- ナノ -
TOP小説メモレス

汝、一切の希望を捨てよ (2/2)

 酷い匂いがする。
 血と土と火薬と死体の匂いが混じったそれは、戦争の香りだった。

「この……悪魔共!」

 怨嗟のにじんだ声音を耳で拾って、足で大地を蹴り飛ばす。
 体が宙を舞い、空中で縦に一度回りながら落下した俺の膝は、そのままそこにいた男の頭に叩き込まれた。
 それと同時に無理やり掴んで上の方へ向けた銃口から、鉛玉が空へ向けて飛び出していく。
 短く悲鳴を零して、舌をかんだらしい男が血を吹きながら倒れこむ。俺の体は重いから、ダメージも相当なものだろう。
 気絶した男の首があらぬ方向に曲がりそうなのを直してやって、それからひょいと立ち上がると、巨漢に自分を庇わせていた赤毛の『兄』が、軽く首を傾げた。

「”壁”を使った意味を失ったな」

「いくら”壁”でも、無限じゃァないから」

 節約できるものは節約しようよと、そんなことを言いながら肩を竦める。
 俺の言葉にふんと鼻を鳴らして、それからその足が歩き始めた。
 行くぞと声を掛けられて、他の兵と共に俺も歩き出す。
 いくらか不調があったものの、生まれて十五年を生き残った俺が、『戦争』に出されるようになったのは三年ほど前からだ。
 俺やそれ以外を作った研究は完成度を高め、様々なジェルマ兵が作り上げられ、ジェルマ66は悪魔とも神とも呼ばれる戦争屋を続けている。
 国家として海の上を渡りながらのそれは多くの資金を得て吐きだし、踏みつぶされた片方の国の悲鳴を何度も聞いた。
 目の前で何人も人が死んだし、この手でも殺した。今日もそうだ。
 しみつく何かが首の後ろから体の内側をひっかいていくようで、今夜もきっと夢見が悪いんだろう。

「報酬は受け取ったか。なら船を回せ」

 命令を零したのを耳にして、ふと視線を向けると、ちょうどイチジと呼ばれる俺の『兄』が子電伝虫を傍らの兵へ放り投げたところだった。
 ありがとうと口にするのは俺達に依頼を出した何人かで、どう見てもリーダー格の赤毛に近寄ろうとするのを、兵の数人が阻む。
 国王が選んだ、いずれはジェルマの首に座る『兄』が、その顔をこちらへ向けた。

「今日は拾っていかないのか?」

 こちらを見やっての問いかけに、ああ、うん、とあいまいな声を零しながら足を動かす。
 護衛役を買って出ている兵の後ろを通り過ぎて、目指したのは兄の佇む岩場だった。もうすぐジェルマの船が来るだろうそこはもはや絶壁で、見下ろしてみても深い海と波で荒れた岩しかない。
 少しだけ考えてから、とりあえず足元に落ちていた石を拾った。こういった岩場によくあるそれは、はねたしぶきで削れたのか、表面が荒れている。

「お前の収集癖は相変わらず理解しがたいな」

 俺の方を見やってそう言い放った『イチジ』は、けれども捨てていけとは言わなかった。
 こうやって兵として出されるようになって三年、何度も目の前で石や砂や貝を拾っているから、もう『俺』という生き物はそういうものなんだと思っているんだろう。
 同じように、『ニジ』や『ヨンジ』、『レイジュ』だって何も言わない。さすがにヴィンスモーク・ジャッジの目の前でやったことはないが、気付かれているかもしれない。やっぱり、なにかを言われたことは無い。

「海の傍にくると、なんとなくね」

「海の上を往くジェルマ66が?」

 赤毛の相手が尋ねたのに、うんと俺は一つ頷いた。
 持っていた石を、さっさとポケットへ片付ける。これはそのまま、部屋に戻ったら丁寧に磨いて、いつもの箱へと入れるのだ。
 俺の様子を眺めて、吹き抜けた風に象徴する数字を記したマントを翻した『イチジ』が、そういえば、と赤毛を揺らす。

「父上から聞いたか」

「父上から? 何を」

「サンジが見つかった」

 落ちた言葉に、ぱち、と目を丸くする。
 改めて視線を向けると、サングラスを掛けたままの『イチジ』の視線が、こちらへ注がれているのが分かった。
 何かを図るようなその眼差しに、ぞくりと背中が冷えたのを感じる。
 ゆっくり、つとめて普通を装って『へえ』と声を漏らすと、だまされてくれたのか、それともなんの意味もなかったのか、ふと唇を笑みの形にした『イチジ』が俺から視線を外した。

「お前に宛がわれる筈だった四皇の娘は、おそらくサンジに宛がわれる」

 あいつが生きていたとは驚きだったがなと続いた言葉に、ふうん、と小さく声を漏らした。
 あの日檻から姿を消してから、兄上が生き続けていてくれたことなんて、俺はちゃんと知っている。
 海に憧れていた『サンジ』はしっかりと大きくなって、強くなって、今は仲間と共に夢を追いかけている。
 いつか『俺達』がその障害となることだって知っていたし、それすらも兄上は踏み越えて行ってくれるだろうということだって、ちゃんと知っている。
 なぜならここは俺がずっとずっと昔に読んだ『漫画』の世界によく似ていて、大体が知っている方向に転がっていくからだ。

「それじゃあ、結婚祝いを考えておかなきゃな」

「ふっ、それはいい」

 『イチジ』が大して面白くもなさそうに言葉を零し、それに合わせたように先ほど兵に放り投げた子電伝虫が鳴き声を零す。
 海原の方へ視線をやれば、島を迂回してきたジェルマの船が、ゆっくりと姿を現したところだった。







