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煮えて焼けて溶けて (1/2)




 潜水艦の中にある、食堂と呼ばれている一番広い部屋の中。
 腕を組み、眉間の皺を深めたローの口から、鋭い舌打ちが漏れる。

「どういうことだ、これは」

 説明しやがれ、と唸るローの目の前のクルー達の何人かが、びくりと体を震わせた。
 それぞれがそれなりの厚着をしていて、いつだったか暇にかまけて手作りされたハートの海賊団のマークが記された白いマスクが、それぞれの口元を覆っている。

「恐らく、風邪です」

 時折咳き込む彼らを代表するようにそう言って、ペンギンがため息を零した。
 昨日、ローの率いるハートの海賊団は久しぶりの春島へと辿り着いたところだった。
 浮上を命じた後は一眠りすることになったローは降りなかったが、クルーのうちの半数以上が『様子見』を兼ねて島へと降りた筈だ。
 そして、どうやらあまり安定した気候でないらしい春島で、突然の土砂降りの雨に遭遇してしまったらしい。
 ローがそれを知ったのは、今朝がた、久しぶりに泥のように眠って目を覚ましてからのことだった。
 船内のあちこちでごほごほと咳き込む音や聞き苦しい鼻をすする音がするのだから、部屋を出てすぐに眉を寄せてしまうのも仕方の無いことだろう。

「や、ぢゃんどがわがじでねだんでずよ」

 随分鼻の詰まっているらしいシャチが、マスク姿でそんなことを言う。
 うんうん、と他の何人も頷いているが、それならどうしてわざわざ風邪など引くと言うのか。
 更に眉を寄せたローの斜め向かいで、健康体らしい白熊が軽く首を傾げた。

「そういえば、島で風邪みたいなのが流行ってるって言ってたような」

「ウィルスを拾ってきやがったのか……」

 放たれた言葉に、ローの口からため息が漏れる。
 島々を渡る日々を続ける最中、感染症には十分気を付けろと言い渡して来たつもりだが、どうやら足りなかったらしい。
 すぐに病人を隔離しろ、と言いつけると、アイアイとそれに返事をしたベポが動き出した。
 視界の端でのそりと一人分の影が動いて、ローの目がそちらへ向けられる。
 しょんぼりと肩を落としていた病人達を遠巻きに見ていた一人であるナマエが、椅子からゆっくりと立ち上がったところだった。
 手伝うつもりなのか、ゆったりと歩き出したその姿にほんの少しばかり抱いた違和感に、ローは少しばかり目を眇める。
 しかし睨み付けるように眺めてみても、ナマエの姿には普段とは何も変化が無い。
 あまり表情を変えない顔のままペンギンの方へ近付いた彼に、気付いたペンギンが己の持っているものを差し出した。
 それをナマエが受け取ってすぐに、ペンギンもベポと共に他の病人たちを追い立てる。そのまま大部屋に行くのだろう彼らを追ってナマエが歩みを再開させ、その手の上で水差しとグラスの乗ったトレイがわずかに物音をたてた。
 そのまま歩いていく背中を見送って、仕方なくため息を零したローの目が、まだ室内に残っているクルーを見やる。

「それで、その『風邪』とやらについては調べがついてるのか?」

 近くにいたクルーへ出したローの問いかけに、優秀な彼はすぐに頷いた。







 一口に『風邪』と言っても千差万別だが、どうやら今回のものは、ロー達の知る対処法でどうにかなるものであるようだった。
 島で『よく効く』と販売されている薬の成分も、ロー達が自分で作るような風邪薬や抗生剤と何も変わらない。
 ただ少し熱が上がりやすいらしく、何人かには解熱剤も処方された。
 ひときわ苦いものを作れと指示を出したローに、内科を専門的に学んでいた一人が頷く。
 早速薬鉢を擦りに行った背中を見送り、診察で作成された簡易のカルテを傍のテーブルへと放って、ローはそのままテーブルとは逆向きにした椅子へと腰を降ろした。

「はい、キャプテン」

 その横から、ひょいとコーヒーの入ったマグカップが差し出される。
 温かなそれを受け取ってローが視線を向けると、つい先ほど病人達の代わりに雑用の一部をこなして休憩に帰ってきたベポが、同じようなカップを片手に椅子を同じ向きにして、ローの傍らへと腰を降ろしたところだった。
 白熊の巨躯を受け止められるようにと選んで買った椅子は、今日も軋みの一つも落とさない。

