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在りし日の仔犬
※『賢い子供』設定
※新兵の教官はゼファー先生
※微妙な名無しオリキャラと捏造注意
※サカズキがほぼ不在



 『大将赤犬が雛を飼っている』。
 そんなどうしようもない噂をゼファーが耳にしたのは、とある日のことだった。
 最初はどこぞの海軍元帥に倣ってペットを連れて歩くようにでもなったのかと考えたが、よくよく聞けばその『雛』というのは人間の子供だという。
 何でも『大将赤犬』が率いた海軍によって討伐された海賊に親も知人もすべて殺された身の上で、そして助けた形となった海軍大将にとてもよく懐いており、その境遇も相まって当人が望むならばと『大将赤犬』が保護している、だとか。
 初めてそれを聞いたときには、根性のある坊主がいるもんだとゼファーは一人で呟いていた。
 何せ『海軍大将赤犬』と言えば、悪を根絶やしにする徹底的な正義を掲げたマグマ人間だ。顔つきも雰囲気もやることも、『怖い』と呼ばれる部類だろうということはかつて教える側だったゼファーにだって分かっている。
 そのうちその孤児を引き取る人間が現れるだろうが、いくらか時が進めば、今度は新兵として海軍に姿を現す日が来るかもしれない。
 その時はしっかり揉んでやろうとまだ来ない『いつか』を考えて日々の訓練を行っていたゼファーは、しかしそれよりも前に件の『雛』の姿を目にすることになった。

「ほらナマエ、挨拶おし」

「は、はじめ、まして」

 おずおずと声を出した小さな子供が、ゼファーが尋ねた執務室の主の傍でじっとゼファーを見上げている。
 その様子に『よくできたね』と穏やかに言って小さな頭をひと撫でしたつるは、サカズキのとこのだよ、とゼファーが何かを言う前に言葉を紡いだ。
 寄越された言葉に、噂を思い出したゼファーが『ああ』と声を漏らす。

「噂は聞いてたな。何故ここに?」

「サカズキが部隊演習中だろう。預かってるのさ」

 見りゃあ分かるじゃないかと言いたげなその言葉に、そういえばそんな予定が入っていたな、とゼファーは言葉を返した。
 今日の新兵達が訓練場を使えない理由もそれだ。
 それならばと訓練場より狭い広場で自主的なトレーニングを命じて、そろそろ軍艦を使った演習が出来ないかと考えたゼファーは、その相談をしに参謀の元を訪れたのだった。
 軍艦を使いたいならしかるべき場所に届け出を出すべきなのだが、つい最近どこぞの海兵が軍艦を一隻つぶしたせいで、貸し渋られることは目に見えている。
 参謀と名の付くつるの許可があれば申請も通るだろうという打算的な考えだったが、ゼファーが執務室へ入るなり机の引き出しから印鑑を出してきたつるにだって、その考えはお見通しだったらしい。

「一隻でいいのかい」

「ああ」

「壊すんじゃないよ」

 寄越された言葉に壊して返したことがあったかとゼファーが笑えば、山ほどあったじゃないかと呆れた声を零したつるが、取り出した書類に必要事項を記入する。
 さらさらとペンを滑らせる相手を不思議そうに見上げた子供へ近寄って、ゼファーはひょいとそのままそこに屈みこんだ。
 高さを合わせようと屈みこんでも足りないほどに小さな子供が、ゼファーの動きに気付いてその顔をゼファーの方へと向ける。

「ナマエっつったか。おれァ『ゼファー』だ」

「じぇふぁー」

 たどたどしく名前を呼んで、自分の発音が気に入らなかったのか少しばかり眉を寄せた子供が、じぇ、じぇ、と何度か同じ音をその口から零す。
 向上心のある子供に軽く笑い、ゼファーは言葉を紡いだ。

