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鬼狩りの唄(1/5)



 夢の終わりはいつも、血と憎悪の匂いがする。



 俺の師は、かつては鬼狩りだったらしい。
 人を食らう鬼を退治する、その集団は鬼殺隊と言うらしく、そしてそこでの『仕事』が俺の師から利き腕を奪った。
 片腕でも途方もなく強い師は既に鬼狩りではないが、新たな鬼狩りを育てる育手であり、師に拾われた俺もまた、鬼狩りの道を選んだ。
 あえてわざわざ恐ろしい目に遭いに行く必要なんて無い筈なのに、それでも鬼狩りを選んだのは、俺を拾ってくれた大事な『父親』に幸せな眠りを約束したかったからだ。
 俺達の家の周りには藤が取り囲むように植えられていて、その藤が花を咲き乱れさせる時期だけが、俺達の師に安眠を与えている。

『どうしてふじが咲いているとぐっすり眠れるんですか、師匠』

 いい匂いだからだろうかと首をかしげて尋ねた幼い俺に、ははは、と笑った師が答えた。

『なるほど、確かにいい匂いだな。それに、鬼はこれが嫌いだから、花が咲いている間は絶対に近寄ってこない』

 俺達の師は『特別』で、鬼につけ狙われることが多かったらしい。
 かつてはその血で鬼を引き寄せて鬼を狩る、なんて言う恐ろしいことをしていたと聞いた。
 今は俺達を育てるために、その香りをごまかして鬼の鼻を欺いているが、それでも夜中にはふとした物音で起きる人だった。
 それならば、ぐっすりと安らかに眠るためには、この世から鬼がいなくなればいいのだ。
 短絡的で幼稚な考えで志願した俺に師は困った顔をしたが、その気持ちが嬉しいよとその片腕で抱きしめてくれた。
 師にはすでに別の弟子がいて、俺よりいくらか年上の『兄』は、俺と同じように師に拾われた孤児だった。

『どうしてこんなことも出来ないんだ、まったく』

 あまり出来の良くない俺を時たま呆れたような声でそう詰っては、仕方ないなと言って手を貸してくれる人だった。
 日に焼けた髪は日の下にいる証で、両手のたくさんの肉刺や傷跡は、すなわちあの人が俺よりも途方もなく修練を積んでいた証だ。年上なのを差し引いても俺より強く、自信に満ちていて、俺は『兄』のことも大好きだった。
 俺より先に『最終選別』を抜け、間違いなく鬼狩りとなったあの人が死んだと聞かされたのは、俺が『最終選別』へ行っていいと許可を貰った翌日だ。
 俺も師も泣きに泣いて、師は俺への許可を取り消そうとして、けれども仇を取りたいと願った俺はそれを拒絶した。
 鬼に食われれば、もはや骨すら手元へ戻ってはこない。
 泣くだけ泣いて瞼が腫れて、泣かずに一日を過ごせるようになった頃に、『兄』の墓を建てた。
 藤の根を傷つける事だけは避けたくて、家から少し離れた場所に作ったそれには、『兄』の名前を彫り込んであった。

「……明日、いよいよ最終選別です」

 夜明けにはまだほど遠い時刻、暗闇に慣れた目で目の前の墓石を見つめながら、俺は兄に向けて語りかけた。
 『兄』が死んだと教えられて、もう一か月だ。
 あの兄弟子ですら殺されるような『鬼』に、立ち向かっていけるのかと考えると正直怖ろしい。
 しかしそれでも、やはり俺は、『兄』を殺した鬼を倒したかった。
 そしてできればこの世の鬼をすべて倒して、またあの藤の咲く家で師と共に過ごすのだ。

「……兄さん、その時はもう少し近くに墓を移しますから、それまで」

「誰の墓だ?」

 そろりと言葉を零したところで、ふと頭の上から声がする。
 その唐突さにではなく、その『聞き覚え』のある音に驚いて顔をあげた俺は、いつの間にやら墓石の向こう側に立っていた相手に大きく目を見開いた。

