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未だ、名も無い (1/2)
※主人公は有知識トリップ主
※わずかに名無しオリキャラ注意



 転んだと思ったら訳の分からないところにいたなんて、一体誰が信じてくれるだろう。
 アスファルトだったはずの地面は木目の荒い板になっていて、床ごと揺れている。

「……船?」

 香る潮の匂いにそんな結論は出してみたものの、通勤路に船に迷い込む場所なんて無かったはずだ。
 意味が分からず困惑する俺の耳を、大きな爆発音が突き刺した。
 ぐわん、と頭が揺れるような衝撃に、立ち上がりかけた膝をつく。
 遠くからいろんな叫び声のようなものが聞こえて、驚いて周囲を見やった俺は、いろんな人間が近くにいたということにそこでようやく気が付いた。
 人と人が、もみ合うようにして争っている。
 それぞれの手には銃刀法違反になりそうな長物が握られていて、まるでドラマか何かの撮影みたいだった。
 片方はどう見ても制服で、もう片方はまるでならず者のような服装だ。どんな設定なのかは分からないが、カメラの人でもいないかと視線を巡らせた俺の上に、ふと影が落ちる。
 視界の端に入り込んだ太い脚に気付いて身を竦ませた俺は、恐る恐るそちらを見上げた。
 怒りに目を血走らせた巨漢が、俺を見下ろしている。
 何かを言っているが、先ほどの大きな音で少しおかしくなった耳には、うまく音として届かない。
 そのうち、答えない俺に焦れたように自分の武器らしい刃渡りの大きな模造刀を振り上げた巨漢が、やはり俺の耳には届かない何かを力いっぱいその口から放ちながら、その両手を振り下ろした。

「ひっ!」

 恐ろしさに思わず身構えた俺の視界を、ぴかりと強い光が突き刺す。
 網膜を焼くようなまばゆさに思わず身を丸めた俺は、どん、とすぐ横に衝撃があったのに気付いてこわごわとそちらへ視線を向けた。
 残像のちらつく視界に、板につきたてられた刀がうつる。
 それは先ほどあの巨漢が振り上げていた模造刀にそっくりで、しかし切っ先が板に滑り込んでいるその姿は、まるで『模造品』らしくなかった。
 『模造品』でないなら、なんだ。
 思い到ってしまったが理解したくない事実に、どくりと心臓が嫌な音を立てる。思わず身を引いた俺の頭を、がしり、と何かが掴んだ。
 その事実にびくりと身を震わせた俺は、顔を上向かせるようなその動きに抵抗もできずに顔をあげて、まだ眩さの残像が残っている目を必死になって瞬かせる。
 どうにか見上げた先には、俺を覗き込む大きな体の人がいた。
 先ほどの巨漢よりも大きな体はストライプの黄色いスーツに包まれていて、肩から下げた白いコートがはためいている。
 距離があってうまく見えないその顔を必死になって見つめていると、わずかに首を傾げた相手が屈み込んでくる。
 それに伴い、おかしな姿勢になっていた俺を座り直させたその人は、俺の頭を掴んでいた手を少しばかり滑らせて、その指で軽く俺の耳を叩いた。
 聞こえているのか、と尋ねるようなそれに首を横に振りながら、俺は目の前の相手を見つめる。
 なんだか、どこかで見たことのある顔だ。
 けれどもどこでだっただろう、思い出せない。
 しかし、とりあえず少なくとも、俺を助けてくれたのがこの人であることは確かだった。
 さっきの巨漢は間違いなく俺に害意のある人間だったし、たとえ『模造刀』であっても、ぶたれれば痛かっただろう。
 どうやって退けたのかは分からないが、先ほどの光は閃光弾か何かだったんだろうか。

「た……たすけて、くれて、ありがとうございます」

 自分の声すらおかしな風に聞こえる中で、ひとまず相手へ向けて礼を述べた。
 俺のそれを受けて、色の薄いサングラスの向こう側でわずかに目を瞬かせたその人が、俺の耳に触れていた手をするりと動かして、何かを確かめるように俺の腕や足を触る。
 どうしたのかとその様子に戸惑っていると、やがて一つ納得したように頷いたその人が、その口元にゆるりと微笑みを浮かべる。
 何か面白いものを見つけたかのような、見た目の年齢にそぐわず子供っぽさのにじむその笑みに、先ほど嫌な音を立てた心臓がまた大きく跳ねたのを感じた。

「……?」

 自分の反応の意味が分からず、困惑して眼を瞬かせた俺を気にした様子もなく、俺を見ていた大きな相手がその両手で俺の体を捕まえ直す。

「え?」

 戸惑う俺を気にせず、ひょいと立ち上がる相手の動きに合わせて、俺の体が宙に浮く。
 そうして俺はその時初めて、自分の目の前の相手が規格外の大きさだということに思い至った。
 平均的な身長であるはずの俺の足が、すでに板に届かない。
 恐ろしさに身を竦めて、思わずすがるように自分を掴んでいる腕に手を添えると、どことなくおかしそうに目の前の相手が笑った。
 何かをその口が紡いだが、やっぱり聞き取ることは出来なくて、耳鳴りに紛れるそれを聞きとろうと意識したところで、ぴかり、と先ほどの閃光と同じものが唐突に視界を焼く。

「っ!」

 悲鳴すら上げられず、自分の両手で目元を覆い隠した俺は、いつの間にか自分が『別の船』に運ばれたという事実に、視界が回復してからようやく気が付いた。
 医者らしい人に体を見られて処置をされて、少しずつ音の戻ってきたそこが『異世界』だという事実を認識したのは、それから一時間ほど後のこと。
 だって、体を光の粒子に変える『光人間』なんて、俺の常識の世界では『漫画』の中にしか存在しなかったのだから、納得するしかなかった。







 どうやら俺が『紛れ込んだ』のは、海軍に制圧されるところだった海賊船だったらしい。
 俺はそのまま海軍の軍艦によって連れて帰られ、いくらかの聴取をされたうえで『移民』として住民登録された。
 訳も分からない場所に放り出されてしまい、身分証すらも役に立たなかったから、とても助かった。
 どうやって帰ればいいかも分からないから、とりあえず少し調べものをしてはいるが、『異世界の住人』なんて俺以外にはいそうにもない。
 それでもどうにか仕事も見つけて、住まいも手に入れて、今は細々と海軍本部のある島の片隅で生活していけるようになっている。
 今のこの生活で一番の楽しみは、俺が働くようになった飲食店に、とある海兵がやってくることだ。

「あ、大将さん」

 カラン、とドアベルが鳴って視線を向けた先にいた相手に、いらっしゃいませ、と言葉を投げた。
 俺のそれを受け止めて、いつもの黄色いスーツを着込んだ相手が、いつもの席へと向かいながらこちらに微笑む。
 輝いてもいないのに強烈な笑顔を受け止めて、相変わらずの不整脈が胸を過る。
 それを隠すようにトレイを片手にして、新しい客の為にグラスを用意した。

「元気そうだねェ〜、ナマエ」

「はい、おかげさまで」

 椅子に座った相手に答えながら、すぐに用意したお冷を片手に相手へと近付く。
 丁度昼の混雑が終わった時間帯で、客足もまばらになっていた。
 この時間帯を狙ってきているんだろう相手に、メニューを差し出す。




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