「サカズキが戻るまで暇だってんなら、おれと来るか」

 許可が出たところで、今日すぐに軍艦が使えるわけでもない。
 とすれば申請を出した後のゼファーが赴く先は、新兵達が集まっている広場と決まっている。
 普段より狭い場所で思い思いに鍛錬を行っている連中だが、新兵らしく年若い者が多い。
 もちろんこの子供ほどの年齢の人間はいないが、休憩の合間に遊び相手にだってなれるだろうし、何ならゼファーが直々に軽く訓練を付けてもいい。
 そうでなくてもこのくらいの年の頃なら外で駆けまわる方が楽しいだろうと、そんな考えで誘ったゼファーの発言に、ナマエはその目を瞬かせた。
 けれどもそれから、すぐに首が横に振られる。

「どうした? こんなところに缶詰じゃァ退屈だろう」

「『こんなところ』とは失礼だね」

 遠慮しているのかと言葉を重ねようとしたところで横槍が入り、ゼファーと子供の間に白い紙が入り込む。
 差し出されたそれを受け取ってゼファーが屈んでいた身を起こすと、腕を組んだつるがじとりとゼファーを睨め上げたところだった。

「突然出てきた見知らぬ輩についていくような教育は、私もサカズキもしちゃあいないよ」

「人を誘拐犯のように言いやがる」

 わずかに非難の交じったそれに肩を竦めて、ゼファーの視線が自分の足元へと向かう。
 戸惑ったようにつるとゼファーを見比べた小さな子供が、それから小さな体をそっとつるの座る椅子の方へと寄せた。
 机でゼファーの視界から体の殆どを隠して、ひょこりと頭だけが覗く。

「じぇふぁー、ワルイことするひとだった?」

 困った顔でそんな風に言葉を寄越されて、ふは、と思わずゼファーの口から笑い声が漏れる。
 くつくつと喉を鳴らして笑いを飲み込もうとするゼファーに戸惑いの視線を向けた子供は、『そうだよ悪い男さ』と横から落ちてきたつるの発言に、ぱっとそのまま顔まで引っこめて机の下に隠れてしまった。
 なんとも誤解を招く発言だったが、子供の様子が面白くて批難するのを忘れてしまったその日が、ゼファーがナマエという子供に出会った最初の日だ。







 それからも時々、ゼファーはナマエという名の子供の姿を見かけた。
 大概の場合その子供は、その背に正義を背負ったとある海兵の後ろを追いかけて回っている。
 その様子はまさしく、親鳥について回る『雛』と言ったところだろうか。
 とたぱたと廊下を駆ける足音は他では聞かないもので、そしてそれから、その足音が聞こえる時の『大将赤犬』の歩みがずいぶん遅いことにも気付いてしまった。
 ほとんど振り向きもしなければ構っているようにも見えないが、後ろを気にしていることは丸わかりだ。
 恐らくナマエは気付いていないのだろうが、ナマエもナマエで、サカズキの背中に信頼しきった視線を送っている。
 微笑ましいそれを見かけるたびに軽く笑っていたゼファーが、おや、と首を傾げたのは、小さな足音を零す小さな影だけが歩いているのを見かけた時だった。

「ナマエじゃねェか」

 どうした、と声を掛けると、それでゼファーに気付いたらしい子供が足を止める。

 きゅっと眉を寄せ、きりりと顔を引き締めた子供にゼファーがわずかに目を瞬かせると、小さなその手がずいと持っていたものを掲げて見せた。

「おつかいっ」

 声高に宣言した子供の手には、数枚の書類が握られている。
 ちらりと見えたのは海軍大将の名前で、赤犬の執務室で作られたものだろうということは理解が出来た。
 きゅっと書類をつかむ小さな手と、それからかなり気合の入った顔に事の次第を理解して、なるほど、とゼファーが一つ呟く。
 どうやらこの小さな子供は、『届け物』を頼まれたらしい。
 ちらりと視界の端に制帽が見え、視線を向けると角からこちらを覗く人影がある。気配からして当人ではないが、サカズキの部隊にいる海兵の誰かだろう。

