被教唆者の思惑 (2/3)
「グララララ! よう、久しぶりじゃねェか小僧共。これも何かの縁だ、目的地まで乗せてってやらァ」
船の縁から顔を覗かせた白ひげの発言によって、クザンとナマエは自転車ごと甲板まで引っ張り上げられてしまった。
改めて帆を張った白ひげ海賊団のモビーディック号は、今はクザンとナマエが目指していた目的地へめがけて進み始めたところだ。
「休めてよかったですね、クザンさん」
風を受けている帆を見上げて笑ったナマエが、その視線をクザンへ向ける。
甲板の端に自転車を置いて、その横に座り込んだクザンは、あー、と声を漏らして軽く頭を掻いた。
「…………もう少し警戒したら?」
あれよあれよと言う間に船へ上げられてしまったが、クザンとナマエがいるのは海賊船だ。
つねに気を張っていろとは言わないが、それにしたって警戒心のかけらも無いナマエの様子に、思わずクザンの口からそんな忠告が漏れる。
けれども、ソレを聞いたナマエは首を傾げた。
「? 何でですか?」
「いやだから、相手は海賊じゃない?」
「だって、白ひげ海賊団ですよ?」
まるで正義の味方を語るような顔をして、ナマエはクザンのほうを見た。
その顔をしばらく眺めて、やがて深くクザンがため息を零す。
「……ああ、うん。ナマエはそういうとこあるよね……」
クザンが、みだりにそれを人に言ってはならないとナマエに約束させたことがある。
それは、『ナマエがこの世界の人間ではない』と言うことだ。
海賊も悪魔の実も天竜人もいないという世界から来たナマエは、けれどこの世界のことをいくつか知っていた。
ナマエの語る『未来』はもう過ぎてしまったが、それでも語る内容はクザンを十分に信じさせるものだった。
ナマエにとって、この世界はとある海賊を主人公にした物語の一部であるらしい。
いい海賊も悪い海賊もいるのだと言っていたナマエにとって、『白ひげ海賊団』は恐らく『いい海賊』のほうに分類されるのだろう。
物語と現実は違うのだから、それほどまっすぐに信じているといつか痛い目に遭うのではないかと、クザンは常々思っている。
海賊は海賊なのだ。
それぞれが自分の信じる向きに生きているだけで、そこにいいも悪いもない。
けれども、目を離さないでいれば何か危ない目に遭ったとしても助けたり、つれて逃げることは可能だろう。
戦争のあの場からサカズキを引き離しつつ逃げ出したあの日から、クザンはずっとナマエを守ってきた。
それはこれからだって変わらないことだ。
「…………よう」
そんな風にクザンが考えたところで、不思議そうにしながら屈みこんできたナマエと座っているクザンのほうへ、小さく声が落ちた。
近付いてきていた相手をちらりとクザンが見上げれば、クザンとナマエがお尋ね者になった原因でもあるゴール・D・ロジャーの息子が、少しこわばった顔をしてそこに立っていた。
あちこちを怪我していたはずだが、もう殆ど治ってしまったらしい。
目の前の海賊を見上げたクザンの横で、エース、とナマエが彼の名前を口にした。
「元気そうでよかった」
そんな風に言って笑ったナマエへ視線を向けて、おう、とエースが声を漏らす。
それから、何かを迷うようにその目が少しばかりさまよって、言いづらそうにその口が動いた。
「その……会えたら言おうと思ってたんだけどよ」
もごもごと言葉を零して、不思議そうにナマエが首を傾げたところで、意を決したようにエースの手が拳を握る。
それと同時に勢いよくその頭が下げられて、目を丸くしたナマエへエースが声を投げた。
「…………助けてくれて、ありがとうございました!」
「おお……」
潔い言葉に、ナマエが思わずと言った風に声を漏らす。
『敵になんて助けてもらいたくない』とあんなに言っていたのに、こうも素直に頭を下げられたのだから戸惑うのも当然だろう。
ぽりぽりと頭を掻いて、クザンは首を傾げた。
「それ、おれには言わないの?」
「海軍大将に言うわけねェだろ!」
すぐさま顔を上げたエースが、がるがると唸るように声を零す。
どうやら、海賊であるエースにとって、元とは言え海軍大将であったクザンはまだ敵対するべき相手であるようだ。
酷いなァ、とそれへ言い返して、クザンは肩を竦めた。
「もうおれってばお尋ね者なのに。今の時代最悪の裏切り者って奴らしいしさァ」
「そりゃあんな場面であんな大立ち回りしたらそうなりますよ」
クザンの言葉に、非難がましくナマエが言う。
その言葉を受けて、まァ狙ってやったけどね、とクザンは笑った。
あの時、処刑台の様子は随分と大勢の人間へ向けて放映されていた。
だからそこで海軍大将であるクザンが騒ぎを起こせば、それをもみ消すなんてことできるはずも無い。
クザンの狙い通りクザンの首には法外な懸賞金が掛かり、クザンとナマエを取り逃がした赤犬はクザンとナマエを追いかけて今でも海軍大将をやっている。
クザンの台詞に、そこは隠しといてくださいよ、とナマエが呆れた声を出した。
「何度死にそうな思いでサカズキ大将から逃げたと思ってるんですか、俺が」
「ちゃんと助けたげたじゃない」
