りんごとカスタード
※このネタからドレークver.
この世界は、ナマエの世界ではなかった。
ある日突然知っていながらも知らない世界に来てしまったナマエは、いつかは帰るために旅に出なくてはならないと知っていた。
何故なら、どれだけ待っても一向に帰ることが出来ないからだ。
この島が『来た』島なら、この世界のどこかには『帰る』島があるだろう。それを探しに行かなくてはならないという事も、ナマエにはしっかり理解できていた。
そして、ナマエが何かの目的のためにこの島を出たいと思っているということを、周囲の人間もよく理解してくれていたらしい。
そうでなければ、港へ来た船が料理人を探しているのだと聞いて、ナマエへそれを教えてくれるはずが無いだろう。
しかも、相手はグランドラインを進む海賊船だった。
いつもなら絶対に近付いちゃいけないよと言われている職種の相手を紹介されて、寂しいけどと涙すら浮かべて送り出されてしまったナマエは、軽く首を傾げながら荷物片手にその船へと近付き、ナマエを紹介されたらしい相手の顔を遠目に見て、なるほど、と呟いた。
「赤旗だったのか」
もと海兵ならそこらの海賊よりよほどいいと、優しい島民達は思ったようだ。
※
それほど人数が多いわけでもない船とは言え、厨房を一手に任されることになったナマエは、基本的に厨房で作業をしていることが多かった。
それでも昼食時を過ぎれば自由な時間が出来たので、いつものように色々と乗せたトレイを持ち上げ、すたすたと厨房から通路へ出る。
かちゃりとトレイの上のものを揺らしながら、ナマエが向かった先は船長室だった。
「ドレーク?」
軽く扉を叩いてから中にいるだろう相手へ呼びかけて、数秒待つ。
けれども返事が無かったので、首を傾げたナマエはドアノブに手を触れた。
軽くまわせば簡単に扉が開いて、そっと中を覗き込みながら声を掛ける。
「入るぞー……?」
そろそろと足を動かして室内へ侵入したナマエの手がパタンと扉を閉じたとき、室内の端に置かれたソファの上で、もぞりと人影が身じろいだ。
それに気付いてナマエが視線を向ければ、むくりと起き上がった部屋の主が、ぼんやりとした目でナマエを見やり、少しばかり瞬いてからようやくはっきりとした意識を宿す。
「……ああ、ナマエか」
「起こしたか。ごめんな」
明らかに昼寝の最中だった相手にナマエが少しばかり申し訳なさそうな顔をすると、いいや、とドレークは首を横に振った。
昼食と夕食の間の時間に、こうしてトレイ片手にドレークの元を訪れるのが、最近のナマエの日課だった。
少し前までは色々なクルーのところへ行ってお茶の時間を過ごしていたのだが、最近は行ってもクルー達が忙しく動き回っていることが多いからだ。
別に船長であるドレークを暇人呼ばわりはしていないが、どちらかと言えば部屋で過ごしていることの多いドレークは、ナマエの格好のターゲットだった。
「もうそんな時間か」
ソファの上で軽く伸びをしたドレークが、そんな風に呟いた。
ナマエが来る時刻はいつだって変わらないので、ドレーク自身もナマエを時報のように扱っている節がある。
そうだよとそれへ答えてナマエが近付くと、ドレークは少しばかり横にずれてナマエへソファの半分を提供した。
いつものようにソファへ腰を下ろして、ナマエの手が目の前のローテーブルへトレイを置く。
「今日は何を作ったんだ?」
不思議そうなドレークの前で、ナマエの手が大皿の上のものを小皿へ取り分ける。
「りんごのクラフティですよ船長。最近お疲れみたいだから、甘いものをお召し上がりになっていただきたいと思って」
「敬語はやめてくれ」
恭しく差し出しながらわざとらしく丁寧な口調を使ったナマエへ笑って、ドレークの手が皿とフォークを受け取った。
それを見届けてから紅茶を用意するナマエの横で、大人しく挨拶を零したドレークの手がフォークでクラフティをつつく。
崩したかけらを口へ運んで、相変わらずナマエが作るものは美味いな、と笑ったドレークへ、ナマエも口元を緩めた。
自分の分の紅茶も入れてから、その視線がちらりとローテーブルの端に詰まれた本を見やる。
「……それで、最近は何でそんなに疲れた顔をしてるんだ?」
「ん?」
恐らくは原因の一端を担っているのだろう山を見つめたナマエの言葉に、ドレークが少しばかり不思議そうな声を漏らした。
それから、ナマエが見つめる先を確認して、ああ、と小さく声を漏らす。
「……この間の話なんだが」
「この間」
「そうだ。ナマエが言ったんだろう、自分はこのグランドラインの生まれじゃないと」
「……ああ」
柔らかく寄越された言葉に、ナマエはつい先日、ドレークへ自分の秘密を打ち明けたことを思い出した。
あの島からドレークの船へ乗って、もう三ヶ月が経つ。
色々な島を経由したが、そのまま海賊の船に乗り続けるナマエに、そういえばどうして船へ乗り込んだのだ、と改めてドレークが聞いてきた一週間前、確か船長は珍しく酔っていた。
同じように酔っていたナマエの口は緩んでいて、だから思わず、自分がこの世界に突然『来て』しまったことを言ってしまったのだ。
