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ある日の偶然の話 (1/2)
※幽霊のような、そうでないような主人公
※若干のバイオレンス要素有?
※名無しオリキャラ出現につき注意





 ここがどういった世界なのかを、ナマエは知っている。
 海にはクジラより大きい『海王類』と呼ばれる生物が多数生息していて、海賊や悪魔の実と言った本来ならあり得ないものがある。
 いわゆる異世界と呼ぶべきその世界は、けれどもナマエが『知っている』世界だった。
 漫画として読んでいた『その世界』に入り込んでしまっているのだと、意識したのはもう随分と前の話だ。

「マルコー」

 誰にも聞こえない声で呼びかけながら、今日もナマエはその部屋の扉を開いた。
 がちゃりと開いてぱたんと閉じた扉の方を見やった部屋の主が、ん、と声を漏らしてその顔に笑みを浮かべる。

「ナマエかい」

「おはよう、マルコ」

 寄越された言葉にそう言いながら、ナマエは近寄った机の隅に置かれていた物を持ち上げて机を二回叩いた。
 ナマエの姿は、このモビーディック号の誰にも視認することが出来ない。
 恐らくは、この世界の誰にも出来ないだろう。声も同様だ。
 相手からは触れることもできないナマエの存在に、この船の上で一番最初に気付いたのは、今、ナマエの目の前で椅子に座っている彼だった。
 それがどうしようもなく嬉しかったから、それからナマエはずっとマルコの近くをうろついている。
 最初はマルコがおかしくなったのだと声を零すクルーもいたが、マルコの近くに『誰か』がいるのだと言われ始めてから、ここ最近では『モビーディック号にもう一人誰かが乗っている』という状態に船の上の全員が慣れつつあった。
 ナマエの姿は誰にも見えない。
 ナマエの声は誰にも聞こえない。
 ナマエから触れた時を除いて、ナマエには誰も触れられない。
 なのに、白ひげ海賊団はナマエと言う存在を受け入れてくれている。
 嬉しいことだと微笑みを浮かべて、ナマエの手が持ってきたものを机の端に置く。
 マルコあてだとメモの貼られたそれが机の上に『現れた』のを見やって、持ってきてくれたのかい、とマルコが呟いた。

「うん。それ、また本か?」

 聞こえはしない声で尋ねるナマエの前で、マルコがびりびりと包装を剥がす。
 そこから出てきたのはナマエが予想した通りの本で、ぱらりと中身をめくったマルコが、よしと頷いてそれを机の上に改めて置いた。

「ちゃんとおれのだ、ありがとうよい、ナマエ」

 優しい笑顔を浮かべて、ナマエがいるあたりを見やりながらマルコが言う。
 姿も見えず声も聞こえず触れもしないナマエのことを、この船で一番最初に認識してくれたマルコは、いつだってそうだ。
 ちゃんとそこに『ナマエ』がいるものとして扱ってくれる。
 誰にも見つけて貰えなかった時間を思えば、それがどれだけ素晴らしいことなのかなんて、考えるまでもない。
 先ほどの質問の答えを貰えてはいないものの、向けられた笑顔が嬉しくて、どういたしまして、とナマエも笑った。









 ナマエが乗っているのは海賊船だ。
 四皇と呼ばれる白ひげの旗を掲げてはいるが、それがどんなシンボルだとしても、安心して航海することなどできない程度には、この海は危険に満ちている。
 今日もまた、どこかの海賊が白ひげ海賊団に珍しく海戦を仕掛けてきたところだった。
 甲板の方向から聞こえる怒号やらを聞きながら、ナマエは小さく息を吐いて通路に佇む。
 今ナマエが立っているのは、甲板から船内へつながる唯一の通路だ。
 もう少し先へ行けば甲板での争いが見えるのだろうが、そこまで行く度胸がナマエにはなかった。
 ナマエは暴力が苦手だ。日本という平和な世界に置いて、それはナマエから離れた場所にあるものだった。
 けれどもこの世界の海賊たちにとっては、随分と身近なものだ。
 ぞわぞわとした感覚をどうにか体に力を入れることで追い払おうとしながら、ナマエの視線が少し不安げに、マルコ達が飛び出していった方向を見やる。
 その視界に、ふと人影が入り込んだ。

