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ジンベエさんにお願い
※『エースくんと遭遇』から始まる遭遇シリーズ
※しかしほぼジンベエ



「ほう、お前さんが」

 しげしげと見下ろされながらそんな風に言葉を零されて、ナマエは少しばかり肩を竦めた。
 大きな牙を二本晒した巨漢の魚人が、そんなナマエを見下ろしてわはははと笑う。

「なんじゃ、そう怖がらんでも、とって食ったりはせんわい」

 ワノ国じみた意匠の服を着込んだ海賊がそう紡ぐと、彼の後方で座っていた魚人達のうちの数人がそうだそうだとヤジのようなものを飛ばした。
 それぞれの手には大きめのカップがあり、酒瓶がいくつも転がっている。
 『傘下が来た』と喜んでいた白ひげ海賊団のクルーに紛れた彼らは、ナマエの前に座る大柄な魚人、海侠のジンベエが率いる海賊団の者だった。
 丸い見事な月の上った夜半近くの大海原、広いモビーディック号へと持ち込まれた酒樽は数多く、相伴に預かった白ひげの人間もすっかり気分よく酔っぱらっている。
 所々で肩を組んで歌ってすらいる仲間達の様子を見て、ナマエはふるりと首を横に振った。

「いやあの、別に怖いとかってわけじゃなくてですね」

「ほお?」

 おずおずと寄越された言葉に、魚人が声を漏らす。
 少し身をかがめた相手に顔を覗き込まれて、びくりとナマエは思わず体を揺らしてしまった。
 そんな自分の反応に気付いて慌てたナマエのそばで、ジンベエが面白がって笑みを深める。

「いやこれは違いますよ、あれですから、急に近付かれたらびっくりする、あれですから」

「ふむ、そういうことにしてやらんこともない」

 楽しそうにそんな風に言い放って、ジンベエは自分の顎へと軽く手をやった。
 そしてそれから、その目がちらりとナマエの傍らに置いてあるものを見やる。
 寄越された視線を追いかけて、傍らを見やったナマエがその目にとめたのは、硬くて丈夫な素材だという話の板とペン、それからくるりとまるまった紙きれだ。
 はた、と自分が目の前の海賊へと近寄った理由を思い出して、ナマエはすぐそばのそれらに手を伸ばした。

「ジンベエさん、サインく……ださい!」

「おお、ついに言われよった」

 板の上に丸くなっていた手配書を伸ばして、端に取り付けてもらった押さえを施してペンとともに差し出したナマエの言葉に、魚人が笑う。
 その手がひょいとペンやそれ以外を受け取ったのを見やって、『ついに?』とナマエは首を傾げた。

「面白い趣味の仲間が出来たと噂をきいとったからのう」

「面白い……」

「きっと言われるだろうから覚悟をしておけと言われとってな。それにしても、よくわしの手配書を見つけたもんじゃ」

 もう出回っていないだろうとからからと笑った王下七武海は、その手でさらさらと自分の名前を広げられた手配書へと記した。
 はねとはらいの大きい動きを目で追いかけるナマエは、自分の趣味を『面白い』といわれたことに少しばかり笑って、それから嬉しそうにその瞳を緩ませた。

「手配書はですね、エースがこの前探してくれて」

「ほう!」

 手早く自分の名前を記し終えたジンベエが、ナマエの言葉に声を上げる。
 その手が持っていたものをナマエへと向け直し、それをありがたく受け取ったナマエが礼を言うと、このくらい構わんわいと明るく笑ったジンベエの眼差しが甲板の向こう側へと向けられた。
 それを追いかけてナマエもなんとなく同じ方向を見やれば、少し離れたところに『火拳』の二つ名をつけられた海賊がいる。
 クルー達で酒を口にする宴の最中、仲間に囲まれた彼と目が合ったのは偶然だろう。
 ひらひらとそちらへ手を振ってから、ナマエはすぐにその顔をジンベエのほうへと戻した。

「この前も赤髪のシャンクスのところに連れてってくれたんですよ」

 いくらか舐めた酒がナマエの舌をよく動かして、そんな自慢をナマエがすると、オヤジさん以外の四皇からも貰ったのか、とジンベエが少しばかり驚いたような顔をした。
 そうなんですよと胸を張りつつ、ナマエがもらったばかりのサイン入りの手配書を側へと置く。
 一番最初にナマエへサインをくれたのも、かの火拳のエースだった。
 大事な宝はきちんとファイリングされて、船内の一角に片づけてある。
 ほかの海賊のところにも連れて行ってもらったと指を折り曲げたナマエの横で、ふうむ、と海侠のジンベエが声を漏らした。

「世界には、まだまだわしの知らん楽しみがあるもんじゃ」

「そんな壮大な話になります?」

「なる」

 しみじみと頷かれ、なんだか可笑しくなったナマエが吹き出すと、それをみやったジンベエが悪戯っぽく片眉を動かす。
 そうしてそれから、ふと何かを思いついたように、その口が言葉を綴った。

