本日も絶好調 (1/2)
「出る」
ぽいと寄越された言葉に、シャチは慌てて顔を上げた。
声の主は、そんなシャチの動きに気付いた様子もなく、すたすたと足を動かして甲板を歩いている。
片手には小さな荷物を持ったままの普段着の彼が潜水艦から降りようとするのを追いかけたシャチは、自分が駆け寄ってきたのに気付いて鉄のはしごから飛び降りたナマエに目を見開いた。
「おい、ナマエ!」
急いで近寄れば、何食わぬ顔で岸に着地したナマエが、ちらりとシャチを見上げる。
いつもと変わらぬ感情の見当たらないその目に見上げられているのを感じながら、どこに行くんだよ、と尋ねたシャチにナマエは首を傾げた。
何故そんなことを聞くのか、と言いたげな顔を彼はしているが、聞かないで彼を行かせるなんてこと、シャチに出来るはずも無い。
今は仮眠を取っている我らが船長は、ナマエをとても気に入っているのだ。
自ら付いてきたとは言え、未だにハートの海賊団揃いのつなぎも着込まないナマエが、あっさりと去ってしまうのではないかと危惧していることくらい、この潜水艦に乗るクルーなら全員が知っている。
「いいから、どこ行くんだよ!」
「……? 街だ」
シャチの必死に問いかけにそう返事を寄越して、くるりと背中を向けたナマエが、岸から少し離れた場所にある街を目指して歩いてく。
午後から船長と行けばいいじゃんか、と投げたシャチの声は、丸ごと無視されてしまった。
※
キラーは憤っていた。
目の前の弱小海賊に、腹が立って仕方無い。
顔が赤いから酒を飲んでいるのだということくらいは分かるが、酒が入っているからと言って、自分の船長を馬鹿にされて苛立たない海賊はそういないだろう。
武器を手に切りかかった相手は弱く、後悔させてやろうと幾度もなぶってやったが、まだ足りない。
もう止めてくれ、と声を上げた海賊に、うるさい、と仮面の下で唸って振り上げたキラーの刃は、そうしてそのまま振り下ろされた。
いくらかの確率で殺してしまえただろうその一撃が、がつん、と何かに当たって阻まれる。
それに気付いてキラーが身を引いたとき、キラーと海賊の間にいつの間にか割り込んでいたのは一人の長身の男だった。
その片手で荷物を、もう片手で鉄パイプを持っている。少し汚れたその様子からして、拾ったものなのかもしれないそれが、どうやらキラーの攻撃を阻んだらしい。
「……どういうつもりだ」
唸ったキラーの声に反応して、ひい、と悲鳴を上げた海賊がばたばたと逃げていく。
それを見やって首を傾げた男が、鉄パイプを持ったままでその視線をキラーへ向けた。
随分とつめたい目をした男だと言うのが、キラーの彼への印象だった。
黒い髪の向こうからあまり見ない色合いの瞳がキラーを見つめて、軽く細められる。
「殺戮武人、キラー」
呼ばれた名前は、キラーの字とその名前だ。
「おれを知っていて邪魔をしたのか」
尋ねつつ武器を構えたキラーの前で、男は鉄パイプを道の端へと放り投げた。
武器を持った相手へ無手で挑もうというのかと、キラーは仮面の下で顔を顰める。
キラーは戦いを好む海賊だ。その戦う様を見て海軍が名付けた『殺戮武人』の字は、キッドにもぴったりだと上機嫌に笑われた程だった。
ましてや相手はキラーを知っているというのに、その上でその態度なのか。
ふうと息を吐き、相手をにらみつけたキラーは、前傾になって素早く相手との距離をつめた。
そのまま振りかぶって放った攻撃は、けれども相手に当たることなく空振りする。
相手が屈み、ぎりぎりでキラーの攻撃をかわしたからだ。
それに気付いてキラーが放った下段狙いの蹴りも、更に放った数多の攻撃も、その殆どが男の紙一重の動きでかわされた。
攻撃へ夢中になりすぎてがら空きになってしまったキラーの胸部に、男が手を伸ばす。
しまった、と身を引くより早く男の手がとんとキラーの体を押しやって、バランスを崩したキラーの体は後ろ向きに倒れこんだ。
慌てて起き上がったキラーを、男が見下ろす。