マグマを降らせ、地中を移動して土を溶かしながら追跡してくる大将赤犬から逃げ回るのは、なかなかに骨の折れる仕事だった。
恩着せがましくそう言ったクザンに、当然でしょう、とナマエは告げる。
「平和な暮らしを捨てさせたんだから、見捨てて逃げたら末代まで祟りますよ」
本気とも冗談ともつかぬ言葉を寄越されて、クザンの口に笑みが浮かんだ。
あらら怖い怖い、と呟いてから、その目がちらりとナマエとは別のほうを見やる。
それに気付いて同じほうへ視線を向けたナマエは、エースの後ろから近付いてきた相手を見上げて首を傾げた。
先ほど、クザンとナマエを見つけて話しかけてきた不死鳥の能力を持つ海賊が、片手に封筒らしきものを持ってナマエの傍に屈みこむ。
「ナマエ、ちっとお前ェにききてェことがあんだよい」
言いながら、マルコは手に持っていた封筒をひらひらと揺らし、そうしてそのままナマエのほうへと差し出した。
横からソレを見やって、クザンは少しばかり目を丸くする。
何故ならそれはどう見ても、ナマエが二回ほどクザンに送ってきたのと同じ封筒だったからだ。
「コレ、書いたのは……お前ェかい?」
そんな風に尋ねて、マルコの目が探るようにナマエを見やる。
その手紙に何が書かれていたのかは分からないが、恐らく内容はクザンに寄越したものと大して変わらないだろうと、クザンは判断した。
それと同時に、傍らにおいてあった自分の荷物へ手を入れて、適当に掴んだものを素早く取り出す。
マルコの視線に気づいた様子も無く、ああそれ、とナマエが口を動かした。
「それはむぐっ」
それ以上何かを言うより早く、クザンの手がばしりとナマエの口を押さえた。
驚いた顔をしたナマエが、むぐむぐ、と押さえつけられた唇の下で何事かを呟く。
その体を自分のほうへと引き寄せて、クザンは先ほど鞄から取り出した大きなチョコレートを軽く揺らした。
「あらら、どうしたのナマエ。ん? 腹減ったって? しかたねェな、ほら、これでも食べてな」
「んぐ」
反論させないままにそんな風に言葉を紡いで、つかみ出したものをナマエの口へと押し込む。
クザンの手から少し余る程度の大きさのチョコレートがまっすぐにその口へと突き刺さり、ナマエが目をぱちくりと瞬かせた。
どうしてこんなことをされるのかが分からない、と言いたげなその顔を見下ろして、よしよしとクザンはナマエの頭を撫でる。
ナマエはこの世界の人間ではなく、もう過ぎてしまった『未来』のことを知っていた。
クザンが受け取った手紙のことを考えるに、不死鳥と呼ばれる海賊の手にあるあの手紙の内容もまた、恐らくはその『未来』だったことに関するものだ。
そうと分かっていて、わざわざ手紙の差出人がナマエであることを公言させる必要など無いだろう。
いくらナマエが白ひげ海賊団を『いい海賊』達だと判断しているとしても、これだけの大所帯では、どこから話が漏れるかも分からない。
おかしな噂が立てられて、海軍や賞金稼ぎ以外からも狙われるようになっては困る。
戦争のあの場からサカズキを引き離しつつ逃げ出したあの日から、クザンはずっとナマエを守ってきた。
それはこれからだって変わらないことだ。
まだ頭を撫でているクザンと大人しくチョコレートを齧っているナマエを見下ろして、眉間に皺を寄せたマルコには気付かず、エースが不思議そうに首を傾げる。
「何だ、ナマエ腹減ってんのか? 何か作ってもらってきてやるよ! サッチが作った飯はうまいんだぜ!」
「おれも食べたいなァ、それ」
それから寄越された明るい言葉に、クザンが視線をエースへ向けた。
むっとエースが眉を寄せて、それから小さく舌打ちを零す。
「しかたねェな……大将青雉の分はナマエのおまけだからな!」
きっぱりと言い放って、ついでにびしりと指を突きつけてから、エースはそのままクザンたちの傍を離れていってしまった。
白ひげの誇りを刻んだその背中を見送りながら、もぐもぐと口の中のチョコレートをどうにか齧り終えたナマエが、ぷは、と甘ったるい息を吐く。
「クザンさん、急に何するんですか」
「……もう一枚いっとく?」
どうやら『約束』を失念しているらしいと感じ取り、クザンは軽く鞄を指差した。
ついでに目配せをすれば、少しだけ間をおいて色々と思い出したらしいナマエが、遠慮します、と首を横に振る。
「…………おい、青雉。何邪魔してんだよい」
成り行きを見守っていたマルコが、そんな風に唸ってクザンをじとりと睨んだ。
その手が持っている封筒をちらりと見やり、クザンは軽く肩を竦める。
「別に邪魔はしてねェって。ナマエが腹減らしてるみたいだったから、食べさせてただけ。おれが巻き込んじまったようなもんだから、住まいはともかくほかではあんまり不自由させたくないのよ。なかなか難しいけど」
わざとらしく優しげに言ったクザンに、マルコが胡乱な目を向けた。
傍らからも戸惑ったような視線を向けられた気がするが、そちらは見ずにクザンは小さく笑う。
「そんな封筒、ナマエは知らねェって。ねェ、ナマエ」
「……ハイ、見たことも触ったことも無いです」
囁いたクザンにナマエが追従して、それを聞いたマルコは全くもって納得いかない顔をした。
※
← →
戻る | 小説ページTOPへ