「にい……さん……?」

 思わず呟くと、応、と返事が寄越される。
 闇に慣れた目は星明りでも十二分にその姿を映し出し、いささか日に焼けた髪も、知っているその顔もはっきりと分かった。
 俺の目の前に立っているその人は、誰がどう見ても『兄』だった。

「兄さん! 死んだって……!」

 鬼殺隊からの知らせが、誤りだったのだ。
 あまりの喜びに、夜だというのも忘れて声を張り上げてしまい、響いたそれに気付いたらしい師が家を出てきた。

「どうしたんだい、ナマエ。夜に騒ぐものじゃない」

 早くお入り、なんて言いながら近寄ってくるのが分かり、俺は慌てて立ち上がった。
 片手で『兄』の服の裾を掴んで、引っ張りながら後ろを振り向く。

「兄さんが帰ってきたんだ! ほら! あの鎹鴉、誰かと兄さんを間違えていたんですよ!」

 声を上げ、見てくれと自分の後ろを示しながら見やった先で、師もまた驚きに体を強張らせていた。
 しかし俺と違ったのは、どうしてかすぐさま恐ろしい顔をして、こちらへと駆けてきたことだ。

「え?」

 放たれた呼吸音に目を見開いた俺の視界に、いつだって手放さない腰の剣に手を掛けた師が映る。
 一言の怒号もなく、鋭く放たれた剣が俺の真横を通り抜けて、俺が掴んでいた裾がふっと張るのを止めた。
 困惑と共に視線を送った俺の体が、師の足で横に蹴飛ばされる。
 ひどい攻撃に体が地面を弾み、今までの訓練の通りにすぐさま起き上がった。

「な、なにを……、……!?」

 不当な攻撃に批難の声を上げかけた俺の目に、師と対峙する『兄』の姿が映る。
 しかしそれは本当に、俺達の良く知る『兄』だろうか。
 瞳が血走り、肌に血管のようなものが浮き出て、服の下でめきりとその体が蠢く。唇から見たこともないような鋭い歯が覗き、晒された爪が尖っている。
 やがて腕が一本、二本と増えたのか、両腕と同じ袖口から拳が一つずつ生えた。

「……何人喰った!」

「ほんの少しですよ、鬼に腹を裂かれたもので」

 師の怒鳴り声を気にした様子もなくそう言い返して、『兄』だったものが掌の一つで自分の腹を示した。
 言葉の意味を理解したくなくて、ただ困惑して見つめる俺をよそに、一振りの日輪刀を構えた師が、じり、と草履を鳴らして俺をその背中に庇った。

「あ……ああ……っ」

 目の前の事実に、体が震えるのを止められない。
 鬼は、人から成る。
 人を鬼に変える血を持つ鬼がいて、運悪くそいつの眼鏡に適ってしまった人間が、そうされてしまう。
 鬼は人を喰らうからこそ、鬼狩りは鬼を狩らなくてはならない。
 けれどもその鬼狩りが、鬼となることすらもあるのだと。

「何十人も殺して喰うより、もっといい方法があったと思い出して帰ってきたんです、師匠」

 歌うように言葉を操って、四つ腕を構えた鬼が、師を見つめた。



「稀血。ぜひとも口にしたい」



 はっきりとした声音とぎらつく眼差しが、師を見ている。
 自分に向けられたわけでもないのに、捕食者の眼差しに、俺は背中が粟立つのを感じた。









「……ああ、夢か」

 ふと目を開いてしばし、自分の目の前にあるのが古びた梁だという事実にゆっくりと瞬きをしてから、俺は体を起こした。
 見やった庭には藤が咲き乱れていて、いくらこの季節だからと言って無防備に眠りすぎだろう、と軽く頭を掻く。
 今先ほどまで味わっていた恐怖が体を強張らせているようで、自分の手元を見下ろしてゆっくりと拳を握り、それからまたゆっくりと開いた。
 あれはもはや、数年も前の話だった。
 この家の主だった俺の師は『稀血』と呼ばれる血の持ち主で、鬼からすれば随分と栄養価の高いものであるらしい。
 一人喰らうだけで、大勢の普通の人間を喰うのと同等の栄養を得るというそれを、あの日俺の『兄』だったあの鬼は俺の目の前で喰らった。
 本当だったら俺も同じく喰われる運命だったはずが、腹のくちくなったらしい『兄』に見逃された。

