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絶対の絶対 (2/3)




 『死の外科医』に喧嘩を売ってきた馬鹿との争いが起きたのは、シャチがナマエの鞄を見つけた二日後のことだった。
 予定より早く島につきそうだ、という知らせを聞いたのと時を同じくして、浮上しようとしていた潜水艦に銛が撃ち込まれたのだ。
 すんでのところで致命傷は避けられたが、巨大な海王類を相手にするような銛は容赦なく潜水艦の壁を壊した。
 慌てて浮上した潜水艦を見下ろしている船は巨大で、風を孕んで揺れるジョリーロジャーはシャチもその名を知る賞金首のそれだった。

「ああ、悪ィなァ、海王類かと思ったんだ」

 下品に笑い慇懃に謝る相手をローが許すはずもなく、戦いの火ぶたは切って落とされた。
 潜水艦を修繕する数人を残して、シャチがわれ先にと目の前の海賊船へと飛び込む。

「っらァ!」

 着地とより先に振り下ろした剣が着地点にいた相手を袈裟懸けに裂こうとして、慌てて受け止めた相手の剣によって阻まれた。
 シャチの片手の剣を両手で支える相手に笑い、欄干に足を乗せたシャチのもう片方の手が、先ほどまで剣が収められていた鞘を振り回す。
 がつ、と音を立てて堅い鞘が頭を殴りつけ、呻いた相手の力が緩んだ。
 それと同時に欄干を蹴飛ばして、シャチが勢いよく相手を押しのける。
 ひるんだ様子で後ろへたたらを踏んだ相手の懐へとそのまま飛び込んで、シャチのふるった剣が今度こそ相手の体を切りつけた。
 悲鳴を上げる相手を無視して、飛び散った血しぶきをものともせずに、シャチが次なる獲物を選んでそちらへと飛び込む。
 ハートの海賊団は次々と船の上へと上がってきていて、あちこちから怒号や悲鳴が上がっていた。
 時折聞こえる耳慣れた銃声は仲間のものだ。相手の狙撃手を狙っているのだろう、硝煙の匂いはあまり感じない。
 ぶん、と音を立てて広がったサークルの中で別の敵の体が生きたまま細切れにされるのを見ながら、シャチはそこから自分の獲物を空中へ向けて弾き出した。
 ぎゃあと彼は悲鳴を上げたが、助けてやったのだから文句を言われる筋合いはないだろう。
 たとえ着地するところを狙ってもう一度鞘でその体を打ち上げてやったとしても、落下するのは痛いだろうと言うシャチの優しさだ。
 二度、三度と相手を小突き回し、それから次の相手へ移る。それを繰り返す。
 かなりの人数の仲間達が船の上に乗り上げていて、彼らの悲鳴と怒号がシャチの耳を打った。
 気持ちがいいとは言えない音色に、血がわきたつのを感じる。
 鼻を掠める血の匂いに興奮して、次の獲物を見つけてそちらへ駆けだしたシャチは、自分の上にわずかな影が過ったことに対する反応が、少しばかり遅れた。

「っ!」

 そちらへ顔を向け、大きな武器を振り上げた大男に、わずかに息を飲む。
 慌てたシャチの腕が剣を振るうが、悪魔の実の能力者か、それとも何か特殊な技能を有しているのか、どうしてか攻撃が効かない。
 シャチの攻撃対象となっているその腹を鉄色に変えた大男は、攻撃が響かないと気付いて足を引いたシャチににやりと笑い、その両腕で振り上げている武器を振り下ろした。
 出来る限りダメージを受けないよう足を引いたシャチの腕が、何かに捕まれる。

「うぎゃっ」

 それと同時にぐいと引き寄せられて床に転がされ、シャチの口からは悲鳴が漏れた。
 しかしすぐに立ち上がり、自分を床へ引き倒した相手を見やる。

「なにす……っ ナマエ!?」

 怒鳴りつけてやろうとして、しかしその口が止まったのは、目の前にあった背中が誰のものなのかが分かったからだった。
 思い切り武器を振り下ろしたらしい大男と対峙している彼は、船に残っていた筈のナマエだ。
 しかしどうしてかその体は血まみれだった。
 それだけ大量の血を失っていては立っていることもままならないだろうから、恐らくは返り血だろう。
 いつの間にこの海賊船の上にあがったのか分からないが、この場の誰よりも恐ろしい姿をしている。
 どこでこれだけ浴びてきたんだ、と思わず問おうとしたシャチの耳に、ぐるるるる、と低く響く何かが聞こえた。
 威圧的に落ちるその音と、そして船の上に落ちた巨大な影に、甲板の上にいた何人もの海賊達の動きも止まる。
 全員がそちらへとゆっくりと顔を向けて、幾人かが小さく悲鳴を上げた。

