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ある日の偶然の話 (2/2)
「不思議そうな顔をしてやがるな、能力者の坊主」

 言葉を寄越して、男の手がサーベルを軽く振り上げる。
 ぎらりと鈍く光る凶器に、ナマエの体がびくりと竦んだ。

「この世には海楼石っつう能力者の天敵があるんだ。来世では気をつけな」

 言い放ち、男の手が強くサーベルを握る。

「てめェ!!」

 それが思い切り振り降ろされるのを阻止したのは、声を上げながら男へと突進してきた誰かだった。
 それに気づいて男が後ろを振り返り、ナマエへ振り降ろすところだった剣をがきんとその誰かの剣に当てる。
 大柄な彼の後ろから見えたのはハルタの姿で、剣を構えたハルタがすぐさま男の体をぐっと押し込み、男はハルタとともにナマエのそばを通過した。

「ちょっと、どこの隊?! そんなところで座ってないで、こいつは任せて甲板になり奥になり行きな!」

 ちらりとナマエを見やってから寄越されたハルタの言葉に、ナマエは慌てて立ち上がる。
 じくじくと痛む肩を抑えながら、男と争うハルタを見て、どうやらハルタにも自分は見えるらしい、とナマエは判断した。
 その頭からざらりと『砂』が落ちて、目に入りそうだったそれを慌てて避ける。
 それから自分の体についているそれを少しばかりつまんで、ナマエはしげしげとそれを見下ろした。
 ざらついたそれは、随分と目の粗い砂に見える。
 先ほどの男の言葉を信じるなら、もしやこれは『海楼石』でできているのだろうか。
 しかし、マルコが一度、ナマエの『それ』は悪魔の実の能力によるものではないかと言って、海楼石を触らせてきたことがある。
 その時は何も起きなかったというのに、あの時と今と、一体何が違うのだろう。
 右目が痛くて開けられない。涙がにじんできている気がする。
 口の中に入り込んだものも吐き出したいが、目や口を漱ぐ時間もなさそうだとそれを諦めて、服の袖口で突き出した舌を大雑把に拭ったナマエは、ちらりと通路の奥を見やった。
 ナマエより奥側で戦っているハルタは、それほど苦戦している様子も無い。
 それどころか、ちらちらとナマエの方を見やる余裕があるらしく、早くしろとナマエの移動を急かしてくる。
 争う二人に近付くことが出来ず、頷いたナマエは、慌ててそのまま甲板の方へと駆け出した。
 通路から飛び出してきたナマエの目に、いつもの広い甲板と、そこで争う海賊達の姿が見える。

「うわ……っ」

 その状態にわずかに後退して、ナマエはその背中を通路わきの壁へと押し付けた。
 あちこちで、怒号や悲鳴が飛び交っている。
 ナマエの知っている顔ぶれが、知らない顔ぶれを叩きのめしていた。
 倒れている海賊達を見るに、この分だともうすぐこの海戦も終了するだろう。
 それまでやっぱり通路の入り口にでも隠れていようと心に決めて、ナマエはそっとその恐ろしい場所から逃げ出すために足を動かす。
 その足が止まったのは、視界の端に青い光が見えたからだった。
 それと同時にがしりと左肩を掴まれて、ぐいと後ろに引っ張られて体が傾ぐ。

「い……っ!」

「てめェ、何入ろうとしてんだよい」

 どかりと床に転がされて顔を上げたナマエを、殆ど真上から見下ろしているのは体の一部を青い炎に変えた不死鳥『マルコ』だった。
 その目がじとりと見下ろしてくるのを受け止めて、ナマエはぱちりと瞬きをする。
 こんなにもまっすぐに、目が合ったのはこの世界に来て初めてのことかもしれない。
 そう思えるほどまっすぐなその視線が、ナマエの顔を見つめている。

「……マルコ?」

 思わず視線を向けて呟けば、おれを知ってんのかい、と呟いたマルコの視線がきょろりと周囲を見回す。

「ったく、血の気の多いやつを見張りにすると見張りの意味がねェない。あとでハルタに叱らせねェと」

 そんな風に呟いたマルコを見上げてから、ナマエはそっと身を起こした。
 身じろいだナマエに気付いて、マルコの視線が再びナマエを見下ろす。
 右肩を抑えて、痛む右目を閉じたままマルコを見上げたナマエは、恐る恐る口を動かした。

