十年一日 (2/2)
懐かしいことを思い出したのは、マルコがあの日買ったものと似た小魚の干物の詰め合わせが、店先に吊るされているのを見たからだった。
安価のそれを購入して、それからそのまま傍らへとそれを放る。
「ほらよい、ナマエ」
「なあん?」
寄越されたそれに戸惑った声を零しながら、ぽす、とマルコが放ったものを頭で受け止めたのは、あの日の面影を残して随分と大きくなってしまったナマエだった。
一見して虎か獅子のような肢体の彼は、しかし立派な『猫』である。
どうやらナマエは随分と大きくなる種族の猫であったらしく、その体躯はモビーディック号に合わせたように随分と大きく成長した。
今の彼を膝に乗せて可愛がることが出来るのは、マルコ達の偉大なる船長と、それから幾人かのクルー達だけだろう。
普段なら昼頃まで眠っているだろう時間帯、ナマエがマルコと共に船を降りてきたのがどういった気まぐれなのかマルコには分からないが、ナマエの方は気にした様子もなくマルコの傍を歩いている。
小魚の詰め合わせの袋を頭の上に乗せたまま、窺ってくるナマエを見下ろして、次に行くぞとマルコはナマエへ声を掛けた。
それへ鳴き声で返事をして、ナマエがマルコの横をすたすたと歩く。
頭の上に乗ったものを落とす様子もないのは、咥えたりそうやって持ち運ぶことにナマエが慣れている証だった。
機嫌がよさそうに立ち上がったその尾を見やり、ありゃあ一時間持つかねい、と大食らいな猫が袋の中身を平らげる時間を想像の上で数えてみたマルコの傍で、数歩先をナマエが先行する。
それを後ろから眺めながら足を動かして、マルコの手がひょいとメモを取り出した。
「サッチの奴、いくら賭けに勝ったからってこれは頼みすぎだろい」
白い紙きれにずらずらと書かれているそれらは、『お使いメモ』だった。
モビーディック号が島へとたどり着く前夜、マルコとサッチの賭け事の軍配がサッチに上がり、負けたマルコに課せられた『罰当番』なのだ。
今頃、サッチは惰眠をむさぼっていることだろう。
酒につまみに食材に、と余すことなく書かれたそれらを眺めて、マルコの口からは軽くため息が落ちる。
面倒だが、『やる』と決めたことをやらないわけにはいかない。
次の賭けではもっと面倒なことをさせてやろうと心に決めてメモを片付け、最初の店を捜そうと周囲を確認したマルコの視界に、少し先に店舗を構えた鮮魚売りが入り込んだ。
店主らしい男が、警戒した眼差しを先行しているナマエへ向けている
ナマエ自身は気にした様子もないが、片手に棒を掴み、もしも店先のものに手を出したらただでは置かないと言いたげな視線をナマエへ注いだ島民に、マルコの眉間に軽く皺が寄った。
「……ナマエ」
「にゃあ?」
仕方なく数歩後ろで足を止めて声を掛けると、それが聞こえたナマエが返事をしながら後ろを向いた。
向けられた視線を受け止めて、すぐ傍らの通路を指差す。
こっちに行くぞと言葉もなく告げたマルコへぱちぱちと瞬きをしてから、ナマエはすぐに来た道を戻ってきた。
「あんまり離れると迷子になるから、ぴったりおれの横を歩けよい」
「なあん」
いまだに頭に干物の袋を乗せている猫へ向けてそう言うと、ナマエが鳴く。
そしてマルコの言葉をきちんと理解したのか、路地へ曲がったマルコのすぐそばに、ぴったりとその大きな体がついてきた。
ナマエは大人しい猫だが、初対面でそれが分かる筈もない、ということはマルコにも分かる。
ましてやナマエは普通の猫とは言えない見た目をしており、首輪もしていないのだから一見して『飼い猫』であるかどうかも分からない。一般人が警戒するのは無理のない話だ。
だがしかし、それが気にならないかと言えば話は別である。
「……何か見繕うついでに、サッチの買い物も済ませるかねい」
ぽつりと呟いたマルコの横で、耳を動かしたナマエがわずかに不思議そうな視線を向けて、頭の上の袋が傾いたのに気付いて慌ててその姿勢を正していた。
※
サッチが寄越した『罰当番』は、やはり大荷物だった。
猫の手も借りて運び込んだそれらをやはり寝こけていたサッチの周囲を覆うように配置し、起きたら視界の暗さに騒ぐだろうことを想定して軽く手を叩いたマルコが、片手に持っていた最後の荷物を持ち直しながらサッチの部屋を出る。
「ナマエ」
それから声を掛けると、いくつか荷物を噛ませるまでずっと頭の上に乗せていた干物の小袋を咥えたナマエがマルコへ顔を向け、にゃあともなあんともつかない不明瞭な鳴き声を零した。
それを見やり、こいこい、と手招くと、大人しく大きな猫が近寄ってくる。
さすがに一人と一匹で座り込んでは通行人の邪魔だろうと、マルコはそのままナマエを連れて、すぐ近くの自室へと移動した。
ナマエが扉を後ろ足で蹴ったのを聞きながら、目線を合わせるように室内で屈みこむ。
「にゃあ?」
それを見て、咥えてきた小袋をそっと自分の傍に置いたナマエが、座ってマルコを見つめた。
不思議そうなその顔を見やってから、マルコの手が持ってきた包みをするりと開く。
掴みだした物をそのままくるりとナマエの首に巻くと、ぱちぱちと猫が瞬きをし、それから自分の胸元を見下ろすようにその目を動かした。
滑らかなその毛並みの上に巻かれたのは、マルコが腰に巻いているサッシュベルトによく似た色味のバンダナだ。
「よく似合ってるねい」
自分の見たてに間違いは無かったと一つ頷いてから、マルコの手がするりと巻いたばかりのそれを外す。
なあん、と不思議そうな鳴き声を零したナマエの頭を軽く撫でて、マルコはそのまま正面にある猫の双眸を見つめた。
「刺繍の得意な奴にうちのマークを縫い付けて貰うから、そしたら改めて巻かせろよい」
一度か二度、ナマエへ首輪を巻こうとしたことはあるのだ。
しかしナマエは巻かれた首輪を嫌がったし、何よりすくすくと大きくなっていくナマエに、首輪を巻いて苦しい思いをさせたらまずいのではないか、と話し合ってからうやむやになってしまった。
しかし、ナマエの体はまだ少しずつじわじわと大きくはなっているものの、その成長速度はとても緩やかになったことだし、バンダナなら首に巻けなくなれば足にでも巻けばいい。
そうして『証』を見せびらかして歩いたなら、ナマエが『白ひげ海賊団』の一員であることくらい簡単に分かることだろう。
「うちの一員だって証だ、ちゃんと着けとけよい、ナマエ」
にんまりと笑って言葉を放ったマルコの前で、大人しく頭を撫でられていたナマエが、それからぱちぱちと瞬きをする。
やがて、ぐるる、と小さく喉を鳴らして、その頭がぐいぐいとマルコの方へと押し付けられた。
全力で押し付けられてくるその額と、晒されているマルコの肌をくすぐった髭に、くすぐってェよい、とマルコが笑う。
マルコの胸元を飾る証によく似たものを写したバンダナを猫が巻くようになったのは、それから一週間ほど後のことだった。
end
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