冷えた目に失望の色が滲んで見えたのは、キラーの見間違いではないだろう。
「……くっ」
「おいおい、止めとけキラー」
まだだ、と改めて武器を構えたところで、そんな風に声が掛かる。
それにはじかれたようにキラーが視線を向けると、いつの間に現れたのか、先ほどまで酒場で酒を楽しんでいたはずのキッドが、仲間を何人か伴って道端に佇んでいた。
「キッド」
呼びかけながらキラーが立ち上がれば、笑ったキッドが二人へと近付き、キラーの横から男を見やる。
「お前、強ェじゃねェか」
「そうでもない」
キッドの言葉へ、男がそう言い返す。
キラーを知っているのだから、キラーの所属する海賊団の船長の顔も知っているだろうに、男の顔には怯えの一つも浮かばなかった。
それを見やって楽しげな顔をしたキッドが、軽く首を傾げる。
「名前は?」
「ナマエ」
キッドの問いに素直に答えた男に、そうか、とキッドが笑った。
その目がしげしげと男を眺めているのを見やり、ああこれは、と気付いたキラーは軽くため息を吐く。
どうやら、キッド海賊団のキャプテンはこのナマエと言う男が気に入ったらしい。
「それじゃあナマエ、お前、おれ達と一緒に来い」
何度かキラーが隣で聞いた言葉を口にして、キッドがにやりと笑う。
悪辣この上ないその笑顔を向けられて、ナマエは軽く首を傾げた。
言葉の意味を吟味するように沈黙して、やや置いてからその口がそっと動く。
「断る」
「ほお?」
あっさりとした拒否に、どうしてだ、とキッドが尋ねた。
それを受けて、キラー達の前に佇んだ男は、どうでもよさそうな顔で答えを寄越す。
「俺はローのモノだ」
自身を所有されていると言いながら、ナマエは随分と他人事のような顔をしていた。
ロー、という名前には聞き覚えがある。
キラーが思い当たった海賊をキッドも思い浮かべたらしく、トラファルガーか、とキラーの傍で低く声が落ちた。
「何だ、お前ハートの海賊団か」
「ああ」
キッドの言葉にそう応えつつ、男がふいとキッドやキラーたちから視線を逸らす。
どうやらもはやキラーやキッドへの興味を失ったらしい彼は、無防備にキラーへ背中を向けて、そのまますたすたと歩き出していってしまった。
おい、とキッドが声を掛けてみても、その歩みが止まる様子は無い。
失礼な相手を見やって、それでも笑ったキッドが、その視線をキラーへと向ける。
「おい、キラー。この島にはトラファルガーの野郎が来てるってェことか」
「そうなるな」
問いかけへ答えながら、キラーはじっとナマエの背中を見やった。
無防備この上ない背中だが、もしも今駆け寄って切りかかっても、簡単にいなされてしまいそうな予感を感じて、足を踏み出すこともできない。
男が角を曲がってその姿が見えなくなった後、ぎしり、と音を立ててから武器を収めたキラーの横で、は、とキッドが笑う。
「それなら、『穏便』に頂くだけの話だな。おれ達ァ海賊だ」
「……そんなに気に入ったのか?」
キッドの言葉を受けて、キラーは不思議そうな声を出した。
武器を収めたキラーを見やり、何言ってんだ、とキッドが肩を竦める。
「気に入ったのはお前だろうが、キラー?」
仲間にしたら勝負し放題だぞと諭すように言葉を寄越されて、なるほど、とキラーは納得した。
ナマエと名乗った彼は、随分な手だれであるようだった。
見ず知らずの海賊を庇っておいて、武器を捨ててキラーの相手をした。もしもその手に武器を持っていたならキラーを殺せたくせに、それどころか殴りつけもしなかった。
恐らく、キラーは彼の『お眼鏡』にかなわなかったのだろう。
最後に見せた失望交じりの視線を思い返すと、あの視線を好戦的なものに変えてみたい、とも思う。
本気で相手をしてくれたなら、それは一体どれほど血湧き肉踊る戦いになるだろうか。
「…………違いない」
ぽつりと呟いたキラーに、そうだろうと頷いて笑ったキッドは、仲間に潜水艦を探すための指示を出した。
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