「お前は平気そうだな」

「うん、昨日びしょ濡れになったけどちゃんと拭いたし、ナマエにも手伝ってもらったし」

「ナマエに?」

 放たれた言葉から名前を拾い上げ、ローがわずかに思考を巡らせる。
 そうして、そういえばナマエの誘惑に失敗して寝かしつけられた時に、『どうしても島へ降りたいならベポと一緒に行け』と命じたことをふと思い出した。
 ナマエは、少しばかりトラブルを呼びやすい男なのだ。
 強い相手にちょっかいを掛けに行くので、一人で降ろしてはどこぞの海賊か海兵を引っかけてきかねない。
 ローを『特別』に扱うように、ナマエがベポを気に入っているらしいことを、ローは知っている。
 ベポが一緒にいれば無茶苦茶なことはしないだろう、というのが眠い頭で至った考えだった。

「二人とも雨に降られたのか」

「うん」

 コーヒーを一口飲んだローの傍らで、ベポが頷く。
 そうしながらマグカップの中身を少しばかり舐めて、舌が焼かれたのか、熱い、と身を揺らした。

「おれが毛皮だからって、自分より先におれを拭いてくれたんだ。しばらく濡れたままだったんだけど、ナマエも風邪引いてないみたいでよかった」

「そうか」

「あ、ナマエはペンギンに拭いてもらってたよ」

「…………何?」

 世間話の最中に寄越された聞き捨てならない発言に、ローの口から低い声が漏れる。
 その目がベポへと改めて向けられると、剣呑な船長の視線になど気付いた様子の無いベポが、ふうふうとマグカップへと息を吹きかけながら答えた。

「ナマエがびしょびしょだったから、髪の毛とか」

 何でか体は服の上からだった、と続いたベポの台詞に、なるほど、とローが一つ頷く。
 どうやら賢明なるペンギンは、ローが苛立つギリギリのラインを見極めてナマエの世話を焼いたようだ。
 髪を拭いてやった、というのがまだ気に入らないが、今度風呂上がりのナマエを掴まえてやってやればいいだけのことだ、と心に決めたところで、食堂から通路へ続く扉が開かれた。

「あ、ナマエ」

「どうかしたのか」

 掛けられた声に首を傾げて、ナマエが室内へと侵入してくる。ナマエもまた、隔離された病人たちの代わりに行っていた雑用の休憩に来たらしい。
 すたすたと歩んでくるいつも通りの相手に、コーヒーを片手にしたローが視線を向けた。

「お前がペンギンに構われてたって話を聞いてただけだ」

「ペンギンに? ……ああ」

 寄越された言葉に不思議そうにしてから、思い当たる節を思い出したらしいナマエが頷く。
 あいつは面倒見がいいな、とその呟く本人の目が何かを懐かしむように揺れたのは、恐らくこの船に乗った当時のことを思い出したからだろう、とローは考えた。
 仲間のうちで、一番最後までナマエを気にしていたのはペンギンだ。その彼も、もうナマエを『仲間』と認めて長くなる。
 ローはほんの少しも手出しをしていないが、ナマエが自分でその距離を詰めて、ペンギンやシャチ、そして他のクルー達に己が『仲間』であることを認めさせたのだ。
 もちろんローが認めるわけがないが、船を降りるのではなくここへいると選択したナマエのことを考えると、先程不快な方に振れた機嫌がだいぶ良くなって、笑みを刻んだローの唇がマグカップからコーヒーをもう一口飲んだ。
 ようやく冷めてきたのか、ふうふうと必死にマグカップへ息を吹きかけていたのを止めた航海士が、その口元にカップを押し当てて中身を舐める。

「温かそうだな」

「うん、あったかいよ。ナマエのも淹れる?」

「いや、俺は」

 そちらを見やってそんな風に会話を交わしているベポとナマエは、いたっていつも通りだった。
 しかし、一歩ベポの方へ踏み出した足元がぐにゃりと力なく緩み、体重を支えきれなかった目の前の体が前のめりに傾く。

「!」

 驚き、反射的に手を伸ばしたローの片腕に体を押し付けて、しかし堪え切れずその腕から零れたナマエの体が、ローの目の前で床へと崩れ落ちた。

「ナマエ!?」

 どうしたの、と慌てて声を上げて、マグカップを置いたらしいベポがすぐさま立ち上がり、ナマエへと近付く。
 その手が軽くナマエの体を揺さぶるが、伏したナマエは反応を返さない。
 ローもコーヒーを放り出すようにテーブルへ置いて、すぐにナマエの傍らへと屈みこんだ。

「おい、ナマエ?」

 呼びかけながらその頭に触れて、指に感じた異常な熱さに、ぎゅっとその眉間に皺が寄る。
 それから力任せに仰向けにさせたナマエの呼吸は少しばかり浅く、そしてその顔は、普段よりどことなく上気しているように見えた。





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