突発(パティシエ主)
このネタよりマルコVer.
料理人を募集しているというその張り紙には、年齢も性別も職歴も問わないという、ナマエにとってうってつけの条件が書かれていた。
しかも船旅であり、最短でも次の島での離職になる、という内容がすばらしい。
ナマエも、いつまでもこの島にいてはいけないと思っていたからだ。
この世界はナマエの世界ではなかった。
ある日突然知っていながらも知らない世界に来てしまったナマエは、いつかは帰るために旅に出なくてはならないと知っていた。
何故なら、どれだけ待っても一向に帰ることが出来ないからだ。
この島が『来た』島なら、この世界のどこかには『帰る』島があるだろう。それを探しに行かなくてはならないという事も、ナマエにはしっかり理解できていた。
ナマエがいるここは漫画『ワンピース』の世界でグランドラインで、海には海賊も海王類もいる。一人で旅をするには危険すぎてどうしようもない。だが、そんな世界を航海している船に便乗できるというのなら話は別だ。
ナマエはすぐさま長らく働いていた店に頭を下げ、張り紙に記されていた募集場所へと向かった。
「…………こいつは、渡りに船ってところかな、まさしく」
そして、恐らくは自分と同じようにそこを訪れようとしたのだろう何人かがこっそりと逃げ帰っていくのを横目に、目の前の大きな船を見上げて、自分の選択に間違いが無かった事を理解した。
※
白ひげ海賊団は大所帯だ。
故に、台所仕事は山のようにあった。
地獄のようなラッシュを過ぎれば山のような皿が残って、今日の当番達と一緒にその皿を洗ったナマエは、ふうやれやれと息を吐いてから改めてキッチンへと向かった。
夕食も終わって夜へ向かうこの時間は、ナマエのつかの間の自由時間だ。
休憩するかと水をケトルへ注いだところで、ふと自分に突き刺さる視線に気付いたナマエはそちらへ顔を向ける。
キッチンのカウンター脇に立っていたのは、先ほど食事を終えて他のクルーと一緒に食堂を出て行ったはずの一番隊長だった。
「どうかしたか? マルコ」
声を掛けたナマエに、何でもねェよい、と唸ったマルコがつかつかと足を動かして食堂を横切っていく。
ケトルを火に掛けながらそれを目で追いかけたナマエは、マルコが屈んで酒瓶を拾ったのを見て、ははぁなるほど、と納得した。
先ほど、酒を飲むぞと何人かが騒いでいたが、どうやらマルコもそれに誘われていたらしい。マルコが手を伸ばした先には、ナマエを乗せた島で買い込んだというクルー達が仲間と飲もうと持ち寄った酒が山のように積まれている。
「酒飲むんなら、つまみでも作るか」
少しくらいなら自由に使ってもいいだろうと考えて言い放ったナマエに、マルコがちらりと一瞥を寄越す。
「……いらねえよい」
そのままぷいと顔を逸らされ、更に瓶をあさりながら言葉を寄越されて、そうか、とナマエは言葉を零した。
どうも、一番隊長のこの男に、ナマエはあまり好かれていないようだ。
どちらかと言えば人好きのするほうだと言われていただけに、マルコの態度には戸惑っている。
かといって嫌われてると思うにしては、マルコはナマエの近くに寄ってくることが多かった。
今だってそうだ。
食堂にはキッチンが併設されていて、そこが持ち場であるナマエがいることくらい簡単に分かるのだから、ナマエに会いたくなければ他の誰かに酒を取りに行かせればいい。マルコは隊長格なのだから、そのくらい簡単だろう。
なのにそうせず近くまで寄ってきては、さっきのようにじとりとナマエを睨んでいる。
第一印象が悪かったのだろうか。
少し考えてみたが、ナマエには該当する記憶が無かった。
マルコとの初対面なんて、ナマエが白ひげに雇われるためにやった『面接』での会話もない数分だけのことだ。
白ひげとの会話にしたって、『おれ達が海賊だと分かっていて乗るのか』と聞いてきた白ひげに、『行きたい場所に行くためには強い人達についてくのが一番だと思ったから』と正直に答えたくらいだ。
馬鹿正直な奴だと笑った白ひげは機嫌が良かったし、失礼なことを言った覚えもない。
ますます分からない、と少しナマエが唸ったところで、いくつかの瓶を手にしたマルコがまたしてもちらりとナマエを見やった。
それに気付いてナマエが視線を向ければ、少しばかり伺うようにした青い目が、ふいと逸らされる。
そうして、降ろした手がまたしても動いて、更に酒瓶をあさりだす。
まだ、マルコは食堂を出る予定は無いらしい。
しばらくその姿を眺めて、何か仲良くなる方法はないかと考えたナマエは、ふと自分が今から何をするつもりだったのか思い出してぽんと両手を叩いた。
その右手がカウンターの向こうからマルコのほうへと差し出されて、ちらちらと指先が揺れる。
「ちっちっちっちっ」
「……おれを何扱いしてんだよい」
注意を引こうと短く声を漏らしたナマエに、動きを止めたマルコがむっとした顔を向けた。
それでも、ナマエの狙い通りその足が動いて、ナマエが佇むカウンターの向こう側まで近寄ってくる。
「猫とかはこうやると案外寄ってくるんだ」
