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終いの特別警報
※『マグマグ注意報』『侵略警報』設定
※トリップ系主人公はサカズキさんの同期
※サカズキさんは大将



 海に出て生活水の使用制限を受ける生活をしたりすると思うのだが、蛇口をひねれば水が出るのは、とてもいいものだ。
 鼻歌交じりにこぼれる水で食器についた泡を洗い流し、洗剤をこすり落としてぬめりが無いことを確認してからすぐそばの水切り籠へと伏せた。
 いつもなら一人分しか並ばない籠の中は、今日に限ってはあふれんばかりだ。何せ俺が普段使うより大きい茶碗が出ているのだから仕方ない。
 いっそ食器乾燥機でもあればよかったが、さすがに『この世界』にそんな便利なものはなかった。
 せめてマグマを保管する方法でもあれば良かったが、何度か試してボヤ騒ぎを起こしたので、今は俺も誰かさんに『手伝え』とは言わないでいる。

「おし、終わり」

 最後の一つを洗い終えて、言葉を零してタオルで手を拭いた。
 洗ったばかりのグラスを一つつまんで戻れば、戻ってきた俺を見やった男が片手を動かす。
 食事を終えて、簡単なつまみだけになったローテーブルの上にどすりと置かれた酒瓶は、俺に言わせれば馬鹿みたいにでかいものだ。
 それでも誰かさんの手にはちょうど良く見えるんだから、相変わらずでかい奴である。

「貸せ」

「はいはい、水割りにしてくれよ」

 斜め向かいに座りつつ言葉を放つと、ふん、と鼻を鳴らした俺の同期殿が、手ずから俺の渡したグラスへ酒を注いだ。
 水割りを作る手つきは慣れたものだ。
 とんとん拍子で昇進し、ついには海軍大将ともなったサカズキが、ずいぶん階級が下の俺の酒を作っているだなんて、サカズキの部下が見たら悲鳴を上げるかもしれない。

「なんじゃあ、ナマエ」

 面白そうだなと笑ったところでじろりと見られて、なんでもないと答えつつサカズキの手からグラスを受け取った。
 注がれた水割りはちょうどいい塩梅だ。さすがにサカズキも、長年一緒に酒を飲んできた俺の好みを分かっている。

「あ、海軍大将が自分で入れるなよ」

 上機嫌で酒をなめていたら、自分のグラスが空になったらしいサカズキが身じろいだので、そう声を掛けて膝立ちになった。
 さっき何度か氷を入れて飲んでいたが、そろそろいつもと同じくストレートで飲む頃だろう。
 なんの断りもなしに両手でつかんだ酒瓶から酒をなみなみと注いで、ちょうど二人の間になるだろう床の上へと瓶を下す。
 俺がやるのを見ていたサカズキは、やはり何も言わずグラスを自分の方へと引き寄せて、グラスにたっぷりと入った酒へ口を付けた。
 それを見やって笑いつつ、改めてサカズキの向かい側に腰を下ろす。
 ちらりと見やった壁の時計は、すでに真夜中を過ぎていた。
 いつの間にかこうやって飲むときはサカズキも俺も翌日を非番に設定するようになっているから、このまま朝まで飲んでもまあ大丈夫だろう。
 サカズキのほうは最悪何かで出勤しなくてはならないかもしれないが、俺は今のところ翌日に酒を残して死んだ顔をしたサカズキというのを見たことがない。
 そこまで考えてから、あ、と声を漏らして、俺はサカズキへ視線を戻した。

