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スタートライン (1/3)
※性別勘違いシリーズ
※女装注意
※主人公の性別バレがあります
※『貴方へ向けた想いについて述べます。』のサカズキ側



 サカズキの家には、とあるきっかけで『保護』する形になった一般市民がいる。
 ナマエという名前の哀れな『彼女』は、どうしてかその口から声を出すことのできぬ、小さな小さな人間だった。
 けれども、その存在がサカズキの胸の内で恐ろしいほど大きくなってしまったのは、もう随分と前のことだ。
 歳の差も随分とあり、立場も違う。
 ナマエは間違いなく平穏な場所で生きてきた人間で、苛烈な正義を担うサカズキに関わらぬところで幸せになるべき人間だった。
 だからこそ随分と長いこと逡巡したものの、やがて己の感情に負けを認めたサカズキには、もはやナマエを手放すことなど考えられもしなかった。
 そうなれば後は口説き落とすしかないと考えた矢先、告白したサカズキへナマエもまた同じ気持ちを返してくれ、今やサカズキとナマエは紛うことなく『恋人同士』だ。
 そして、その恋人が何かを憂いていることを、サカズキは何となく知っている。

「ナマエ」

 サカズキがその名を呼ぶと、ぱっとその顔がサカズキの方を向いた。
 サカズキに言わせれば小さいとしか言いようのない足でその場から移動し、素早くサカズキの方へと近寄ってくる。
 隣へ座り、何か用かと問いかけるその目を見下ろして、思わずサカズキの唇が緩んでしまった。
 すぐさまそれに気付いて軽く咳払いでごまかして、サカズキの口が言葉を紡ぐ。

「わしゃあ、明日休みじゃけェ」

 どこか行きたいところがあれば連れて行ってやるぞと、そう言葉を続けたサカズキに、ぱちりとナマエが目を瞬かせる。
 それから少しばかり考え込んで、サカズキのせいで焼け焦げ見るも無残に短く刈られてしまった髪を隠したかつらを揺らしながら首を傾げてから、ナマエはやがてふるふると首を横に振った。
 それからその手が、ぽん、と自分が座っている畳を叩く。
 言葉を紡げぬ口が少しばかり動き、その手が軽くサカズキの足に触れてから、もう一度畳を叩いた。

「……ほうか」

 その仕草は何度か見たものであったので、相手の伝えたい意思をくみ取り、欲の無い奴じゃァ、とサカズキがため息を零す。
 どうやらサカズキの傍らの恋人は、明日という一日をこの家で過ごしたいらしい。
 どうもナマエは、あまり外出を好まないようだ。
 その原因は恐らく、ナマエと言う人間がサカズキの手によって『保護』された場所こそが答えだろう。
 サカズキが現れなかったなら間違いなく奴隷としてどこぞの好事家に売りつけられていたに違いないナマエは、何処かの島からか連れ攫われてきた人間だった。
 東西南北の海、それどころか偉大なる航路にもその島は無いと首を横に振ったので、恐らく海と言うものを殆ど知らないで過ごしてきたに違いない。
 最初の頃は探していたが、ナマエがサカズキの恋人となり、ずっと一緒にいたいと伝えてきてからは、めっきりその捜索の手も止めてしまっていた。

「、」

 声にならない言葉を口から紡ぎ、その顔に少しばかり不安そうな色を宿して、ナマエが首を傾げる。
 眉すら寄せたその表情に、別にわしに用事はありゃあせん、と言葉を落としたサカズキの手が軽く傍らの相手へと触れた。
 頭を撫でるようにしてみると、わずかにかつらがずれたのか、ナマエが慌てた様子で手を動かしてサカズキの手を掴む。
 あまり頭は触らないで、とその目が訴えてきているが、頭を撫でれば手を掴まれるということはすでに知っているので、今さら止めてやるつもりもなかった。
 両手でサカズキの片手を封じ、掴んだそれをそっと降ろさせる相手が、わざとらしく怒った顔をする。

「なんじゃ、いびしい目で見よって」

 それを見やって言ってやりながら、もう一つ笑ったサカズキが、仕方ないのう、と声を漏らした。

「ナマエがそう言いよるなら、明日は家で過ごす」

 明日は本当に久しぶりの休みだ。
 本当なら何処かへ連れて行ってやりたいが、三食をナマエと過ごすのは久しぶりであることだし、のんびりと過ごすのも悪くはないだろう。
 そんな風に考えてのサカズキの言葉に、眉を寄せていたその表情を緩めたナマエが、嬉しそうに笑って頷く。
 その手がようやく弛んだので、頼りない拘束から片手を逃がしたサカズキは、そっとナマエの肩へと掌を当てた。
 抱き寄せるようにしてそのまま肩を抱くと、わずかにナマエの体が強張る。
 嬉しそうなその顔にわずかな影が差したのを見下ろし、それ以上は何もせずに、サカズキは言葉を紡いだ。

「寝坊しても構わんけェ、明日はナマエものんびりせェ」

 穏やかな声音を聞いて、体を強張らせたままのナマエが、それでもそれを誤魔化すように微笑んでこくりと頷く。
 それからはた、と何かに気付いたようにその視線をサカズキの傍らへ向けて、サカズキが啜っていた湯呑の中身が無いことを確認したサカズキの恋人は、すくりとその場から立ち上がった。
 恐らくは茶を用意しに行くのだろう、すぐ戻るからと身振りで伝えてからサカズキの手の中から逃げて行ったその背中を見送って、サカズキの視線がちらりと自分の掌へと向けられる。
 サカズキが触れるとき、ナマエがわずかに緊張することを、サカズキは知っている。
 恋人同士とはなったものの、それらしいふれあいをしたことは殆ど無い。
 がっつくような年齢でもなし、サカズキとしてもそれが無いからと言って何かと言いたいわけではないが、ナマエのあの反応は、僅かな怯えすら含んでいるように思えるのだ。
 手をつなぐことを嫌がられたことは一度も無いので、サカズキと言うマグマ人間に触れられることを厭うているわけではないだろう。
 ひょっとしたら無意識でやっているのかもしれない。
 面と向かって尋ねてみるべきなのか、それともいつかナマエがそれを伝えようと思ってくれるまで待つべきなのか。
 『年上の恋人』としてはどちらが正解なのかとわずかに悩んだサカズキの耳に、ナマエが茶を用意しているらしい物音が届いていた。







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