スタートライン (2/3)
それは、休み明けの執務中のことだった。
「サカズキィ、ちょいと聞きたいことがあるんだけどねェ〜」
ぴかりと光って人の執務室へと現れての開口一番、そんなことを言い出した同僚をじろりと見やり、わしにはない、とサカズキは吐き捨てた。
それからその手が執務机に並ぶ書類のうちの一つを掴み、相手へと差し出す。
「丁度よか、おどれ宛じゃ」
「オォ〜、仕事もそりゃあやるけどさァ〜」
話ぐらい聞いてくれたっていいだろうとサカズキを詰りつつ、伸ばしたその手でサカズキから書類を受け取った光人間が、そのまま軽く肩を竦める。
「ナマエちゃんのことなんだけどォ〜」
間延びした様子でそんな風に言葉を紡がれて、サカズキはぴくりと眉を動かした。
手を止めたまま相手を見やると、話を聞く姿勢に入ったと気付いたボルサリーノが『相変わらずだねェ』と笑う。
サカズキがナマエを保護してから、二人が恋人同士になるまでを見守りつつ横で茶々をいれて笑っていた誰かさんに、サカズキは鋭く舌打ちを零した。
「ナマエがなんじゃァ」
つい昨日、目の前の相手にナマエを会せてしまったという事実を思い出し、しくじった己には溜息が出そうだった。
見たい会いたいと言っていた同僚たちを排除し続けていたのは、これ以上のからかいの種をくれてやりたくなかったからだ。
大体にして、海軍大将であるサカズキを前にしてもあまり臆することの無かったナマエなら、ボルサリーノやクザンとでもあっさりと友好関係を結んでしまうかもしれない。
それはそれで面白くないのだと、誰かに訊かれたら困惑されそうな考えも、わずかにはサカズキの内側でくすぶっている。
昨日はナマエが怪我をして、診療所へと連れていくところだった。
町中で海軍大将と遭遇する確率などそう高くはないだろうに、会えてしまった己の不運が恨めしい。
そんなことを考えるサカズキをよそに、海軍大将黄猿が口を動かした。
「あの子、男の子じゃねェか〜」
何であんな恰好させてるんだいと、そう言葉を紡いだボルサリーノが首を傾げる。
「そういう趣味だったのかァい?」
言葉をそう重ねられて、サカズキは数秒押し黙った。
頭の中で目の前の男の言葉が数回反響して、そこでようやく意味をくみ取り、それと同時にこもってしまった力がばきりと手元の万年筆をへし折る。
思わず漏れかけたマグマを堪えたところで、サカズキの反応にその意味を理解したらしいボルサリーノが、ああやっぱり、と声を零した。
「サカズキにも内緒にしてたんだねェ〜」
勝手に人へと誰かの秘密を暴露して、こちらを見つめるボルサリーノの視線を、サカズキが睨み返す。
確かにサカズキは、ナマエが『男』だなんていう事実は知らなかった。
女性らしいふくらみの無い体だということはその外見で知っていたが、女の価値を胸についたもので計るつもりもない。
サカズキに比べれば柔らかで細くしなやかなナマエの腕や足が、女性のそれと同じかどうかなど見比べたこともないのだ。
けれども、これでようやく合点がいった、と思ってしまったことは事実だった。
恐らくナマエは、ずっとサカズキにそれを気付かれやしないかと怯えてきたのだ。
自分が男だと知れたら、今の関係が壊れてしまう。そう思っていたのだろう。
これはサカズキのただの想像ではあるが、もしも本当にそうだとしたら、何とも馬鹿な話だ。
男だろうが女だろうが、ナマエがナマエであることに今更何か変わりがあるだろうか。
その程度のことで諦めきれるというのなら、サカズキはもっと早くにナマエを自分の傍から引き離していた。
それが分かっているからこそ、サカズキの胸をよぎったのは嫌悪ではなくて、目の前の相手が気付いたことに気付かなかった自分に対する苛立ちだった。
「……なして、それを知りよったんじゃァ」
己への苛立ちをそのまま声へ露わにして、それよりも、とサカズキはぎろりとボルサリーノを睨んだままでそう言葉を紡いだ。
間違いなく女性的な顔立ちをしており、きちんと服を着込んでいるナマエの外見から、あの人物を『男性』だと判断する人間はそういないだろう。
まさか衣類を脱がせたのか、と今度こそ沸き上がった苛立ちに、足元で絨毯がわずかに焦げた音がする。
それを聞き、オォ〜、と声を漏らしたボルサリーノがわずかに身を引いて口元の笑みを深くした。
「『男の子』でもサカズキが気にしないってのは分かったから、そう怖い顔しないどくれよォ〜」
わっしだったら無理だねェ、なんておどけたように言いながら楽しげに言葉を紡いだ同僚に、質問に答えんか、とサカズキが唸る。
それを聞き、足元を光らせたボルサリーノが、僅かに笑い声を零して先ほどとは反対の方へと首を傾げた。
「さァ、どうだろうねェ〜?」
どことなく含みを持たせたような相手の発言に、サカズキががたりと椅子を倒して立ち上がったのは、仕方のないことだろう。
しかしながら、光の速さで逃げる同僚を追い切れず、舌打ちをしたサカズキが早退を決めて足を向けたのは自宅だ。
そして、もぬけの殻となっていたその家に、思わず立ち尽くす。
それからすぐにナマエを探しに出なかったなら、恐らく、ナマエを助けることは出来なかったに違いない。
当人から聴取した限り、許せぬ何かをしでかしたというわけでも無かったようだ。
だからこそ後日の報復は一発で済ませてやったというのに、それすら軽く受け流したわずかに年上の同僚は、『ひっどいねェ〜』と非難がましく口を尖らせていた。
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