好き好き、大好き
※このネタよりクザンさんが好きすぎて若干変態の感があるらしい(今回は見当たらない)主人公と海軍大将青雉
ここ最近、ナマエが己の執務机の前に座っている時間が増えた気がする。
クザンの手元へは変わらぬ量の書類が回ってきているのだが、それを調節するナマエの手元の仕事が増えているのだろう。
今日は珍しく、クザンが三日ぶりに訪れた執務室にその姿が無かった。
椅子に座ってしばらくしたら戻ってきたナマエが抱えていた書類は、すでに半分ほどが片付いている。
クザンへコーヒーを淹れた後から取り掛かっているにしてはすばやい方だ。また腕が上がったのだなと考えて、クザンはそのまま頬杖をついた。
「頑張るじゃない」
やる気なさげに了承印を推しながら視線を寄越してきた男に、ナマエはどうしてかとても嬉しそうな顔をする。
もしもその腰にイヌ科の尾があったならちぎれんばかりに振られていたに違いない、と思えるほどの嬉しげなその顔にクザンが首を傾げたところで、執務机の端にあった電伝虫が可愛らしくない顔で鳴き声を上げる。
はいはい、とやる気なく拾い上げた受話器から聞こえてきたのは海軍元帥の声で、部屋へ呼びつけるそれに返事をしたクザンの手が受話器を置いた。
「遠征ですか?」
「さー……この間たまには演習しろって怒られたから、それじゃない?」
やだなァ面倒くさい、なんて言葉を落として立ち上がり、クザンはちらりとナマエを見やる。
クザンから少し離れた場所におかれた執務机で、しっかりと書類を掴んだままのナマエが少しばかり不思議そうな顔をした。
ナマエはクザンの文官だ。
基本的には、こうして書類仕事をしているのが生業である。
もちろんクザンが連れていくと決めたなら演習に連れていくこともできるだろうが、いつだったか『それ』でナマエに痛い目を遭わせた覚えがあるだけに、クザンにその誘いを投げることは難しかった。
ナマエが『行きたいです』と言えば話は別だろうが、クザンを慕いクザンへ世迷言を叫びとびつくはた迷惑なこの部下は、しかし出かけるクザンを追いかけるということを殆どしない。
『サボりに行くのも含めてクザン大将ですから』と言って笑って、クザンがそのうち戻ることを疑わないのだ。
あまりにも盲目的だが、その絶対的な信頼を裏切ることは、結局クザンには出来なかった。
「まあ……あれだ、とりあえず話聞いてくるから」
どうしてクザンを部屋へ呼びつけたのか分からないが、『遠征』にしろ『演習』にしろ、今すぐに出掛けろ、とは言われない筈だ。
どこの島へ行くのか確認すれば、土産の希望だって聞けるかもしれない。
そんな心優しいことを考えたクザンの言葉に、はい、とナマエが返事をする。
「いってらっしゃい、クザン大将」
普段と変わらぬ笑顔でクザンを見送るナマエに、うん、とクザンは一つ頷いた。
※
「ク……クザン大将……?」
おずおずと、ナマエが小さな声を漏らす。
その目がちらちらとクザンを窺うので、クザンはソファへ座ったまま、佇んでいる相手を見つめた。
呼び出された『用件』を聞いて己の執務室へとまっすぐ戻ったクザンがソファへ座って、五分。
クザンが部屋を出た時とそう変わらない量の書類を抱えて、ナマエは先ほど部屋へ戻ってきたところだった。
先ほどまで扱っていた書類の処理は終了したのだろう、机の上は綺麗なものだ。
あきらかに不機嫌であるクザンを窺うナマエは、戸惑った顔はしているが、普段と何も変わらない。
そう、何も変わらないのである。
だからこそ、クザンの眉間のしわは深くなった。
つい先ほどの呼び出しで、海軍元帥がクザンへ向けて放った言葉は、『遠征』の命令でも『演習』の参加要請でもなかった。
部下を休ませろ、とただそれだけである。
