主人公は有知識トリップ主でボルサリーノ大将が救出→移民
※ボル誕遅刻
誕生日を知ったのは、偶然だった。
『語呂合わせじゃないんだな』なんて、そんなことを少しだけ思ったのは、『この世界』の主人公以外は大体そういうふうに誕生日が決められていったことを知っているからだ。
勤労感謝の日が誕生日だなんて、まるでものすごく働き者みたいだな、とも思ったが、あの人が働き者じゃなかったら俺はこうして生きていないのかもしれないから、それで正しいような気もする。
それから、悩みながらも贈り物を用意した。
ただの『知り合い』だけど、保護した立場だったからか、気に掛けて親しくしてくれている相手だ。そういうものを用意したって、多分『不自然』じゃないだろう。
当日に渡しに行きたいくらいだったけど、ただの移民で民間人である俺が直接会いに行っても会えるとは思えないし、そんなことをしたらこちらの『特別』な何かが透けて見えそうで怖かった。
だから、店に来てくれた時に渡せたら、いいかな、なんて。
そうは思ったものの、相手が姿を見せない場合は、どうしたものだろう。
「……はあ」
ここしばらく、多くなったため息を漏らしつつ、俺は箒を握りなおした。
秋が通り過ぎ、そろそろ本格的に冬となってきたこの時期、枯れ葉を躍らせるように吹き抜ける風は冷たい。
吸い込んだそれが口の中に刺さるようで慌てて口を閉じて、せっせと手を動かす。
落ち葉の季節を過ぎてきたから、だいぶ清掃も楽になってきた。
あとは寒くなければ一番だけど、四季があるならどうにもならない。
そういえばまだ話を聞いたことは無いが、この『異世界』にもクリスマス商戦はあるんだろうか。
メニューも新しくなるんなら、楽しみだ。
集めたごみを片付けて、掃除道具を仕舞いに行ったところで店長からメモを渡される。
今日のメニューが書かれたそれを受け取って、いつものように表の小さな黒板にメニューを書きに行った。
今日のAランチは魚メインで、Bランチはハンバーグだ。
「…………あ」
『あの人』はどっちが好きかな、なんて考えながらメニューを記したところで、そんなことを考えたって仕方がないことを思い出して、手元でばきりとチョークが割れた。
慌てて粉を手で払って、文字に問題がないことを確認する。
黒くて冷たい黒板の上のいびつな文字は問題なくメニューを表示していて、そのことに安心してから、手元へと視線を動かした。
もうそろそろ、四か月だ。
それまでちょくちょくと顔を出してくれていた海軍大将は、四か月ほど前からめっきりと姿を見せなくなった。
店長や他の従業員からも『最近来ないな』と言われているから、俺だけが勝手に感じているものじゃないはずだ。
怪我をしただとか、そんな理由なら噂が聞こえてくるくらいの有名人だから、そういったことでもないだろう。大体、光人間が怪我をするとも思えない。
かといって、『最近来てくれないから』と会いに行くのは、なんだか少し変じゃないだろうか。
別に、店へ顔を出すのはあの人の義務じゃない。
店長の料理は相変わらず美味しいのに、とも思うが、他で贔屓にする店が出来たのだとしても不思議じゃない。
「…………」
考えてもしようのないことに、ふるりと首を横に振る。
音もなく吹き抜けた風が首や耳をこすっていって、その冷たさに肩を竦めた。
それから、俺の名前を呼ぶ声がしたので、すぐに立ち上がって店内へと引き返した。
あと三十分で、いつも通りの開店時間だ。
※
「お疲れ様でした。それじゃあ、お先に」
就業時間が終わり、仕込みで残る店長より先に店を出た俺が家へ帰る時、大体あたりは真っ暗だ。
もちろん街灯があるから何も見えないなんてことはないが、静かな夜道はしんしんと冷え込んでいる。
「そろそろ雪かな」
むしろ、この島に雪は降るんだろうか。
出来るだけ厚着はしたものの、秋服では寒くて体に力が入る。
この島へやってきてまだ一年にもならず、冬服なんて一着も持っていないが、そろそろ買い込んだ方がいいのかもしれない。
次の休みはいつだったっけ、とスケジュールに思いを馳せながら足を動かした俺は、ふいにぴかりと輝いた街灯に、わ、と短く声を漏らした。
強烈すぎる光に思わず目を閉じて、顔をそちらから背ける。
変な音や焦げる匂いはしないが、漏電でショートでもしたんだろうか。
少しだけ様子をうかがおうとしたが、先ほどの強烈な光が目の前に残像を残していて、くらりめまいがした。