「か、海王類……?!」

 どうして、と呟いたのは誰なのかも分からないが、シャチも同意見だ。
 船を見おろし低く唸るそれは、誰がどう見ても海王類だった。
 随分と恐ろしい顔をしている。古傷なのか、片頬には古びた銛のようなものが突き刺さっていて、その顔の凄味を増していた。
 海賊達の喧騒に苛立っているというより、何かに触発されて興奮しているようだ。
 それを認め、それから吹いた潮風に乗ってきた生臭い匂いに、シャチは船の端へと移動した。

「……は!?」

 そしてそこから見下ろした海の上が赤く染まっているのを見つけて、思わずそんな声を漏らす。
 何だこれはとその色を辿ったシャチの目に、ぷかぷかと波間を揺蕩う巨大な生き物の死骸が見えた。
 それも、どうやら一匹では無く二匹のようだ。海王類か、そうでなくとも海獣であるのは間違いない。
 どう考えても辺り一帯を赤く染めている原因であるだろうそれを認め、それからゆっくりとシャチが振り返ると、それに合わせてハートの海賊団のクルー達も同じようにシャチと同じ方向へその顔を向ける。
 その場の半数以上の視線を集めた血まみれの男が、なんとも言いようのない顔で、軽く首を傾げた。

「……撤退!」

 その場で一番先に我に返ったらしいペンギンがローになにがしかを言い、それから大きく声を上げる。
 鬼哭を鞘に納めたローがいち早く潜水艦へと移動して、ハートの海賊団も全員が同じようにそちらへ駆け出した。
 生意気な海賊達も、自分達の船を睨んでいる海王類を前にしては、死の外科医と彼の率いる海賊達を追いかけるどころではないらしい。
 潜水艦も外観は血まみれで、まるで大虐殺でも起きたかのような有様だった。
 うわ、だの、うへェ、だのと声を上げつつ、ひとまず全員が艦内を目指して飛び込んでいく。
 妙にのんびりと船の上を移動していたナマエは、先に潜水艦へ辿り着いたローが拾ってきたボロ刀と位置を交換させて無理やり潜水艦の中へと押し込んだようだった。

「すぐに潜水だ。修繕は出来ているか?」

「は、はい! けど、深海まではまだ少し……」

「構わねェ、巻き込まれねェ程度に距離を取れ」

「アイアイ!」

 ローとクルーがそんな会話を交わすのを聞きながら、最後の一人が飛び込んでくるのを待って、シャチが思い切り扉を閉ざす。
 扉に着けられた丸窓の向こうで、雄叫びを上げた海王類が海賊船に頭から飛び込んでいくのが少しばかり見えたが、すぐに暗い海へと潜水したせいで見えなくなってしまった。
 機関室へ駆けていく担当の数人を見送り、扉へ背中を預けたシャチが、はあ、と息を吐きながらゆっくりとそのまま座り込む。
 逃げ出す時に鞘へと納めた剣はシャチの手元にあり、それがからんと音を立てて床へと転がった。
 まだ鼻を刺激する血の匂いを追いかけてのろのろと顔を上げた先には、全身が生臭い液体に塗れているナマエが立っている。
 そのまま残っていた何人かも、ここにいても仕方がないと移動して行ってしまった。
 それらを見送りながらもナマエが佇んだままでいるのは、先に艦内へ向かっていったローに続いたペンギンが、『ここで待ってろ』と言ったためである。確かに、今も時折血の滴るそんな恰好で歩かれては、あとの始末が大変だろう。
 せめて上着でも脱ぎゃァいいのに、とその様子を眺めたシャチは、ふとナマエが力なく左腕を降ろしていることに気付き、わずかに眉を寄せた。

「……なァ、ナマエ」

 そうして座り込んだままで声を掛けると、ナマエの目がちらりとシャチを見やる。
 何の感情も見当たらないその顔を見やってから、手、とシャチは彼の左腕を指差した。

「怪我してんのか」

 尋ねるというより確信を持ったシャチの言葉に、ナマエが頷く。
 よく見れば、その左腕からは他より多く血が滴り落ちているし、袖がざくりと裂かれている。
 それは何か大きなトゲで叩きつけられたような跡で、そしてつい先ほど自分を襲うところだった大男の武器がそういったものだったと言うことを思い出し、あん時か、とシャチは呟いた。
 ナマエは返事を寄越さないが、否定の無いことこそが肯定の証だった。
 ゆっくりとシャチが立ち上がり、船内のあちこちに常備されている簡易の救急セットのうちの一つを掴まえて、ナマエへと近付く。
 血まみれの服を掴んで無理やりその袖を引き上げると、やはり真新しい傷跡があった。

「止血くらいしろよ」

 そう言葉を投げてやりながら、シャチの手が手早く止血と簡単な手当を行う。
 されるがままのナマエは、抵抗の一つもしない。ありがとう、と無機質な声で形式的に礼を述べただけだ。
 その顔をちらりと見やり、少し血で汚れた包帯を巻いてやったシャチが口を動かした。


 


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