「…………ん?」

 ゆらりと船内に入り込んできた人影に、ナマエは首を傾げる。
 周囲を警戒しながらギラついた目を血走らせて、歩いてきた男は片手にサーベルを持ち、もう片手に何か小さな袋を握りしめていた。
 誰だろうかと、ナマエはナマエに気付かず近づいてくる男をじっと見つめる。
 たくさんいるモビーディック号の人間の顔を覚えるのは至難の業で、ナマエはまだ全員の名前を覚えてはいない。だから、名前が分からない誰かがいても、それは仕方の無いことだ。
 けれども、今前方から歩いてくる男は、ナマエが一度も見たことの無い顔をしていた。
 そう考えて至った相手の仮定の『正体』に、まさか、とナマエの背中が冷汗をかく。
 その手が男を突き飛ばそうと動くより早く、きゃあ! とナマエの後ろから悲鳴が上がった。
 慌ててナマエが振り向けば、怯えた顔をしたナースが一人、驚いた顔をして後ずさっている。
 先日の島でこの船に乗り込んだ彼女は、まだまだ若くて可愛らしく、いつも一生懸命働いているその両手には、今、どうやらすぐそこの倉庫から取り出してきたらしい箱を抱えていた。
 それを見てからすぐに正面を向いたナマエは、目の前の男がにやりと笑ったのを見て、自分の先ほどの考えが間違いではないと理解する。
 この男は、『侵入者』だ。
 そう気付いた時には、ナマエはサーベルを持ったまま駆け出そうとした男とナースの間に入り込んで、その両手で思い切り目の前の男の体を突き飛ばしていた。
 ナマエの姿など見えない男が、突然与えられた攻撃に驚いた顔をして、そのまま後ろへ倒れ込む。

「な、なんだ!?」

 驚いたような声を零して、身を起こした男が目の前のナマエが立っている辺りを凝視した。
 けれども、男には自分が見えないと分かっているので、ナマエはすたすたと男へ近づく。

「いつもは入り口の見張りもいるのに、どうやってきたんだよ、お前」

 聞こえないと分かっていながらそう尋ねて、ナマエは体を起こしていた男の肩口をもう一度突き飛ばした。
 唐突すぎる動きに全く対処が出来なかったらしい男が、がくんと体を後ろへ傾がせる。

「何かいやがるのか……!?」

 床に背中を付けた後、そう唸った男はすばやく立ち上がり、目の前へやみくもにサーベルを振るった。
 ぶんぶんと動くそれに思わず目を閉じて身を竦ませたものの、ナマエの体には痛みの一つも無い。
 それを把握して目を開けたナマエは、自分の体からサーベルの刀身が生えているという何とも恐ろしい状況を目にして、その口からため息を吐いた。
 振り抜かれた手を追いかけるように伸ばしたその手で、ばちんと男の手を軽く叩く。
 ナマエの力は、この世界で比較すれば非力な方だったが、突然手に与えられた攻撃に男が体を強張らせたのが分かった。
 更に何度かサーベルを振るって、けれどもそのどれもナマエに当てることのできなかった男の顔が、どんどん青ざめていく。

「くそ……っ! 悪魔の実の能力者か!?」

 呟いた男の手が、サーベルを持っているのとは逆の手で握りしめているものを自分の胸元へと引き寄せた。
 これを使うのは『奴』にと決めていたが、などと呟く男の言葉に、ナマエが首を傾げる。
 一体何の話だと、そうナマエが尋ねようと口を開いたちょうどその時、男は手に持っていた袋の中身をその場にぶちまけた。

「うわっ!?」

 思い切りかけられたものに、ナマエが身を竦ませる。
 ざらりとしたものが口に入り込んで、どうやらそれが砂のようなものらしい、と判断したのと殆ど同じ瞬間に、体にもそれが纏いついた。
 右目に入り込んだそれがもたらす痛みに顔をしかめながら、あれ、とナマエは戸惑いを浮かべる。
 何かがおかしい。
 サーベルすら貫くことのできなかったナマエへ、どうしてただの『砂』が触れているのか。
 片手で右目を抑えたまま、ナマエはその視線を目の前の相手へと向けた。
 先ほどまでと違い、まっすぐにナマエを見下ろした男が、先ほどナースを見つけた時より凶悪な顔で笑う。

「何だ、チビだな」

 寄越された言葉にナマエが動揺するより早く、男のサーベルがふるわれて、思わず避けたナマエの肩口をざくりと刺した。

「あ……っ!?」

 衝撃を受けて悲鳴を上げ、右目を抑えていた手を肩口にやったナマエが、その場に膝をつく。
 どくどくと心臓のなる音を聞きながら、今の自分の状況がナマエには今一つよく分からなかった。
 いつもなら、サーベルはナマエの肩口などとらえられないはずだ。
 ナマエは誰にも見えない。
 ナマエの声は誰にも聞こえない。
 ナマエから触れるのではない限り、誰もナマエには触れられない。
 それがこの世界に来てからのナマエの『常識』だったのだ。
 だというのに、これでは、まるで、とナマエの視線が男を見上げる。




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