仮定の絵空事 (2/4)
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クザンが新兵を助けてすぐ、クザンの乗ってきた軍艦が到着し、海賊達は鎮圧された。
あまり仕事をこなせなかったクザンに対して小言を言うことも無く、ただ労いの言葉だけを掛けてきた上官によれば、損傷のはげしい海軍船をある程度修繕してから帰還するらしい。
すでに遠征の本隊だった部隊群はクザンの所属する部隊の方へと一時的に収容されていると聞いて、クザンはひとまず軍艦の中を歩き回った。
「…………いねェな」
しかし、求めた相手は見当たらず、一つ呟いたクザンが足を止めたのは甲板の上だった。
見やった側面側には損傷の激しい海軍船があり、その上を海兵達が何人も行き来している。
今回の遠征には、いくつかの部隊が参加していた。
クザンが今回この遠征に『合流』出来ると聞いて任務を承諾したのは、その中にかつての上官である『ナマエ』の名前があったからだ。
しかし、軍艦を歩き回ってみても、その顔はまるで見つけられなかった。
相手側の部隊の人間を掴まえて聞いてみればいいのかもしれないが、探し回っている、なんていう女々しい事実が相手に伝わるのはあまり良いとは思えない。
クザンがナマエの名前で任務を承諾しただなんてことは、当然ナマエは知らないのだ。
今回の遠征の代表者はナマエでは無かったから、現在の本艦にあたるこの軍艦にいないのだとすれば、損傷の出た船の修繕活動の指揮に当たっているのかもしれない。
出来る限り『偶然』出会いたいのだが、合流したとはいえ、二隻の海軍船は別の部隊の人間であるクザンにはなかなか足を踏み込みにくい場所だ。
あの海兵がクザンと年齢が近かったなら、『友人』という関係程度は築くことができただろうし、もう少し気さくに会いに行くことだって出来ただろう。
しかしクザンとナマエの関係は『元部下』と『元上官』で、それ以上でも以下でもない。
「…………あー……」
どうすればいいのかと軽く唸ったクザンの耳に、あ、と声が届く。
放たれたそれにクザンが視線を向けると、年若い海兵が一人、クザンめがけて近寄ってくるところだった。
「さっきはありがとうございました」
「ああ、いや」
近寄ってきた相手に改めて頭を下げられて、クザンは軽く頭を掻く。
別にそんなに気にしなくてもと呟いたクザンへ、いいえ、と海兵が首を横に振った。
「助けて貰わなかったら、きっとかなり深手を負ってました。本当に助かりました」
それが言いたくて、と瞳を輝かせて言葉を寄越す相手を見下ろすと、何だかクザンの方が落ち着かなくなる。
胸によぎる想いは何となく知っているものである気がして、しかしそれを認めることは少しばかり難しかった。
かといって、あ、そう、と簡単にあしらってしまうこともできず、クザンの視線がわずかに相手から外れる。
「それじゃ、どういたしまして。……けど別に、礼を言われたくて助けたわけでもないから」
あの時クザンが目の前の彼を助けたのは、彼が窮地に陥っていたからだ。
けれども恐らく、彼がどうしてかクザンの注意を引く存在でなかったなら、クザンはその窮状にすら気付けなかっただろう。
それがどうしてなのかなんて分かるはずもないクザンの前で、そうですよね、と青年が呟く。
「正義の味方は見返りなんて求めてないですもんね」
よく知っています、と言わんばかりのその言葉に、ぱち、とクザンが瞬きをする。
それからその目がゆるりと改めて青年の方へと向けられて、その寄越された視線に気付いた相手が、クザンの顔を改めて見上げた。
初めて見た筈のその顔は、やはりどことなく誰かに似ている。
その顔が持つ雰囲気と、そして彼が言った言葉から連想した相手の顔が目の前の顔に重なって、クザンはわずかに目を見開いた。
ナマエという名前の海兵の名前が口から零れかけて、慌てて飲みこむ。
頭の中で並べてみれば、目の前の相手はクザンのよく知る元上官に似ていた。
血縁者だろうか。
兄弟、甥、それともまさか。
「……いや、さすがにそりゃあ無いか」
『息子』なんて言葉が脳裏に浮かんだものの、どう見ても十代の新兵を前に呟くと、相手が不思議そうに首を傾げる。
その双眸は窺うようにクザンを見上げていて、まっすぐに向けられるそれにやはり心拍数が上がるのを感じたクザンは、その口から軽くため息を零した。
それからきょろりと周囲を見回して、相手へ向けて言葉を零す。
「そっちは、まだ仕事があるんじゃねェの。おれ相手に油売ってたら、上にドヤされるでしょうや」
「ああ、俺、安静にしていろって言われてるんです」
「ふうん?」
クザンの言葉にそんな風に返事が寄越されて、どうやら怪我をしていたらしい相手にクザンはもう一度一瞥を送った。
見た目では分からないが、その怪我は服の下だろうか。
クザンが知っている限りでは大きな攻撃など受けていなかったから、そうだとしたらクザンが合流するまでの間に受けた傷だということだ。
安静にしていろと仕事を免除される怪我を負っていてのあの動きだったのなら、この新兵は見た目よりずいぶんと耐久力のある海兵である。
それにしても、彼が怪我をさせられたのだとしたら、海賊共はもう少し痛めつけておけばよかったか。
そんな風に思考を回してしまった自分に気付いて、クザンがゆるくかぶりを振る。
「……あの?」
それを見上げて不思議そうな声を出す相手に、クザンはそっと問いかけた。
「……そういや、名前なんてェの?」
放たれた問いかけに、少しだけ笑った青年が名乗った名前は、やはりクザンの知らないものだった。
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