- ナノ -
TOP小説メモレス

恋のディザイア(2/4)

 派手な傷跡が王子様には刺激が強かったんだろう、なんて明らかな慰めを口にした『家族』に連れられて、俺はその夜酒場へと足を運んだ。
 たまにしか訪れない酒場では美人の人魚が給仕をしてくれていて、酒もうまいし料理もうまい。
 他の島だったらそれだけでとてつもなく気持ちがよくなるところだろうに、ちらちらと頭をよぎる王子の顔が気分を落ち込ませたまま、ちびちびと酒を進めていたのが昨晩のこと。
 翌日、二日酔い状態でモビーディック号でぐったりしていたら、『家族』に声を掛けられた。

「おいナマエ、また迎えが来てんぞ」

「……!」

 魚人島でそう言われたら、誰が来ているのかなんて決まっている。
 自分の想像に慌てて身支度をして船を降りた俺は、自分の目の前で仁王立ちになっている魚人に目を瞬かせて、きょろりとその後ろや周囲を見回した。
 しかしどこにも、あの麗しの人魚はいない。

「あー……あの、俺に何か用事があったか?」

 王子の護衛だけでやってくることなんて、今まで一回もなかったんじゃないだろうか。
 顔なじみの魚人へ恐る恐る声を掛けると、ゆっくりと頷いた魚人がぎろりとこちらを睨み、その手がどうしてか縄を取り出した。

「貴様を竜宮城へお連れするよう仰せつかった」

「竜宮城?」

 それは時々オヤジが呼ばれたのについていって入る、あの宮殿の名前だ。
 訳が分からず首を傾げた俺へ魚人が一歩を踏み出して、その手が縄で俺を縛った。
 慌てて抜け出そうとしたが、酒の入っている体はあまりいう事をきかない。

「うわ、ちょっ」

「抵抗は無駄だ。大人しくしろ」

「大人しくって、別に俺は逃げるつもりもねェっていうか、こんな目に遭う理由がねェだろ!?」

 ぐいと引っ張られるのに声をあげながら更に抵抗を示しつつ、俺はちらりとモビーディック号を見やった。
 朝早いとは言え、船に残っている『家族』もいる。俺の状況を見れば助けてくれるだろうと考えての俺の視線に、こちらを見下ろしていた『家族』の一人がかち合った。
 どうしてかその顔が笑みを浮かべて、大きく手が振られる。

「た、たすけ……っ」

「オヤジが行ってこいってよォ」

 ネプチューン王から連絡があったらしいぜと、俺の言葉を遮るようにして寄越された声に、俺はますます訳が分からない。
 しかしとにかく、俺達の『オヤジ』がそう言ったのなら、危害を加えられることは恐らくないだろう。

「わ……分かった、行くから、解いてくれよ」

 ごくりと息を飲み、縄の端を掴む相手にそう言ってみたが、魚人は俺の言葉を聞き入れなかった。







 俺が連れていかれたのは、竜宮城の一部屋の前だった。
 ようやく縄を解かれて、抵抗したせいでひりひり痛む腕をさすりながら非難がましく傍らの魚人を見やるが、護衛殿は顎で室内の方を示すだけだ。
 入れと言う事らしいが、誰の部屋だというのか。
 しかし、『誰』の部屋であっても拒否したり逃げることはできそうにもないので、そろりと扉を押し開く。
 入り込んですぐに扉が閉ざされて、空気と灯りのある室内に俺は取り残される形となった。
 品の良い調度品の置かれた室内は静かだが、中央に毛足の長いラグが敷かれていて、そこに座り込む人影があった。
 なんとなく予想していたが、どうやらここは、フカボシ王子の部屋らしい。

「…………ナマエ」

 現れた俺に驚くこともなく、フカボシ王子が俺を呼ぶ。
 それに誘われるように近付くと、すぐそばで座るように促された。
 俺と向かい合って座るためにラグに腰を落ち着けているらしい相手に頷いて、大人しくその向かいに座り込む。

「……昨日から、ずっと、考えていたのですが」

 俺の顔を覗き込むようにしながら、恐る恐ると声を漏らしたフカボシ王子が、更に言葉を紡いだ。

「その傷は、誰に噛まれたものですか」

「これか? これは……」

 尋ねられて、さらりと応えようとしてから、はた、と気付いて口を閉じる。
 ここは魚人島で、目の前の王子の父親が守るべき民は魚人族と人魚族だ。
 いくらお互い海賊とはいえ、魚人とやりあったなんて話、聞いても不愉快なものかもしれない。
 もしやそれで怒らせてしまったのだろうか。それなら正直に答えるのはまずいと、俺は少しばかりフカボシ王子から目を逸らした。

「いや、まァ、噛まれたっつうか……俺も海賊だしな、偉大なる航路の航海には危険がつきものなんだよ、海獣も海王類もいるしな」

「しかしそれは魚人か人魚の仕業でしょう。獣ではなく」

「………………」

 ぴたりと言い当てられて、思わずフカボシ王子の顔を見やってしまう。
 俺の様子がそのままその言葉を肯定してしまったのか、フカボシ王子は何とも言えない顔をしていた。
 困ったような、怒ったような、悲しんだような顔だ。そんな顔をさせてしまったことが少しばかり胸に痛くて、右手でそっと左腕の傷を隠すように覆う。
 傷跡を見た時はただたんに男の勲章が増えた程度にしか思っていなかったが、王子にこんな顔をさせるんだったら、もう少し丁寧に縫ってもらえるように頼むんだった。
 そうでなくてもしっかりと腕に包帯を巻くなり袖の長い服を着るなりして、王子の目を誤魔化しておけば良かったのだ。
 まるで考えつかなかったことに後悔をした俺へ向けて、フカボシ王子が言葉を落とす。

「……今からお願いすることに、怒ったりしないで欲しいのですが」

「お、おう? なんだ?」

 そろりと寄越されたお願いに、俺は思わず背中を伸ばした。
 俺を怒らせるような何かを頼むつもりなんだろうか。
 この王子様の言うこと成すことで俺が怒ることなんて何一つ想像がつかないが、怒ったりしねえよ、とこちらを窺うフカボシ王子へ向けて言うと、ごくりと息をのんだ王子の腕が、ずい、とこちらへ差し出された。
 肘を曲げて、腕の先を強調するようにしながら、やっぱり船乗りの俺達より白い腕が俺の顔の前へとやってくる。
 ふわりと漂う良い匂いと、王子の奇妙な行動に目を瞬かせていると、こちらを見つめる王子が口を動かした。


 


戻る | 小説ページTOPへ