「今日、泊まってくか?」

 尋ねて伺えば、酒の入ったグラスを掴んだままで、サカズキが一つ頷く。
 なんとなく予想のついていたことなので、まあそうだよな、と俺も同じく頷いた。
 いつの間にか、こうやって俺の家で飲んだ時は、サカズキが泊まっていくことが増えていた。
 何せ相手は海軍大将だ。海軍の最高戦力が千鳥足で帰宅するところなんて市民には見せられないし、どこかでうっかりとマグマを零して歩いても危険だろう。
 何度も繰り返すから、うちにはサカズキ用の着替えも数着ある。
 もともとはいつだったかの遠征の帰りに寄ったサカズキが忘れていったものだが、案外おっちょこちょいなサカズキは何度も持たせようとしたものを置いて帰ったし、よく泊まるようになったからもういいかとそのまま置いてあるものだ。
 似たような忘れ物は他にもいくつかあって、俺のクローゼットにはサカズキ用のスペースすらあるし、何なら客用の布団はもはやサカズキ専用と言ってもいい。
 別に構わないのだが、こうも頻繁に泊まるとなると、俺にはちょうどいい家の狭さが少しばかり気にかかるというものだ。

「あー……やっぱり引っ越すかな」

 口につまみをいれつつ呟くと、なんじゃ、とサカズキが声を漏らした。

「ここが気に入っちょると言うちょったろうが」

 どこへ行くつもりだと言いたげに言葉を寄越されて、まあ気に入ってるんだけどさ、と答える。
 本部からもほど近く、近隣には買い物に向いた店がいくつもある。
 長らく暮らしているから近所とも顔見知りで、隣のばあさんなんかはよく差し入れをくれるくらいだ。今日のつまみの漬物もそれである。
 だけどなあ、と声を漏らして、俺は自分の向かいにいる大男を改めて見やった。

「お前、でかいしさァ」

 この世界へやってきて、恩人を殺されて、海の屑ともいうべき人間以下の獣を間引きするために海軍へ入った。
 この世界は俺が生まれ育った世界ではなく、俺より大きい人間なんて山のようにいる。
 俺の向かいに座る同期殿もそのうちの一人だ。
 しかもしっかり体を鍛えて厚みを作っているものだから、圧迫感も三割り増しと言ったところか。
 段ボールに入りたい猫のようなものか、サカズキ自身はどうしてか俺の家が好きなようだが、サカズキが来るだけで家の中が狭くなったように感じるし、サカズキにだって不便だろう。トイレもシンクも何なら風呂も、俺に合わせた大きさなのだ。

「……なんじゃ、わしのために引っ越しよるんか」

 ふん、と鼻を鳴らして笑ったサカズキが、そんな風に言ってこちらを見る。
 それならいっそうちにでも越してくるか、と続いた冗談に、なんでサカズキと同居しなきゃならないんだ、と俺も笑う。
 何度か行ったことのあるサカズキの家は確かに広かったが、立地的に『海軍』のお偉方が住んでいる地域だ。
 近所づきあいでも気苦労が絶えそうにないし、何より家の周りに高級店以外の店がない。
 海軍大将殿ならともかく、一介の海兵が暮らしていくにはなんとも不便だ。

「まー、うちを気に入ってるサカズキには悪ィけど、もう少し広ければお前だって泊まりやすいだろ」

 明日の昼に雑誌でも買ってくるわ、なんて言いながら、サカズキに作ってもらった水割りを口にした。
 ふわりと口の中に広がった酒の香りが鼻に抜けて、水で薄まった酒が喉を伝い落ちて胃を温める。
 買ってきていた料理もうまかったし、サカズキが持ち込むものはイイもんばっかりだなァ、と給料の差をしみじみ味わった俺の向かいで、俺と同じくじっくりと酒を味わったサカズキが、酒で湿った唇を動かす。

「どうせなら、わしの部屋でも用意しちょれ」

「俺んちを別宅にするなよ」

 寄越された冗句にからからと笑って、その日はそこで話が終わった。
 意外と早く見つかった広い部屋へと引っ越して、前の家より気に入ったらしいサカズキの泊まりに来る頻度があがったのは、それからひと月ほど後のことだ。
 何だか少し同居しているような気分になるのだが、『ただいま』と『おかえり』のやり取りを誰かとやるのも、案外悪くないものである。



end


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