意味が分からずに戸惑った顔をしたクザンが知ったのは、ここ一ヶ月ほど、ナマエが殆ど本部内から出ていない、という事実だった。
文官らしく大将青雉宛の書類を片付け、手が空けば他の隊を手伝い、資料室の整理を手伝い、また己の書類を片付け、雑用達の手伝いまでして、ついでに最低限の演習にも参加している。
クザンでなくてもうんざりするような生活を送り、『近いから』と仮眠室の一つを己のベッド扱いしていると聞かされて、クザンはとても驚いた。
クザンが執務室へ訪れた時でも、思えばナマエに見送られて帰ることが多かった。
たまには共に退室もしたが、それだってほんの数回だ。
詰めて働く海兵もままいることから、服の洗濯や身づくろいをする場所も建物内には行き届いている。ナマエの姿が荒れて見えないのは、恐らくそれらをうまく使っているからだろう。
だからこそ、全く気付かなかったのだ。
そこまで根を詰めて働けと、クザンが命じた覚えはない。
「……あのさ」
低い声を漏らしたクザンへ、はい! とナマエが元気よく返事をする。
その目が、どうしてか何かを期待するようにクザンを見つめて、クザンはわずかにその目を眇めた。
それから、その口からため息を零して、ぽん、と自分の傍らを大きなその手が叩く。
「はい、ここ座る」
「え? あの、どうせならクザン大将のお膝の上の方が」
「座る」
馬鹿なことを言い出す相手へ言葉を繰り返すと、明らかに戸惑った顔をしたナマエが、自分の机へ書類を置いてからクザンの求めに応じた。
クザンの体躯に合わせたソファは大きく、座ったナマエが少し小さく見える。
それを横から眺めると、近くからクザンを見あげたナマエが、少しばかり首を傾げた。
どうしたのか、と問いたげなその顔を見て、クザンが己の膝に肘を乗せて頬杖をつく。
「……馬車馬のようにこき使うなって言われたんだけど?」
「あ……」
そのまま囁くと、何がクザンの機嫌を損ねているのかに思い当たったらしいナマエが、小さく声を漏らした。
その目が窺うようにクザンを見上げているが、クザンは眉間に皺を寄せたままだ。
「とりあえず、今日と明日は休みなさいや。家で」
どれだけ仮眠室のベッドが居心地いいのかは分からないが、公私の区別は大切だ。
いやでもあの、と声を漏らしたナマエが何かを言うより早く、もう一度『休みなさい』とクザンが言葉を落とす。
珍しくきっぱりと言葉を落としたクザンの傍で、やや置いて、しょんぼりとナマエが俯いた。
「……はい……」
犬だったならピスピスと鼻でも鳴らしていそうなほど静かに声を漏らして、肩まで落としたナマエの姿から漂う哀れっぽさを、頬杖をついたままでクザンが眺める。
それから少し間を置いて、全く、と声を漏らしつつもう一度ため息を零した。
「大体、働き詰めになれとか言った覚えはねェんだけど、なんでそんなに頑張ってんの」
そんなに根を詰めていては、倒れてしまわないとも限らない。
クザンは確かにサボり癖のある上官だが、以前よりは頻度高く執務室へやってきている。
『今日は仕事ほとんどないですよ、ほら』と笑って薄い束を見せられたこともあるのだから、そこまで切羽詰った状況では無かった筈だ。何よりナマエがしていたという『仕事』は、元々クザンの手元までは回ってこないものである。
それともそれ以外に何か原因があるのか。
まさか、誰かに脅迫でもされて、クザンの知らぬところで無駄な仕事を無理やり回されているのか。
だとすれば、クザンは上官として、その『原因』を突き止め根絶する責任があるだろう。
窺うようにクザンが見つめると、その、と声を漏らしたナマエが俯いたままで小さく拳を握る。
ちら、とその目がクザンを見やり、何か言いたげな相手に、何? とクザンが先を促した。
それからしばらく押し黙り、部屋に満ちた静寂の中で息を零してから、やがてゆっくりとナマエがクザンから目を逸らす。