「おれは猫じゃねえよい」
やってきたマルコを見上げたナマエの言葉に、マルコは眉間へ皺を寄せた。
少しばかり苛立った様子になった相手に、まあ怒るなよ、と笑って返して、ナマエの手がひょいとカウンター下へと伸びる。
小さな保存庫になっているそこから取り出したものをカウンターへ置くと、マルコが少しばかり目を瞬かせた。
「…………なんだよい」
「ワッフル作ったんだ。食べないか?」
マルコとナマエの間に置かれたそれは、ナマエが先ほどの忙しい最中にこっそりと作っていたワッフルだった。まだ温かいから、温めなおす必要は無いだろう。
使った材料の殆どは、ナマエがこの船へ乗り込むときに持ち込んだものだ。
大粒のざらめをまぜた三個のうちの二つをマルコのほうへナマエが押しやったところで、先ほど火に掛けたケトルが沸騰を告げて声を上げた。
すぐに振り向いて火を止めたナマエが、用意してあったカップにティーバッグを放り込んで湯を注ぎ、そこでくるりと後ろを見やる。
「お茶もいるか?」
視線を向けながら聞かれて、怪訝そうな顔をしたマルコが、探るようにナマエを見つめた。
じっと視線を注がれても笑顔を崩さずに、ナマエは首を傾げる。
しばらく視線を交し合って、先に逸らしたのはマルコのほうだった。
その手が持っていた酒瓶をカウンターにおいて、カウンター近くにおいてある椅子を掴んで自分のほうへと引き寄せる。
「……飲むよい」
そうして答えながら座ったマルコに、そうか、と頷いたナマエはとりあえず自分の分に用意してあったカップを差し出した。
それから、自分の分の紅茶も用意して、改めてマルコの向かいへ移動する。
やってきたナマエを見やってから、マルコの手がワッフルへ伸びてがしりとそれを掴み、そのままぱくりと噛み付いた。
もぐもぐと口を動かして咀嚼する様子を眺めつつ、ナマエは自分の紅茶へ口をつける。
しばらく口を動かしていたマルコが、更にもう一口を食べようとしてから、ナマエの顔をちらりと見て眉をひそめた。
「何見てんだい」
「うまいか?」
問いかけに問いを返したナマエに、食えなくはねえよい、とマルコが答える。
けれどもその手がワッフルを手放したりはしないのを見て、そうか、とナマエは安心したように笑った。
ナマエの笑顔を見返して、ばつが悪そうな顔をしたマルコが、それでも手に持っていたワッフルをばくばくと口に運ぶ。
それほど大きくもなかった一つは簡単に平らげられて、がりがりとざらめを噛んだマルコが、口の中身を流すように紅茶を飲んで、それからもう一度その目でナマエを見た。
「……ナマエは」
そうして呼びかけられて、自分の分のワッフルに手をつけようとしていたナマエが動きを止める。
カップをそっとカウンターへ置いて、マルコが続けた。
「ナマエは、料理をしてるときが一番楽しそうだよい」
「ん? ああ、まァ、そうかもしれない」
寄越された言葉に、ナマエが頷く。
ナマエはパティシエで、何より料理人である。
自分が作ったものを目の前で美味しく食べてもらえるのは、何より嬉しいことだった。
「みんなうまいって言ってくれるしな」
きつい台所仕事をしていてもうんざりしないのは、クルー達が美味しかったと口々に言ってくれるからだ。
「楽しいんだったら、ずっとここで料理してりゃいいだろい」
自分のきついながらも楽しい仕事風景を思い浮かべたナマエへ向かって、マルコが言った。
意味が分からず、ナマエの顔が戸惑いを浮かべる。
自分の言葉がきちんと伝わらなかったのが分かったのか、顔を顰めたマルコは、それでもしっかりと言葉を紡いだ。
「…………ナマエがこの船に乗ってんのは、どっかに行きてェからだろい」
ナマエが初めて交わした白ひげとの会話をさして、んなとこ行かなけりゃいいだろい、とマルコが続ける。
ぱちりと瞬きをして、ナマエは目の前の相手を見つめた。
マルコは真剣な顔のままだ。
お互いの間に置いたワッフルが場違いなほどのその表情に、しばらく沈黙してから、ナマエは小さな笑みを浮かべた。
「何だ、もしかして俺、引きとめられてるのか」
「……ナマエの飯が食えなくなったら、他の奴らが暴れそうだからねい」
お前の料理は評判がいいよい、と言い放ち、マルコの口がため息を零す。
それは嬉しいなと答えて、ナマエは自分が作ったワッフルを口へ運んだ。
じゃり、とざらめを噛んで、まだほのかに温かいそれから伝わる柔らかい甘さと香りを堪能しつつ、目の前の相手へ言葉を紡ぐ。
「そうだな……今みたいに仲良くお茶でもしてくれる奴がいてくれるんなら、もうしばらくはここにいたいかもしれないな」
そうしてそんな風に言葉を紡げば、マルコが目を丸くした。
そんなことを言われるなんて思いもしなかった、と言いたげな戸惑い顔に、ナマエはただ笑顔を向ける。
「俺が作ったのでいいならお菓子もつけるよ」
「…………仕方ねェよい」
ダメ押しに囁いた言葉の所為でかは分からないが、ほんの少しの沈黙をおいて、ナマエの向かいの海賊は、最後のワッフルを片手にこくりと頷いたのだった。
end
戻る | 小説ページTOPへ