ぎゅっと目を閉じ直し、とりあえず回復するまで壁際に行こう、と先ほど光った街灯の方とは逆に足を向ける。
そのままよろりと歩み寄ると、その途中でとん、と何かにぶつかった。
肩だけがぶつかっているそれは、壁ではなさそうだ。
「…………?」
「なァに目ェ瞑って歩いてんだァい?」
あぶねェよォ、なんて笑いを含んだ声が落ちてきて、恐る恐る目を開く。
強い光が残した残像の混じる視界にあった顔に、二度、三度と瞬きをした俺は、それから大きく目を見開いた。
「……ボルサリーノ、さん!?」
思わず大きな声が出てしまって、夜道にふさわしくないそれに慌てて片手で自分の口を押える。
俺のそれを見て笑った相手は、だれがどう見ても海軍大将『黄猿』だった。
俺を助けてくれて、この島まで連れて帰ってくれた海兵だ。
「元気そうだねェ〜」
ひさしぶり、と独特の間延びした声音を零した相手が、ぽん、と俺の肩を叩く。
それで俺は、自分がぶつかったのが目の前の相手の片手だということに気が付いた。壁まではまだ数歩ある。壁にぶつかると思って止めてくれたのかもしれない。
「さ、さっきのって」
「あァ、驚かせちまったかァい? 歩いてくのが面倒でねェ〜」
街灯が強烈な光を放ったことを思い出して言葉を零すと、笑ったままの相手がそんなことを言う。
いまだに俺の目に残像を散らすあの強烈な輝きは、どうやらこの人の放ったものだったらしかった。
光人間である海軍大将『黄猿』は、その能力で強烈な光を零せる。実際に目の前で見たことがあるし、今日みたいに目が眩んだこともあった。
なるほど、と声を漏らしてから、やっぱり残像の残る目を眇め、開くことに耐えられなくてぎゅっと閉じる。
「あの……街中では、危ないと思います」
ここでは俺しか歩いていなかったから良かったものの、例えば自転車にでも乗っている人がいたら、事故だって起きかねない。
本人だってそんなつもりはないだろうに、何かあれば責任問題に発展するかもしれないのだ。
俺の意見に、気を付けるよォ〜、と気にした様子でもない声を零した海軍大将が、俺の肩に触れていた手をするりと動かした。 頬を辿るように動いた掌に、意図が読めずにびくりと体が揺れる。
そのまま動いた手が下へと向かい、無遠慮に両脇へずぼりと手が入って、驚く間もなく体が宙に浮いた。
「うわ!?」
平均的な身長だったはずの俺の足が大地から離れてしまっているのは、俺の体を持ち上げている相手がどう考えても規格外の大きさだからだ。
慌てて目を開くと、さっきよりましになった視界の中でこちらを見下ろした海軍大将が、その眉間にしわを寄せた。
「ちょいと見ねェ間に、痩せちまったんじゃねェかァい?」
軽いよと言いながら体を上下に揺らされて、わ、ちょっと、と声を漏らす。
やめてくださいと訴えたらすぐにその手は止まったが、俺は相変わらず持ち上げられたままだ。
「痩せてないですよ、体重は計ってないですけど」
女じゃないんだから自分の体重を気にしたことなんてないと言葉を続けて、それから片手を相手の腕に添える。
「そっちこそ、どうしたんですか?」
ゆるゆると回復していく視界の中、改めて見上げた相手は、どことなく疲れた顔をしていた。
体からは海の匂いがする。港にでもいたんだろうか。
俺の言葉にぱちりと目を瞬かせた相手が、それから何故だかその口に笑みを浮かべる。
たまに見せられる面白がるようなものとは違う、柔らかな雰囲気のそれに、どきりと胸が高鳴った。
「お……降ろしてください」
厚着していてよかった、と自分の格好にほっとしつつ、両手で自分を掴まえている腕を叩く。薄着だったらきっと、この心臓の音だって相手の手に伝わったに違いない。
俺の言葉に『オォ〜、ごめんねェ〜』とまるで悪びれた様子もなく言葉を落として、海軍大将は俺の体を解放した。
両足でしっかりと大地を踏みしめて、少し崩れた服をきちんと直して、顔が熱くないのを確認してから、改めて相手を見上げる。
「もしかして、お仕事忙しいんですか」
「そうなんだよォ〜……よそで溜まってた仕事が一気に回ってきちまってねェ〜」
尋ねた俺に、やれやれと首を横に振った『ボルサリーノさん』が答える。
他にも問題が起きてしばらくずっと朝から晩まで本部に缶詰の毎日だったと続いたそれに、社畜の二文字がどうしてだか頭を過った。