どこかにあるだろう『帰る』ことの出来る島を探しているのだとは言ったが、随分と酔っていたドレークは覚えていないだろうと思っていただけに、ナマエは少し驚いた顔をした。
そんなナマエの横で、クラフティをつつきながらドレークが呟く。
「『モトノセカイ』へ帰りたいと言うから、文献を当たっていたんだ」
「それはまた……お手数掛けします」
思わずぺこりと頭を下げたナマエへ、敬語はやめてくれ、ともう一度呟いたドレークが笑った。
その手がフォークを皿に乗せたまま紅茶の入ったカップへ伸びるのを見やってから、ナマエは尋ねる。
「見つかりそうか」
「いや、まだ手がかりは全然無いな」
けれども当然ながらドレークの回答は否定で、そうか、とナマエが肩を落とした。
けれども、今までの三ヶ月、ナマエがどれだけ探しても見つからなかったものが、たった一週間でドレークに発見されるわけもない。
仕方ないことだとわずかにため息を零したナマエの横で、それに、とドレークが呟く。
「見つかっても、教えるかどうかはまた別問題だ」
「……は?」
ドレークの言葉の意味が理解できず、ナマエの口からは少しの戸惑いが混ざった声が出た。
思わず、と言った風にナマエが視線を向ければ、しれっとした顔で紅茶を飲んだドレークが、カップをテーブルへ戻してまたしてもフォークを掴んでいる。
「よくよく考えてみると、ナマエが『モトノセカイ』へ帰ってしまったら、もうナマエの料理や菓子が食べられなくなるからな」
しみじみと言われて、確かにそうなるな、とナマエも頷く。
『元の世界』へ帰れば、当然だがこの船の厨房を回すことはもう出来ない。
ナマエの返事を横目に見たドレークは、それがとても惜しい、と心底残念そうに呟いた。
「みんなも嫌がるだろう、ナマエの料理はどれも美味いから」
ドレークの放った言葉に、何と返していいのか分からず、ナマエはじっと傍らのドレークを観察する。
皿の上の一切れのクラフティを食べ終えて、ドレークはその顔を改めてナマエへ向けた。
「『モトノセカイ』へ帰りたいという気持ちは、変わることは無いのか?」
優しく、けれどもどこか強制力を感じさせる言葉に、ナマエは眉間へ皺を寄せる。
まっすぐに目を見てそう訊かれては、否定するのが難しいではないか。
思わずナマエがそう呟くと、ドレークは軽く笑った。
「ナマエなら、そう言うんじゃないかと思って訊いているからな」
「………………大人って汚いですね、船長」
あえての発言だと白状されて、ナマエの口からはわざとらしい敬語と共にため息が漏れた。
せめてずるいと言ってくれ、とカップを改めて手にしたドレークが訴えているが、汚いもずるいもそう変わらないだろう。
それならば、とナマエはドレークから目を逸らして正直に答えを紡ぐ。
「今のところは変わらないさ」
きっぱりとした言葉を放ちながら、ナマエは自分のカップを手に取った。
ゆらりと揺らした琥珀色の液体に、表情も分からないほどかすかにナマエの顔が映り込む。
「ここも嫌いじゃないけど、『元の世界』は俺が生まれた場所だから」
ナマエは、ある日突然この世界へ現れた。
もう、あの日から一年以上が経つ。
『元の世界』でも同じように時間が経っているとしたら、もしかしたらナマエはもう既に死んだものとして扱われ始めているかもしれない。
失踪届は何年で死亡扱いになるんだったろうか、と少しばかり悩んだナマエの横で、なるほど、とドレークが呟く。
「それじゃあ、心変わりしてもらえるよう努力しよう」
さらりと寄越されたその言葉に、ナマエは改めて傍らを見やった。
空になった皿にフォークを乗せてから膝の上に置いたドレークは、優雅な様子で紅茶を口にしている。
その様子をしばらく眺めて、ナマエは肩を竦めた。
「……正義の味方だった奴が、それってどうかと思うんだが」
帰りたいと言っている人間の里心を捻じ曲げようだなんて、かつては海軍に在籍し、『正義』を背負っていた人間の発言とは到底思えない。
少しばかりの呆れが混じったナマエの言葉に、しかしドレークは気にした様子も無く答えた。
「何を言うんだ今更、海賊相手に」
「……なるほど、それもそうだ」
あっさりとしたその言葉に、傍らの相手が今はもう『海賊』だったことを思い出したナマエが頷く。
海賊なら仕方無い、と言いたげなナマエの様子に、ドレークはかちゃりとカップをテーブルへ戻した。
「ところで、もう一つ頂いて構わないか」
そんな風に尋ねたドレークが見つめた先にあったクラフティに、ああ、とナマエが頷いた。
その手がひょいと大皿を捕まえて、自分の膝へ乗せる。
「どうぞ、全部食べてくれ。元々ドレークのためだけに焼いてきた分だからな」
疲れた顔をしていたドレークのために作ったものだ、全部ドレークの胃に収めてもらったほうが嬉しい。
そう思ってのナマエの発言に、ドレークがぱちりと瞬きをした。
動きが止まっているうちにドレークの皿へクラフティを一切れ乗せたナマエが、それに気付いて首を傾げる。
「どうかしたか?」
「…………いや、ありがとう、ナマエ」
「? ああ」
よく分からないが述べられた感謝に頷いて、ひとまずナマエは恐るべき海賊のカップへ紅茶を注ぎ足すことにした。
end
戻る | 小説ページTOPへ