 俺が兄上と13年ぶりに顔を合わせたのは、ジェルマ王国へと連れ戻された兄上が、その手にブレスレッドをはめられた後のことだった。
 そういえばそんなものがあったなと、記憶を少しばかり探る。
 『漫画』を読んだ記憶はもう遠くて、どうやって外したんだったか、まるで思い出せない。
 俺に鍵開けの技術があれば外してやれただろうけど、もしも俺自身にそのブレスレットがつけられたなら、引きちぎって腕を吹き飛ばすという選択肢しか浮かばなかった。

「……なんだ」

 『兄上』はどうやってそれを外したんだっけかと考えながら眺めていると、俺に気付いたらしい兄上がこちらを睨む。
 テラスで煙草をくわえ、わずかな苛立ちすらその顔に浮かべた相手を見やって、俺は両手で持ってきたものを抱えなおした。

「兄上、俺のことは覚えてる?」

 尋ねながら近寄ると、こちらを睨みつけた相手が、ああ、と低く声を漏らす。
 残念な返答に『なんだ』と声を漏らして、俺はほとんど自分と同じ高さの顔を見やった。

「忘れていたらよかったのに」

「…………あァ?」

 紡いだ言葉に、苛立ちの混じる声が寄越される。
 何をおかしなことをとばかりに寄越された視線を受け止めて、俺は少しだけ首を傾げた。

「ここに、いい思い出なんてなかっただろ?」

 『母上』と呼んだ故人とのやり取りは別としても、改造を受けてなお『普通の人間』として落ちこぼれ扱いされた兄上にとって、ジェルマ王国はひどい場所だっただろう。
 改造を受け、毎日メンテナンスを受けている俺だって、出来ることなら離れたい場所だ。
 けれどもそうしないのは、メンテナンスを受けなければ体が動かなくなるということを知っているからだった。
 ここで作られた俺は、ここから離れては生きていけない。
 そして生きていくためには強くあらねばならず、課せられる仕事もきちんとこなして、死にたくなければ殺さなくちゃならない。
 『普通の人間』でない俺ですらいなくなりたい場所なのだから、兄上にとっては相当のはずだ。
 だから忘れていたらよかったのに、と言葉を紡ぐと、俺の様子を眺めていた兄上が、怪訝そうに眉を寄せた。

「……ナマエ……」

 記憶にあるよりずいぶんと低い声が、俺の名前を呼ぶ。
 なに、とそれへ返事をすると、ややおいてため息の代わりにたばこの煙を吐きだした兄上が、そのままで言葉を続けた。

「お前は、相変わらず"何か"を怖がってんのか」

 このジェルマで、と紡がれた台詞に、一度、二度と瞬きをした。
 ぞくりと背中が冷えたのは、なにかを見透かされたような気がしたからか。
 ひたりと追いついた何かを感じて、俺は返事をする代わりに、両手で持ってきたものを兄上へと差し出した。
 大きな箱に、何が入っていると思ったのか、兄上が少しばかり身を引く。

「大丈夫、危険なものなんて入ってない。ガラクタばっかりだから安心していいって」

「な……そんなもん、なんでおれに」

「だって、約束したから」

 身を引く相手へぐいと押し付けて、それからパッと手を放す。
 反射的に俺が渡した箱を受け取ってくれる兄上は、やはりヴィンスモーク家の人間らしからぬ優しさを持っている。

「兄上だって海に出たんだし、もういらないとは思うけどさ」

『また今度、なにか持ってくるよ』

 俺がため込んできた箱の中身の収集物は、すべて、いつか再会できるはずの兄上の為に集めたものだった。
 海で拾った貝殻や小石なんて言う、今時子供だって『宝物』扱いなんてしないだろう宝だ。
 けれども、海を感じさせるものなんて、俺にはありきたりなものしか見つけられなかった。

「"今度"の為に集めてたんだ」

 そう言葉を零して、俺は唇を笑みの形にした。
 よく姉がやっているような微笑みを、きちんと浮かべることが出来ただろうか。
 練習しておけばよかったなと考えながら、足を一歩後ろへ引く。

「結婚祝いだと思って受け取ってよ。一度見たら捨てていいから」

 そうして、そう言葉を置いて、俺はその場から逃げ出した。
 兄上が俺を後ろから呼び止めた気がしたけど、振り向きもせず、自室へと向かう。
 飛び込んだ部屋は出たときのままで、まだ清掃すら入っていなかった。
 誰かが入ってくることの無いように鍵をかけて、それからベッドへ向かう。
 倒れこんだシーツはひんやりとしていて、甘い香りに満ちた国にいるからか、どことなく甘ったるい匂いがした。
 一度、二度と深呼吸をしてから、先ほど兄上の前で感じたものを遠ざける努力をした。
 『麦わらの一味』の『サンジ』はすぐに自分の夢の為に海へと戻るが、俺はそうじゃない。
 俺はこれから先もずっとこのジェルマで、ずっと過ごさなくてはならないのだ。
 だからそう、『怖い』なんて、『怯え』なんて、ジェルマの人間にそんなもの必要あるはずもない。
 それは、普通の人間だったあの人にだけ、許された感情だ。

「……兄上は、いいなァ」

 うらやむ声は、はるかに遠い。
 兄上の『結婚式』が執り行われて全部が滅茶苦茶になるのは、まだほんの少し先だった。



end



戻る | 小説ページTOPへ