「……あの……俺が、見えるのか?」

「? 何わけのわからねェこと言ってんだよい」

 ナマエの問いかけに、マルコが不審そうな顔をする。
 それを見上げて、ナマエの口から小さくため息が漏れた。
 マルコが自分を見下ろしている。
 マルコと会話が成立している。
 先ほど、マルコに触れられることもできるということも分かった。
 一体何がどうしてそうなったのかは分からないが、侵入者の男やハルタに見えていると知った時には感じなかった喜びに、こんな恐ろしい状況だというのに顔がゆるんだのをナマエは自覚する。
 痛みのせいで出ていたのとは違う涙が少しばかりあふれて、堪え切れなくなった右目から零れたそれがぼろりと頬を伝って下へ落ちたのを感じた。
 それと同時に、じくじくと痛んでいる肩と右目から痛みが引いていく。
 それに気付いて戸惑った顔をしたナマエの真上で、ナマエを見下ろしていたマルコが、驚いたように目を丸くした。
 その様子に首を傾げてから、ナマエは自分の体を見下ろす。
 何の変哲もない恰好だが、おかしなことに、右肩に受けていた傷が跡形もなく消えていた。
 服にはもはや、汚れも破れも見当たらない。
 どうしてか自分の体の下にはざらざらとした砂が大量に落ちているが、ただそれだけだ。

「……あれ?」

 小さく声を漏らしたナマエの視界に、近づいてきた掌が入り込む。
 視線を送った先にいたのはマルコで、どうやらナマエに手を差し伸べてきたらしいマルコの指先が、少しばかりナマエの頬に埋まっていた。

「え…………」

 触れることが出来なくなっている、と気付いて、ナマエがぱちぱちと瞬きをする。
 つい先ほど、無造作にナマエに触れたはずの大きな掌をじっと見つめても、マルコの指がナマエの体に触れることはできなかった。
 ゆっくりと手を動かしたナマエの指が、晒されている掌に触れれば、びくりと大きなその手が震える。
 そのままナマエの手を握りしめようとして、けれどもできずに空を掻いたマルコの手を見やってから、ナマエはがくりと肩を落とした。
 どうやら、ナマエの体は元通りになってしまったらしい。
 今のナマエはマルコに見えないし、聞こえないし、触れてもらうこともできない。
 一体どうしてなのか、それすら分からないナマエが見上げた先で、戸惑い交じりの顔でナマエのいるあたりを見下ろしたマルコが、ぽつりと呟いた。

「…………ナマエ、かい?」

 寄越された囁き声に、うん、と頷いてから、けれどもこれでは伝わらないかもしれないと気付いて、ナマエは慌てて周囲を見回す。
 けれども手近な場所には物など落ちておらず、だから仕方なく、伸ばしたナマエの手は遠慮がちにマルコの履いている衣類の端を掴まえた。
 くいくい、と二回控えめにひっぱれば、返事を受け取ったマルコの顔に驚きが広がる。
 それから少しばかり時間を置いて、ばつの悪そうな顔をしたマルコが、軽く自分の頭を掻いた。

「あー……侵入者扱いして悪かったよい」

 そんな風に優しげな声が紡いだ言葉が、その場に落ちる。
 それを聞いて、そういえばマルコと顔を合わせたことなど一度も無かったのだ、とナマエは今さら気が付いた。
 この世界に来てから今まで、ナマエはそういう体になっていたのだから仕方ない話だ。

「いいよ、気にしないで」

 だからそう返事をして、慰める代わりにもう一度マルコの衣類の裾を二回引く。
 簡単な会話しかできなくなったその状態で、ナマエはもう一度マルコを見上げた。
 ほんの少しの時間であっても、視認してもらえたのはよかったことなのかもしれない。
 それに、目の前で消えたからかもしれないが、マルコはすぐに、ナマエが『ナマエ』だと分かってくれた。
  姿も見えず声も聞こえず触れもしないナマエのことを、この船で一番最初に認識してくれたマルコは、いつだってそうだ。
 ちゃんとそこに『ナマエ』がいるものとして扱ってくれる。
 誰にも見つけて貰えなかった時間を思えば、それがどれだけ素晴らしいことなのかなんて、考えるまでもないことだった。
 少しの間見えるようになっていた理由は分からないが、マルコがこれからも分かってくれるのならそれで構わないかと、そんなことを考えたナマエの顔に笑みが浮かぶ。
 見上げた先で、少し困った顔をしたマルコが、それにしても、と呟いてから小さく笑った。

「……お前、あんな顔してたんだねい」

 そんな風にマルコが呟いたちょうどその時、海戦がほとんど勝利に近い状況になったらしく、モビーディック号のどこかで誰かの歓声が上がっていた。



end



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