それが店へ来なくなった四か月の内のどれくらいかは分からないが、そんなの疲れるに決まっているだろう。
来てくれないとか、そんなことを考えていた自分のわがままさを感じて、なんだか情けなくなった。
俺を助けてくれた働き者の海兵が、こんなにも疲れた顔をしているのに、俺はなんて馬鹿みたいなことばかり考えていたんだろう。
「お疲れ様です……」
何と言っていいのか分からず、ひとまずそう労った俺に、本当に疲れたよォ、と海軍大将がため息を漏らした。
今はきっと、もう帰るところだったんだろう。それともどこかに食事でもしに行くんだろうか。その途中で俺を見かけて声を掛けに来てくれたんだとすれば、それは素直に嬉しい気がする。
俺が店長だったら自分の店に招くところだけど、雇われ従業員がそんなイレギュラーな接客は出来ないし、仕込みを始めている店長にも悪い。
あまり外に食べにはいかないが、この時間でも開いてる美味しい店があったかな、と考えようとしたところで、ひゅるりと風が吹き抜けた。
冷たすぎるそれに、思わず息を短く吸い込んで体を震わせる。
やっぱり、夜風は特別冷たい。
どちらにしても、ここで二人で立っていては風邪をひいてしまいそうだ。
「オォ〜……寒いねェ〜」
俺と同じ感想を抱いたらしい『ボルサリーノさん』が、そんな言葉を口にする。
それからその手がぽんと俺の背中を叩いて、体の向きを変えさせた。
そのまま歩くようにと促されて歩き出すと、大きな海兵も俺のそばを歩き出す。
「え? あの?」
「送ってくから、さっさと歩きなさいねェ〜」
間延びした言葉を零しながら、長い足がゆっくりと動いた。
「あの、別に俺送ってもらわなくても」
「いいから送られときなよォ〜」
「は……はあ……」
どう考えても俺の歩みに合わせたそれに戸惑いながら、とりあえず足を動かす。
風は相変わらず不意打ちで吹き抜けて、服の端から熱を奪っていく。
そのたびに体を固くして震えていたら、ある程度歩いていたところで風が直撃しなくなった。
その代わりのように視界の端で白いコートが翻って、その事実に妙なくすぐったさが沸き上がる。
こんなの、絶対におかしいのに。大事にされているみたいに錯覚して、それを喜ぶ自分がいるという事実を認めてはいけないはずなのに、けれどもこそばゆさは消えてくれない。
「…………えーっと……あ! じゃあ、うちについたら、ちょっとあったまっていきませんか」
ごまかすように声を漏らして、それからふと思いついた提案を口にする。
俺の提案に、おや、と言いたげに少しだけ首を傾げた海軍大将が、その視線をこちらへ向けた。
「わっしが入っても大丈夫なのかァい?」
「大丈夫ですよ! なんか天井も高かったですし」
多分、もともとは大きい人用の部屋だったに違いない。
勝手がわからなくていじれていないところもあるが、ソファもないからと床のほとんどをラグが覆っているし、暖炉があるから少しは暖かく過ごしてくれるはずだ。
座ってくれたら肩だって揉めるし、何なら食事だって用意できる。
家にあるのは全部俺用の食器だが、彼が自分には小さいものでもそれなりに使えるらしいということはわかっている。
それに、うちには『あれ』があった。
何という偶然だろう。これを逃す手はない。
ちょっとでも休んで行ってください、と言葉を続けた俺に対して、少しだけ考え込むようにした後で、そうかァい、と『ボルサリーノさん』が声を漏らす。
「それじゃ、お言葉に甘えようかねェ〜」
「はい!」
放って寄越された了承に、元気よく返事をした。
一緒に家に帰って、思い描いた通りに客をもてなして、大事に置いてあったプレゼントボックスを相手へ差し出したのは、それからすぐのこと。
驚いた顔をした相手に『かなりすぎちゃったんですけど』とか『よくしてもらってるので』とか『助けてくれたお礼も含まれてます』とか『変なものじゃないです』とか、一生懸命言葉を重ねてしまったのは、どう考えても不審だった。
「……オォ〜……わっしへかァい……いくつになっても、祝ってもらえるのは嬉しいもんだねェ〜……」
「へ!? あ、いやあの、そういってもらえると、その」
だけども、俺なんかからの贈り物でそんなことを言って、いつになく嬉しそうににこにこと笑った誰かさんは、俺の挙動不審さには気付かなかったらしかった。
end
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