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孤独の檻 (2/5)




 結局俺は、そのまま海軍本部へと異動した。
 どの中将が率いる隊へ配属されるかすら聞かされないままの異動に少しばかり首を傾げたが、挨拶に行けば分かることだろう。
 そんな風に思っていたのに、上官への挨拶より先に行くように示されたのは演習場で、そしてそこでは、俺よりずいぶん体格のいい男が待っていた。

「よく来たな。挨拶は後だ、まずはかかってこい」

 威圧感のある『教官』が言い放ち、大きなその掌を上へ向けて、こちらを招く。
 困惑したが、小手調べだろうということは分かったので、俺は相手へ向けていた敬礼を解いた。

「では、失礼します」

 言葉を投げて、それと同時に大地を蹴った。
 まっすぐに向かった俺に笑った相手がその片腕を持ち上げ、黒く硬化させる。
 目にもとまらぬ速さで振りぬかれたそれは予想して身をかがめた俺の頭の上をかすめて、髪が触れただけでもわずかに感じた衝撃に、一撃でも食らえばまずいだろうという考えが浮かんだ。相手は怪力だ。
 傾いた体では体当たりも出来ないので、そのまま相手の体の後ろに回り込もうと決めて足を滑らせる。
 俺のそれを追いかけた相手の足が俺を踏みつけるために動き出し、だん、と強い音を立てたそれからどうにか逃れた。
 そのまま後ろから攻撃を仕掛けてみるが、拳が相手の背中に触れて、痛みを受けたのは俺の方だった。
 まるで分厚い鉄の壁でも殴りつけたかのようだ。

「……っ!」

 骨まで響くそれに手を引いて、少しだけ相手から距離をとる。

「どうした、終わりか?」

 離れた俺へ言いながら、ゆるりと振り返った相手の体はそのほとんどが覇気で染まっていた。その鉄塊の練度が高いことは見ただけでも分かる。何せ、相手はかつて海軍大将ですらあった男だ。
 放たれる気迫が空気を伝わって、肌に痺れすら感じる。
 どくりと耳の奥に心臓の音を聞いて、それに急かされるようにまた相手へ向けて飛び込んだ。
 体を低くするのは、自分より大柄な相手を相手にするときの定石だ。
 手に武器があればとも思うが、あれだけ武装色の覇気を使える人間では、俺の武装色で保護した武器なんて役に立たない。
 どうやって倒すか考えて、まずは相手の片足を狙うことにした。いくら硬化していても、動かせる以上関節はあるのだから、その継ぎ目を突くしかない。
 しかし俺の狙いなんて読んでいたのだろう、は、と笑い声を零した相手の拳がまた振り下ろされた。
 今度は少しばかり頭に当たって、大地にたたきつけられそうになる。
 勢いを受け流すように体を宙でぐるりと横へ一回転させて両手も使って体を支え、すぐに後ろへ跳んで起き上がったが、ぐらりと視界がわずかに揺れた。

「獣みてェな戦い方をする奴だ」

 泥臭ェな、と言って口元を笑ませているが、その声に嘲りは感じられなかった。
 そのことに眉を寄せた次の瞬間、目の前に壁が出来る。
 先ほど頭に寄越された衝撃すら引かぬまま、状況の把握をする前に両手で自分の頭を守ったのは本能的なもので、武装色で守っているはずの両腕の骨がきしむような痛みが走った。

「ぐっ」

 呻きながら、吹き飛ばされた体をどうにか支える。
 痺れる手をおろさず視線を上げれば、俺の頭を狙って殴りつけたらしい『教官』が、俺の体が先ほどまであった場所に立っていた。

「いい反応だ。なら、これはどうだ?」

 言葉と共に、またその巨躯が迫りくる。
 相手の攻撃を必死にいなし、何度も自分から攻撃しては受け流されて。
 ようやく殴りつけても多分こちらの拳のほうが痛みを訴えて、よけきれなかった拳を腹や腕に受け、ついには俺の体が耐えられずに地面へ倒れこんだ。
 仰向けに見上げた空はまだ青いが、太陽の位置がずいぶん変わっている。
 それだけの間『戦って』いたのに、相手には致命傷どころか大きな怪我も与えていないという事実があった。
 体中が燃えるように熱く、そして痛い。

「動きはまァいいが、まだまだだなァ」

 全身がぼろぼろになった俺を見下ろして、そんな風に言った教官が笑う。
 空を背景にした相手を見上げて、ぜい、と息を吐いた。
 体中が汗ばんでいて、ふいごのように動く肺が必死になって空気を取り込んでいるが、まだまだ足りない。言葉を紡ぐのが困難だ。
 まるで歯が立たなかった。
 別に自分が誰より強いだなんて自信は持っていないが、この教官ほど強い人間も、そうはいないだろう。
 しかし、もし同じ強さの『海賊』が現れたとしたなら、どうやれば相手を殺せただろうか。
 悪魔の実の能力者なら海楼石で自由を奪えたかもしれないが、教官は能力者じゃないということは事前に聞いて知っていたし、それなら『海賊』が能力者でない可能性もある。
 だったら俺は、もしもそんな『海賊』に出会ったら、一体どうやってそいつを殺せばいい。
 考えながら見上げた先で、俺の顔を見ていた教官がふと何かに気付いたように眉を動かす。
 それから大きな体が屈みこみ、太い指がどすりと俺の額を突いた。