「お前さんさえ良かったら、今度わしと共に来てみるか」

「え?」

「王下七武海のサインなどは、さすがになかなか手に入るもんでもないじゃろう」

 近々招集があるのだと胸元から小さな手紙を取り出されて、ナマエは目を瞬かせた。

「行ったところで、誰が来るかは運次第じゃがのう。まァ、バーソロミュー・くまならおるじゃろうが」

 海賊は気紛れな連中が多くていかん、と大げさに首を横に振った海賊の言葉に、ええと、とナマエはちいさく声を漏らした。
 何かを考えるようにその目が少しだけさ迷って、離れた場所で酒を飲みかわすエースの姿をその視界に捉え、それからそろりとその唇が言葉を零す。

「ジンベエさん、あの……」

 そうしてそれからひっそりと寄越された小さな声に、そうか、とジンベエが笑った。







 ぷんと酒の匂いがする。

「エース、もう、ちょっと飲みすぎなんじゃないか」

「んあ」

 強い酒を飲んだのか全身真っ赤になってしまったエースを見下ろして、彼を壁際へと引きずったナマエは、水の入ったボトルを手にしてその側へと座り込んだ。
 水でも飲んでと言葉を零しながらボトルのコルクを抜いて差し出せば、エースの手がゆらりと伸びる。
 けれども水を受け取るでもなく、その掌がつかんだのはナマエの腕で、目を丸くしたナマエのそばで酔っ払いがその目を開いた。

「ジンベエは?」

「え? ああ、ジンベエさんなら、あっちで」

 問われた言葉に返事をして、ナマエの空いた手が噂の海賊の所在を示す。
 オヤジさんと呼ぶ相手に呼び寄せられた海侠のジンベエは、今はナマエやエースたちの誇る船長の傍らで酒を飲んでいる。
 先ほどより顔が赤いので、おそらくすっかり酔いが回っているだろう。
 大きな杯を交わしている相手をなんとなく見ていたナマエの体に、どすりとエースの体が押し付けられる。

「エース?」

 ぐいぐいと体重をかけてくる相手に声を掛けつつ、ナマエの視線がエースへと戻された。

「さっき」

「うん?」

「さっき、何話してたんだよ」

 詰問するように言葉を零して、近い距離からエースがナマエの顔を見上げる。
 完全に酔っぱらっている相手の視線を受け止めてナマエが瞬きをすると、楽しそうに笑ってただろ、とエースが言葉を紡いだ。
 確かに笑っていた気はするが、そんなに大きな声を出したつもりもない。
 たまたまこっちを見た時だったのかな、なんてことを考えつつ、ナマエはエースのほうへと軽く体を押しつけた。

「サインしてもらってたんだ、ほら」

 持って歩いている手配書を広げて見せれば、今はもう取り下げられた海侠のジンベエの賞金額と、その傍に記された文字が写真と共に月明りに触れる。
 ああなるほど、とエースがそれに納得の声を漏らしたのは、ナマエがそうやってあちこちの海賊にサインをねだっていることは、船の上では周知の事実だったからだ。
 何より、ナマエに一番最初にサインをくれたのは、傍らの海賊だった。

『サインくれ』

『…………おう?』

 唐突なナマエの言葉に、不思議そうにしながらも応じてくれたエースがナマエを白ひげへと連れてきてから、ずいぶんと経つ。
 ナマエの収拾癖に不思議そうな顔をしながらも、エースはそれを止めたりはしないのだ。

『よくわかんねェけど、まだ集めるんなら、またおれが付き合ってやるよ』

 かつてそんな風に言ってくれたエースを見やって、ナマエの唇が笑みを浮かべる。

「あとエースの話とかしてた。この前赤髪のシャンクスのところに行ったのとか」

「……へー」

 ナマエが笑ったままで言葉を紡ぐと、それを見やったエースの唇にもつられたような笑みが浮かんで、ナマエの腕をつかんだままだった指が緩んだ。
 そのまま水のボトルを受け取って、ごくりと勢いよくそれを呷ったエースの体が更に傾ぎ、そのままナマエの膝を枕にするようにして横になる。

「エース、寝るんなら中入ろう」

「いーや、まだ飲むぞおれァ」

 はっきりと宣言されて、えー、と声を漏らしたナマエの手がエースの掌から傾いていたボトルを受け取った。
 ちゃぷりと中身を揺らしてから、すぐそばにそれを置く。
 それを目で見送ったエースは、どこかでまた誰かが歌いだしたのをその耳にして、同じ歌を口ずさみ始めた。
 楽しそうな酔っ払いのそれに、相手へ膝を貸したままのナマエも、耳で聞いて覚えたそれに合わせて軽く甲板を指で叩く。

『あの……誘ってくれて嬉しいんですけど、俺、エースと行きたいから』

 でもどこかで見かけたら味方してくださいねなんて、現金なお願いだけをしたナマエの言葉なんて知らないエースは、酔っ払いのままで少し音の外れた歌を歌っていた。


end


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