「サカズキに頼まれたのか」

「ううん、おれがね、おねがいした」

 視線を戻したゼファーの言葉にそう返事が寄越されて、予想外のそれにゼファーが目をわずかに丸くすると、それを見上げた小さな子供が更に言葉を紡いだ。

「はたらかじゃるもの、くーべからず!」

 一体、どこの誰が言った格言だろうか。
 ひとまず分かるのは、この幼い子供がその言葉の意味をきちんと理解している様子があるということだ。
 案外賢いらしいナマエをみやり、なるほどと呟いたゼファーが片手を顎へと添える。

「誰宛てだ? 部屋は分かってるのか」

「つるちゅーじょーあて。だいじょーぶ!」

 薄くて小さな胸を張り、言葉を放った子供が書類を掲げていた手を下ろした。
 それから片手を自由にして、あっち、と廊下の端を指で示す。
 確かに、そちらはつるの執務室のある方角だ。
 そうでなくとも、命じられたのか自主的なのかは分からないにしても『見張り』もいるのだから、この子供が迷子になることもないだろう。

「まァ、お前も男だ。転んでも泣くんじゃねェぞ」

「なかないよ!」

 心外だ、とばかりに声を上げて、子供がかわいらしい顔でゼファーのことを睨んだ。
 むっと少しばかり口を尖らせた様子はどこかで見たことのあるもので、何だったかと考えながら『悪かった』とゼファーが謝罪を口にする。
 拗ねた顔で悔しげにゼファーを見上げ、眉を寄せた子供が声を漏らした。

「あやまられたら、ゆるさないのはカッコわるいんだよ」

「ああ、そうだな。だから許してくれるだろう?」

「……ずるい…………」

 わるいおとなだ、とぶつぶつ言いながらもしぶしぶ『ゆるすけど』と口にしたナマエに、くく、とゼファーの口から噛み殺した笑い声が漏れた。
 そうしてそれから、先ほど抱いた既視感が何だったのかを思い出して、その目がそっと細められる。
 反応が面白くてついつい構ってしまう小さな『誰か』は、ゼファーにとっては目の前の子供が『二人目』だ。
 外を走り回って遊ぶのが好きで、信頼に満ちた眼差しをゼファーへ向け、子犬がじゃれるように全力でゼファーへと飛びついてきていた、小さな子供。
 パパずるい、なんて詰って、それから楽しげに笑ったその声が、ほんのりと耳に蘇る。

「じゃあ、おれいくね」

 ゼファーの前で言葉を放ったナマエは、もっていた書類を持ち直し、そしてぴんと背中を伸ばした。
 ああ気をつけてな、と言葉を放ったゼファーに大きく頷いて、小さな背中がゼファーへと向けられる。
 そのまま、つる中将の執務室へと向けて駆けだした子供を、ゼファーはその場から見送った。
 足をもつれさせて一回転びかけ、慌てて持ち直して、ちらりとその顔がゼファーを見やる。

「だいじょーぶだから!」

 ゼファーが何も言わないうちから声を上げ、そしてまたそのまま駆けだした。
 遠ざかっていく小さな背中は頼りないが、顔すら見えないのに張り切っているのがよくわかる。
 しばらくそれを眺めて、ゼファーの口が言葉を零す。

「……ありゃあ、どっちかってェと犬コロだな」

 懐かしい思い出をその背中に重ね、呟いたゼファーはすぐ傍らまで近寄ってきていた相手を見やって『なあ』と言葉を投げた。

「へっ!?」

 まさか話しかけられると思っていなかったらしい海兵が、驚きに声を上げて、それから慌てたように両手で口を押さえて壁際に身をひそめる。
 幸いなことに、ナマエは自分の『見張り』に気付いていないようだ。
 ほっと胸をなでおろす相手にわずかに笑い、ゼファーの大きな手が海兵の背中を軽く叩く。

「まァ、アレだ。大事にしなけりゃ許さねェとサカズキには言っておけよ」

 そうしてゼファーの放った言葉に、なんでそれをおれに言うんですか、と一介の海兵が困った顔で言葉を零した。
 情けない顔の男の背中をもう二回ほど叩いてから、ゼファーは機嫌よくその場を後にする。
 『ナマエ』という名のあの孤児が、正式に『海軍大将赤犬』に引き取られたと耳にしたのは、それからすぐのことだ。



end


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