結末だけが見えている 2
「どっかの海兵を思い出すなァ。ああ、今はもう元帥か」
よく怒りに任せてマグマを飛ばしていたが、さすがに元帥ともなれば落ち着いただろうか。
そんなことを考えた俺の横で、何をのんきなことを言ってんですか、と呆れた声を出したクザンが立ち上がった。
「もう少し慌てるくらいしてくださいや」
「うん? 火砕流が来ても、クザンがいれば平気だろう?」
ヒエヒエの実の能力者へ言えば、俺の言葉を聞いたクザンが軽くため息を零す。
「信用してもらえるのは嬉しいですけどね。さすがのおれも、エンドポイントを凍らせるのは不可能ですよ」
「ああ……それもそうか」
それでどうにかなるというのなら、海軍がどうにかしているという話だ。
素直に頷いた俺に、だからさっさと海列車に乗ってください、とクザンが言葉を寄越す。
わかったと返事をして、俺も手すりからひょいと離れた。
「お前はどうするんだ?」
「おれァ、逃げ遅れた島民がいないか確認してから行きます。ああ、海列車で避難したら避難所にいてくださいよ」
迎えに行きますから、と続いた台詞に、そうか、と声を漏らす。
我ながら弾んだ声が出たようで、それを聞いたクザンがちらりとこちらを向いた。
少し不思議そうなその顔を見やって、軽く笑みを浮かべる。
「ここまではお前を捜して来たんだから、ちゃんと来いよ、クザン」
本当なら残ってクザンの活動を手伝うべきかもしれないが、俺は何と言っても普通の人間なので、せいぜい声掛けをしたり海列車まで走るよう促すことしかできない。
悪魔の実の能力を使って救助を行うだろうクザンの足手まといになることは目に見えている。
素直に海列車の方へ移動することに決めた俺に、クザンがすこしばかり眉を寄せた。
その口がため息を零して、小さく言葉が紡がれる。
「……まァ、どうせまた適当なこと言ってんでしょうけどね」
「どうかしたか?」
「何でもありませんよ」
訊ねた俺へ返事を寄越した後、それじゃあ行ってきます、と一言置いて、クザンはそのまま噴火を開始した火山の方へと歩いて行ってしまった。
その背中を見送ってから、俺もくるりと海列車の駅がある方へと体を向ける。
ひとまず周辺に注意を向けつつ移動を始めて、俺はそのまま逃げ出した。
※
さすがに海軍の最高戦力の一人でもあったクザンは、見事に火砕流を凍らせていた。
海列車に駆けこんで来た女性達と少女が言っていた『助けてくれた人』というのは、恐らくクザンのことだろう。
別に俺が育てたわけでも無いが、元部下が褒められて悪い気はしない。
嬉しく思いながら避難所でしばらくを過ごして、言ったとおりに現れたクザンは、いつもの自転車を二人乗りできるものに変えていた。
ぱきぱきと氷づく海の上を、自転車で移動する。
俺が漕いでやろうかと聞いたのだが、遠慮しますと返事を寄越されたので、現在の俺はクザンに背中を預けているような状態だ。
「これからどうするんだ?」
遠ざかっていく避難所を見ながら、後ろへ向かってそう尋ねる。
海の上につけられていく氷の道は、まるで迷いというものが無かった。
目的地が決まっているのかと尋ねた俺に、あー、とクザンが声を漏らす。
「……麦わらの連中の様子でも見に行こうと思ってますよ。あいつらがあの人を止めに行くって言うんなら、最後のエンドポイントのエターナルポースを渡してもいい」
そんな風に言われて、おや、と俺は目を丸くした。
どうやら、麦わら帽子の海賊が率いる一味は、クザンにも高く評価されているようだ。
そんなにも魅力的なのだろうか。結局のところ、『漫画』では知っているが会ったことのない若い海賊のイメージは、俺の中ではロジャーと同じ分類の人間だと言うものでしかない。
それとも他に何かあったか、と少しだけ考えて、そういえば麦わらの一味には考古学者がいることを思い出す。
「……ああ、なるほど」
「どうかしましたか」
声を漏らした俺に、律儀にクザンが声を掛けてくる。
それを受けて、俺は後ろを窺いながら言葉を紡いだ。
「確か、麦わらの一味にはお前のニコ・ロビンがいたな」
9歳で賞金首になった可哀想な彼女のことを、ぼんやりと思い浮かべる。
顔は手配書でしか知らないが、クザンは時々彼女のことを口にしていた。