「……その、が……」
「が?」
「頑張ったら……この間みたいに、褒めてもらえるかと思って……」
落ち込んだ様子で目の前の部下の口から飛び出した供述に、クザンはわずかに目を丸くした。
この間、とその言葉を繰り返すと、ナマエがほぼ一ヶ月前に当たる日付を口にする。
確かに目の前の彼が馬鹿みたいな働き方をし始めた時期と一致すると考えて、クザンは少しだけ記憶をさらった。
しかし、そうは言われても、一か月も前のことをそうしっかりとは覚えていない。
あの頃だって今日だって、ナマエは普段と同じようにクザンを慕い、おかしなことを言っていた筈だ。
何かの流れで褒めたのだとしても、それはその場限りのことで、クザンが意識して与えたものではないだろう。
だというのに、どうやらナマエは、それを『もう一度』と求めたらしい。
相変わらず、ナマエは少しおかしな海兵だ。
「…………褒められるために仕事してんの?」
思わずそうクザンが訊ねると、そうじゃないですけど、と言葉を置いてからようやくナマエがクザンへその顔を向けた。
きり、と顔を引き締め、その手が改めて強く拳を握る。
「クザン大将に褒めてもらえるなら、どれほどでも頑張れます」
きっぱりはっきりと言い放ち、真面目な顔をしているナマエのその発言に、嘘はかけらも見当たらない。
そして言葉の通り、『褒めてもらう』為だけにナマエは根を詰めて仕事をしていたのだ。
仕事ってそういうんじゃないでしょうよ、と声を漏らして、クザンは深くため息を零した。
がっくりと肩を落としてしまったクザンの横で、でも怒らせるつもりじゃなかったんです、とナマエが何やら言い訳を述べている。
申し訳ありませんでした、と続いたそれにもう一度ため息を零して、クザンの手がひょいとナマエの方へ向かって動いた。
「それじゃ、ほら」
「え?」
「はい、いいこいいこ」
いつだったか道端で見知らぬ少女が飼い犬相手にやっていたのを何となく思い出しながら、クザンの手はナマエの頭をがしがしと撫でた。
ぐしゃぐしゃに髪を乱してやって、それからてぐしで軽く整えてやって手を離すと、されるがままになっていたナマエが目をまん丸くしてクザンを見上げる。
「よく頑張ったね。でも、次はここまでやんなくていいから」
ちゃんと休み休みやってくれねェと心配しちゃうでしょうや、とおざなりに本心を告げたクザンの前で、驚きに目を見開いたままだったその顔が、じわじわと赤らんでいく。
それと同時にその口元が緩み、堪え切れなくなったように小さな体がクザンの方へと突進した。
座っていたが為に避けなかったクザンの体に額をぶつけるように押し付けて、海兵にしては細い腕がそのままクザンの体にしがみ付く。
「クザン大将! 好きです!」
「あーはいはい」
ぎゅうぎゅうと人の体に抱き着きながらの発言に、クザンはいつものように適当に返事をした。
ここ最近は面倒なので基本的に避けていたが、こうして久しぶりに抱き付かれてみると、一か月前よりは確かに力が足りないように感じる。ナマエの顔は平気そうだが、体には疲労がたまっているということだろう。
抱き付かれているクザンがそんなことを考えているとは知る由もなく、ぐりぐりとクザンへ額を擦り付けたナマエが、『大好きです結婚してください!』とクザンの傍で愛を叫んでいる。
「いや、しねェけど」
「丘の上の白い小さな家で俺と貴方と子供と白い犬と一緒に暮らしましょう! 犬の名前はステファンで!」
「あららら……子供より犬の名前が先に決まってんの?」
好きなようにさせながら尋ねたクザンが見下ろすと、子供の名前は二人で決めましょう、と声を上げたおかしなナマエは、何故だかとても嬉しそうに笑っていた。
end
戻る | 小説ページTOPへ