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全面降伏
※『天国で地獄』から続く短編シリーズ
※異世界トリップ系民間人とモモンガさん



『えーっと……あの……』

『どうかしたか』

 移民の手続きを受ける受付の近くで困った顔をしている相手に声を掛けたのが、モモンガとナマエの出会いだった。
 手続きかと尋ねたモモンガに頼ってきた頼りない青年は、それからもモモンガが見かける度に困った顔をしていた。
 それがついつい目に留まり、目の前の困難を片付ける手伝いをしてやっているうちに彼が友人となったのは、もはや数年も前のことだ。
 移民であるナマエももはやすっかりマリンフォードに慣れて、困った顔でモモンガへと頼ってくることもない。

『こんにちは、モモンガさん』

 それでも、警ら中だったりそれ以外での外出の最中だったりするモモンガを見かければ必ず声を掛けてくるのだから、相手もモモンガのことを友人として見てくれているだろう、とモモンガは思っている。
 そうでなければ今日だって、仕事帰りの一杯を誘ったモモンガについてきたりはしない筈だ。

「モモンガさん、お酒つよいですねえ……」

「ナマエはあまりつよくないようだな」

 感心したような言葉を寄越されて、モモンガはそう言って笑った。
 水の入ったグラスを側へと押しやれば、ありがとうございます、と少し舌をもつれさせて言葉を紡いだナマエの手がそれを受け取る。
 その顔はすっかり真っ赤になっていて、先ほど飲んだ酒が回っているらしいということは見てとれた。
 モモンガがナマエと酒を飲むのは、今日が初めてだ。
 幾度か約束を交わしたことはあったが、大体どちらかの都合で流れてしまっていた。
 けれども今日はお互いに滞りなく待ち合わせ出来て、モモンガが新兵時代によく利用していた酒場へとナマエをつれこんだのだ。
 初めて来たと周囲を物珍しげに見回していたナマエは、よく知らないからといってモモンガと同じ酒を頼んだのだが、どうやらモモンガに比べて酒に酔いやすいたちであったらしい。

「普段から飲んだりはしないのか」

「特別な日以外はあんまり……いつもはもう少しあまいの飲んでますし。あ、これおいしいです」

 顔を真っ赤にしたまま、そんな風に言ったナマエがつまみとして注文した料理を口にする。
 それならもう少し食べるといい、と笑ったモモンガが相手のほうへ皿を寄せると、モモンガさんも食べてください、とすぐそばから言葉が掛かった。

「すきっ腹に酒を入れるとすごく酔うんだって話ですよ」

「なるほど、すぐそばに実例がいたな」

「俺はちゃんと食べてます!」

 食べてなかったら倒れてたかもしれませんよ、と真面目な顔で言い放つ酔っ払いに、それはいかんな、とモモンガもあえて真面目な顔を作った。
 その手がフォークを操って、皿の上にあった肉を突き刺す。

「ほら、ナマエ」

「へ」

「もっと食べるように」

 驚きと戸惑いを混ぜた顔になったナマエへ向けて言い放ち、モモンガのフォークがそのままナマエの口へと肉を押し込む。
 モモンガに比べて小さな口にはあまりものが入らず、驚いたように身を引いたナマエが口元を手で隠すのを見やって満足げに頷いたモモンガは、自分の口にもつまみを運んだ。
 舌を撫でる脂の甘みを感じながら、先ほど注文した酒も呷る。
 喉の奥に落ちてすぐに通り抜けていった場所が燃え上がるような感覚は、モモンガが好んで飲む酒のそれだった。
 雑味を感じないようにと何も混ぜずに飲むのがモモンガの通常だったが、そういえば新兵のころはストレートで飲むことは少なかった気がする。
 ナマエには水割りを薦めるべきだったな、と己を顧みて反省したモモンガの横で、ナマエは口いっぱいに入った肉をどうにかかみしめているようだ。
 その体は日に焼けていて、出会った頃に比べればずいぶんとたくましくなっている。

「前に比べると、ずいぶん筋肉がついたな」

 ナマエのほうへ視線を戻してモモンガが呟くと、両手で口元を覆っていたナマエが、酒の回った赤ら顔の中で眉尻を下げた。
 どことなく困って見えるその顔には既視感があり、少しばかりそれに首を傾げたモモンガが、ああ、とわずかに声を漏らす。
 モモンガがナマエに声を掛けるようになった最初の頃、ナマエがよくやっていた表情だ。
 モモンガより年下で、どう考えても戦ったことのない民間人であるナマエは、故郷を無くしてこのマリンフォードへとたどりついたらしい。
 モモンガは詳しくその話を聞いたことはないが、故郷のことを尋ねただけで口が重くなり、帰りたくても帰れないのだと言われれば予想はつく。
 恐らく生活習慣もかなり違ったのだろう、日々を過ごすのに精一杯な様子のナマエは、よくそんな困った顔をしていた。
 そうして、身寄りすらいないこの島で一般人として生きていくうちに、じわじわとマリンフォードに慣れていった。
 今ではほとんど見なくなった表情を何とはなしに見つめていると、両手で口元を押さえたままのナマエが、ぱちぱちとせわしく瞬きをする。

「……あ、あの、モモンガさん?」

 どうにか口の中身を飲み込んだのか、手で口を押さえたまま問いかけるように名前を呼ばれて、モモンガは少しばかりの微笑みをその顔に浮かべた。

「いや。もうすっかり縁遠い顔だと思ってな」

「えんとおい?」

「まあ、気にするな」

 困惑が声ににじんだナマエへ笑いかけ、モモンガは軽くその背中を叩いた。
 歩いていた店員に声をかけ、今度は水割りを一杯頼んでから、すぐ横に座る友人へと視線を戻す。

「次はとりあえず水割りを飲むといい。ここの酒はどれもうまいぞ」

「こういうお酒のおいしさ、まだよくわからないんですけど」

 モモンガさんが言うんならそうなんでしょうね、と顔を真っ赤にしたままの酔っ払いが言葉を放った。
 なんともモモンガを信頼しきった友人の言葉に、こそばゆさすら感じたモモンガの口元が更に緩む。
 ナマエはどうも、頼られて手を貸しただけのモモンガを、とても信頼してくれている。
 海兵としての生活が長いモモンガが、海兵とのかかわりのない友人を作ることとなったのも、そうやって慕ってくれるナマエが近づいてくるのを拒絶することなど出来なかったからだ。
 背中に正義を背負うモモンガがそう言った風に慕われるのは今に始まったことでもないが、ナマエの眼差しは、何かがどことなく違っているような気もする。
 いくらモモンガが正義を担うものだったとしても、そこまで全面的に信頼して良いものではないだろう。

「ナマエはそのうち、私に騙されるな」

「え、モモンガさん、俺のことだますんですか」

 しみじみつぶやいたモモンガの傍で、ナマエが少しばかり目を丸くした。

「別にいいんですけど、おてやわらかにお願いしますね」

 けれどもすぐにそんな風に言い放って穏やかに笑うので、やはりモモンガはただただこそばゆい思いをしただけだった。


end


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