あちこちを逃げ惑っていた子供は、そのうちに行方がつかめなくなって、次に見つけた時には政府に喧嘩を売った海賊達と共にいたらしい。
俺の言葉を受けて、しばらく黙り込んだクザンの漕ぐ自転車の車輪が、からからと静かに音を立てる。
「………………なんですか『お前の』って。別にそんなんじゃありませんよ」
しばらくして、そんな風に低く唸った相手に、そうなのか? と俺は首を傾げた。
俺が覚えるほど話題に出していたのだから、随分気にしていた筈なのだが、そう言うことでは無かったのだろうか。
もしや歳の差を気にしているのか、と思えば何となくおかしく、優しげな声が口から漏れた。
「歳の差なんて20歳くらいだろう、そのくらいならそれなりにいるから気にしなくても」
「…………おれとあんたは、それ以下ですけど」
「うん?」
「……別にいいですけどね。こうなりゃ持久戦ですし」
「そうか」
何だかよく分からない話をされたので、とりあえず頷いておく。
俺の返事を聞いて、クザンがため息を吐いたのが聞こえた。
「今、絶対によく分からないまま頷いたでしょう」
「気のせいだ、気のせい」
何とも鋭い相手にそう言って、見えないだろうがぱたぱたと手を振っておく。
それから、あ、と声を漏らしてから言葉を続けた。
「お前の行きたいところには全部付き合うから、それが終わったら俺と一緒に来てくれ」
「……ナマエさんと一緒に? どこへ」
「ほら、お前、最近会いに来なかったじゃないか」
ここ一年くらいの話だ。
俺が超ペンギン達と暮らすようになって、定期的に俺の家を訪ねるようになったクザンは、ある時期を境にそれを辞めた。
一緒に育てたキャメルは連れて行っていたし、きっと新世界で頑張っているんだろうと思って俺は気にしていなかったのだが、群れで暮らす超ペンギン達にとってはあまり受け入れられないことだったらしい。
俺が何かをしたからクザンが来なくなったのではないかと、そんな疑いを向けられていると知ったのは一か月ほど前のことである。
何とも冷たい眼差しを向けてきていた何匹かの雌を思い出し、軽くため息を零す。
あんな眼差しを向けられては、居づらいことこの上ない。
その上、他の超ペンギンから話を聞いたらしい仔超ペンギン達が、何を噂されているのか知らないが『噂のクザンさん』に会いたいと駄々をこねてきたのだ。さすがに、老いた体でなだめるには力が足りない。
「子供達が待ってるんだ。頼むから、俺と一緒に帰ろう」
そしてあいつらと遊んでやってくれ。
俺の言葉に、ぎ、と自転車が軋んだ音を立てて動きを止めた。
ん? と声を漏らした俺が見やった先で、海面の氷が広がっていく。
片足を安定した氷の上へと乗せて、自転車をこぐのを辞めたクザンが、その顔でこちらを振り向いた。
「………………何でそんな逃げられ男みたいな台詞なんですか」
「ん? そうか?」
言われて反芻してみると、確かにそうかもしれない。
唸った俺を見ながら呆れたような顔をして、もう一度前を向いたクザンがまた自転車をこぎ始める。
改めてその背中に背中を預けて、俺は離れていく雲や過ぎていく青い海を見やった。
『この世界』にきて、もう随分と経つ。
きっともう、ここから帰ることなど出来ないのだろうという思いが、少しばかりは心の内側にある。
俺は多分、この世界で死ぬんだろう。
どうせならそれは、老衰だとか、そういう平和的なものであればいい。
ゼファーやガープやセンゴクやつるにも、いつか訪れる死はそういうものであってくれたらいいと思うのに、世の中とはうまく行かないものだ。
俺にはゼファーを止めることも出来ないが、『主人公』であるあの海賊ならきっと、ゼファーを止めてしまうに違いない。
この世界が『現実』であっても、世界の中心というものは存在する。
俺やクザンにできることは、せめてその全部を見届けることくらいだ。
「そういやクザン、キャメルはどうしてるんだ?」
「危ねェから、一つ前の冬島で待たせてるんですよ」
俺の問いかけにクザンが応えて、その足が自転車をこぐ。
そうか、とそれへ返事をしながら、俺は軽く右手を動かして、何もない目の前を軽く殴った。
黒く染まりもしない貧弱な老いた腕は空気を掻いて、ただそれだけだった。
end
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