『全く、鬼の前でそう震えてどうするんだ』

 かつての『兄』の声と口調で、しかし隠しきれぬ嘲笑を滲ませてそう言いながら蹴り飛ばされて、気絶した俺が目を覚ました時には、鬼殺隊の人間に保護されていた。
 俺の師を喰った鬼は何処かへ逃げてしまい、その風体を問われた。稀血が喰われたということは、下手をすれば強力な鬼が生まれてしまったかもしれないという事だからだ。
 言葉で説明すれば説明するほど、あれが『兄』だったという事実を示すだけだった。
 声も見た目も何もかも、あの鬼は俺の『兄』だった。
 けれどもあの鬼は、俺の目の前で俺達の師を殺して喰った。
 憎悪と言うものは、生きていくための力になる。
 それを身をもって知った俺が、死に物狂いで鬼殺隊へと入って、もう数年。
 『兄』と同じ顔をしたあの鬼の噂は、いまだに聞かない。
 絶対にこの手で殺すと決めている、たった一匹の鬼だ。

「……さて、と」

 昨日は久しぶりに、この家へと足を運んだのだった。
 藤の季節だからこそ、万が一にも鬼は現れない。家屋は長らく放置していたから随分と汚れていて、昨日は掃除だけで一日を使ってしまった。
 明日の朝には発つのだから、師の墓に手を合わせに行こうかと、のそりと立ち上がった俺の耳に、不意にばきりととてつもなく大きな音がする。

「!?」

 驚いて振り向けば、藤の木と木の間に、何やら桃色の塊が挟まっていた。
 高いところから降ってきたのだろう、藤の枝を少し折っていて、花びらが憐れなほど散っている。
 桃の皮の色をしたそれはどう見ても鳥の羽の寄せ集めだが、あんなにも鮮やかな色をした鳥はついぞ見たことがない。
 どんな姿をしているのだろうかと少しだけ気になって、俺はそろりと庭へ出た。
 日差しは温かく、藤の木々を照らしている。今日もいい天気だ。
 そろそろと足音を忍ばせながら近付き、そうっとその姿を覗き見ようと首を伸ばしたところで、俺は自分の勘違いに気が付いた。

「……人?」

 何と言うことだろうか。空から降ってきたのは人間だったらしい。
 金色の髪をしている。いつだったか、雷に打たれてこの色の髪になった弟分がいるという鬼狩りがいたのを思い出した。この人も雷に打たれたのだろうか。顔立ちは、隠れていてほとんど分からない。
 それにしても、随分と体の大きな相手だ。この桃色の羽根は着物だったのか。まさかその体から生えているのだろうか。
 そうだとすれば異形の鬼かとわずかに身を引き、それは無いかと考えなおす。今は日中、ましてやここには藤が咲き乱れている。鬼が現れることはありえない。

「……もしもし」

 ひとまず傍らに屈みこみ、俺はそっと羽根の寄せ集めに手を触れた。もそりと蠢く音を聞きながら、ぐいぐいと相手を揺さぶる。

「もしもし、どうなさったのですか。大丈夫ですか?」

 どうやってどれほどの高さから降ってきたのかも分からないが、随分と派手な音が鳴っていた。どこか痛めているなら手当てを施すべきだろうと考えての俺の声に、うう、と低い声が返る。
 やがて、ゆっくりと相手が起き上がった。
 やはり桃色の鳥の羽根は着物だったらしく、洋装の上にその一風変わった服を着込んだ相手は、おかしな形の眼鏡で目元を隠していた。目の色も形も分からないそれは、まるでそれ自体が相手の目のようなおかしさで、思わずじっと見つめてしまう。
 しばらく俺のことを見つめた相手は、何かを少しばかり考えた後で、おい、と声を漏らした。


「ここはどこだ? テメェは誰だ。おれをどうやって連れてきた」


 明らかに敵対した相手へ向ける声音で、そんな風に言われて思わず身を竦める。
 それが、俺と、『どんきほーて・どふらみんご』と言うらしい男との出会いだった。



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