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他愛もない奇跡の話 (2/3)

「……こりゃ……海楼石だよい」

 間違いねェ、と続く言葉に、そうだったのか、と声を漏らしたハルタが身を乗り出して、マルコの手から袋を奪い取る。
 抵抗しなかったマルコの手から攫われたそれがしっかりと口を締められて、その中でじゃり、と小さく音を立てた。

「それじゃ、海楼石のせいでナマエが『見える』ようになったってこと?」

「……いや、そりゃねェよい。前に試した」

 なあナマエ、とゆっくり姿勢を戻しながら声を掛けられて、うん、とナマエは頷いた。
 そして返事の代わりに、先程と同じようにカップを手に取って、今度は二回テーブルを叩く。
 海軍の軍艦を襲った時に手に入れたと言う海楼石の手錠を手に乗せられたのはもう随分と前だが、その時だってナマエはマルコの目には映らなかったのだ。
 ふうん、と声を漏らしてから、自分の手元を見下ろしたハルタが、先程閉じた袋の口をひょいと開いた。

「はい、ナマエ」

「え?」

 そうして袋を差し出されて、カップを手放したナマエが目を丸くする。
 ナマエが立っているのとは少しずれた方向へ視線を向けながら、手ェ出してよ、と言葉を零したハルタの手が、ゆっくりと袋を傾けた。

「あと五秒で落とすよ。ごー、よん、さん、にー、いち」

「わ、ちょっとっ」

 滑らかに数を数えながらくるりと袋を逆さにされて、思わずナマエの両手がその下へと差し入れられる。
 ざららら、と袋から零れた海楼石の砂がナマエの掌の上へと注がれて、目の粗いそれが軽くこすれた音を零した。
 すぐに袋の向きを戻した後で、自分が先ほどまで袋を傾けていた場所を確認したハルタが、うーん、と声を漏らしてから眉を寄せる。

「……消えたってことは、受け止めてるってことだよね?」

「そうなるだろうねい」

 ハルタの言葉に頷いて、もう一度ハルタの方へ手を伸ばしたマルコが、袋をひょいと取り上げた。
 そうして口を開かれて、ナマエが恐る恐るそちらへ手を近付ける。
 めいいっぱい袋を開いているマルコの指に触れないよう、少しずつ少しずつ海楼石の破片たちを戻していくナマエをよそに、えー、とハルタがつまらなそうに呟いた。

「それじゃ、これでも無いんだ。残念」

「他に、何かきっかけでもあったのかねい」

 あーあ、と机に懐いたハルタの向かいで呟いたマルコが、手元の袋へ砂を落としていくナマエのいる辺りを見やって、どうだよい、と言葉を紡ぐ。

「心当たりはあるかい、ナマエ」

「いや……無いよ」

 そろそろと砂を落としながら返事をしたものの、ナマエの言葉はやはりマルコ達へは伝わっていないようだった。







 結局原因は何も分からないままで、現状維持となったナマエはいつもの通り、マルコの周りをうろついて過ごしていた。
 今までとの違いは、『噂のナマエを見た』と酒の席で自慢したハルタの証言に基づいて描かれたらしいよく分からない似顔絵が、時々マルコの部屋へと持ち込まれるようになったくらいだ。
 もう鏡を見なくなって久しいのでよく分からないが、これが一番近いとマルコが認定した一枚が、よくナマエが座る椅子の上に置かれている。
 そういった分野が得意なクルーが描いたらしいそれを見下ろして、何となくくすぐったい気持ちになりながらひょいと額入りのそれを持ち上げたナマエは、かたりと鳴った音に視線を向けてから、あれ、と目を丸くした。

「マルコ、どこか出かけるのか?」

 誰にも聞こえぬまま問いかけた先で、マルコが椅子から立ち上がっている。
 先ほどまで触っていた書類は机の端に置かれていて、それからちらりとナマエの前の椅子の方を見やったマルコが、軽く伸びをした。

「ちっと休憩するよい。ナマエ、お前も付き合うかい」

「いいのか?」

 寄越された問いに言葉を零しながら、ナマエの手が椅子の上に『似顔絵』を戻す。
 それから、椅子の横のテーブルを置かれていたペンでこつこつと二回叩くと、それじゃあ釣りにでも行くかねい、と呟いたマルコが歩き出した。
 慌ててそれを追いかけて、ナマエがマルコの隣を歩く。

「釣りなんて初めてかも。あ、でも、俺が釣竿使ってもいいのか?」

 独り言にしかならないそんな言葉をナマエが零したところで、道具置き場に到着したマルコがさっさと室内に入り込み、ひょいと釣竿を二本手に取った。

「ほら、ナマエ」

 受け取れ、とばかりに明後日の方向へと差し出されて、ナマエの手がそれを受け取る。
 あまり重たくないそれを持ち上げると、マルコの視界から消えたのか、その視線がナマエの手にある釣竿から離された。

「それはお前んだから、もし一人で釣りがしたくなった時にはそれ使え」

「……え、俺の?」

 放たれた言葉に、ナマエが慌てて手元を見やる。
 言われて見れば確かに、マルコがナマエへ手渡したそれは真新しかった。
 ナマエの手にしっくりくる大きさなのは、一度ナマエの姿を目にしたマルコが選んでくれたからだろうか。
 ぱちぱちと瞬きをしているナマエの前で、おれがいない時の暇潰しにでもしろよい、なんて言ったマルコが笑う。
 それから自分の釣竿と餌入りのバケツまで片手に持って歩き出したマルコに、ナマエもすぐさまその後を追いかけた。

「マ、マルコ」

 後ろから声をかけても、マルコは返事をしない。なぜなら、その目にはナマエの姿が見えず、その耳にナマエの声が届かないからだ。
 だと言うのに、わざわざナマエの為に暇つぶしの道具まで用意してくれた相手に、その後ろを歩きながらナマエの口元がへらりと弛んだ。
 その手がしっかりと釣竿を握りしめて、とても嬉しそうにその口が言葉を紡ぐ。

「その……大事にするよ。ありがとうな、マルコ」

 礼を言って傍らに並んだナマエが見やった先で、マルコはいつも通りの顔をしていた。





 


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