「うっ」

「そんなツラした野郎を見たのは、お前で二人目だ」

 低い声で言い放ち、くくく、と喉を鳴らした相手がその大きな手で軽く俺の頭を撫でまわして、そして離れる。

「徹底してやるのは構わねェが、道を踏み外したら拳骨じゃァ済まねえぞ。お前も、アイツもな」

 落ちる言葉は笑みを含んでいるのに、なぜだか凄みを感じて、はい、と息も絶え絶えに言葉を放って頷く。
 『アイツ』とやらが誰かは分からないが、それを尋ねるだけの体力が、俺には残っていなかった。







「貴様がナマエか」

 どうにか体が動くようになって、着替えをして呼ばれた部屋へと向かい、そこでようやく出会えた今度の俺の直属の上司は、そんな風に言ってじろりと俺のことを睨みつけた。
 敬礼を終えて両手を体の後ろへ回したままそれを見つめ返しながら、少しだけ目を瞬かせる。
 どこかで知っているような顔立ちと髪型だ。
 しかし誰だっただろう、と考えた先で、上官殿は俺へ向けて言葉を放った。

「元の支部でも随分と派手にやっていたらしいな。この海軍本部でも、同じようにその力を発揮してくれて構わん。ただし、正義を背負う人間らしく、だ」

 厳しい声が言い放ち、その手が強く拳を握る。
 我々は何より人々を守る側でなくてはならないだとか、海兵の在り方を唐突に語りだしたその言葉を右から左に聞きながら、俺は直立不動の姿勢のまま、改めてしげしげと目の前の上官を眺めた。
 癖毛なのかそれともそういう髪型を好んでいるんだろうか、縮れた黒髪がまとまって丸く膨らんでいて、口ひげも蓄えている。
 かけた眼鏡は丸くて、その奥から覗く鋭い眼光は先ほど俺を叩きのめした『教官』に勝るとも劣らない雰囲気を醸し出していた。
 やっぱり、なんとなく知っている気がする顔だ。
 事前に通達も無く、情報収集する時間もなく顔合わせになってしまって名前すら分からないのに、どうしてそんな気持ちを抱くんだろう。

「……聞いているのか、ナマエ!」

 だん、とその拳が執務机を叩きつけたので、はい、とそちらへ返事をする。
 嘘をつけと唸りこちらを睨みつけてくる相手へ視線を返しつつ、俺は口を動かした。

「本部の人間として、他支部の海兵の模範となる行動を行い、海兵として逸脱した行動はとらぬよう心がけます」

 目の前の相手が言っていた言葉は全部、まるで俺がとんでもない問題児のような発言だった。
 言われなくても、俺は権力をかさに着て悪さをしでかしたりはしないし、海賊に絆されて逃がすようなこともない。
 悪いものを見て見ぬふりはしないし、悪さをする海兵がいたなら、仲間を殺す代わりにその末端を潰すだけだ。
 俺の理想の海兵はあの日死んだ『父』の姿だが、きっと俺はあの人のような人間にはなれない。それならばせめて、悪を潰して回らなくては。
 問題ありません、と言葉を続けると、胡乱な目をこちらへ向けた上官が、はあ、とため息を零した。

「全く……ガープの奴には任せておけんからとこちらに寄越されたが、どうしたものか」

 小さな呟きははっきりとこちらの耳にも届いて、そうして紡がれたその『名前』に聞き覚えがあったことに、わずかに目を丸くする。
 ガープ、というのは知っている名前だ。
 主人公の血縁者で、英雄とまで呼ばれた海兵だったというのが、もはやずいぶんと遠い記憶の中に記されている。
 そうして、その名前を思い出してから改めて目の前の相手を見ると、相手の名前すらも頭に浮かんだ。
 俺が『覚えている』時よりも若いが、誰がどう見てもこの人は、海軍元帥で、そしてやがてその席を退いた『センゴク』だ。
 しかし、俺の上官は中将だったはずだ。
 どういうことだと困惑しながらも、ふと思いついた言葉が、どうしてかそのまま口から出ていく。

「……マグマ人間のサカズキは、いますか」

 赤く暗く煮えたぎるマグマを零して、誰より海賊を憎んでいるというのが読んでいても伝わった、俺があの漫画で一番好きだった登場人物の名前だ。
 いるはずないと思っていたのに、いるはずがないのに、なんだ、と声を漏らした上官の言葉が、俺の想像を肯定する。

「知り合いか」

 なるほどなと納得の声を漏らされた意味がよく分からなかったが、どうしてだか、この世界には『サカズキ』がいるらしかった。


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