認識の齟齬
※この話の少し前
※主人公は実は悪魔の実の能力者でオカピに対する拡大解釈が含まれます
ふと、甘い匂いが風に混じる。
身に宿した悪魔のせいか、他よりいくらか鋭敏な鼻先をくすぐったそれを追いかけて視線を巡らせたルッチは、その視界の端に歩く男の姿を見つけて、もともと険しい表情を更に険しくした。
カクがこの場にいれば『怖い顔じゃ』と笑って絡んでくるだろうが、一人で鍛錬を行おうと建物を出てきたルッチの周りに、鼻の長い同僚はいない。
一つ上の階をつなぐ渡り廊下を歩く男はルッチに気付いていないようで、それすらまた気に入らず、ルッチの足が大地を蹴り、更に空気を蹴りつけた。
六式を使って軽やかに宙を飛んだルッチの影が視界に入ったのか、ルッチが近づいてようやくルッチの方を見やった男が、あ、と声を漏らす。
間抜けな顔のナマエと言う名のその男は、ルッチよりいくらか年上の同僚だった。
「ルッチ」
どうしたんだ、と尋ねる相手をよそに、窓のない渡り廊下へと入り込んだルッチは、両手をポケットにしまって相手を見下ろした。
「なんだ、それは」
問いながら見やるのは、男の手にある小さなブーケだ。
色とりどりの花々が混じるそれらをこんなところで目の前の男が持っているというのは、何ともおかしな話だった。
ここは司法の塔であり、そんなものを持ち込む人間などそうはいない。
誰からの贈り物だと睨み付けたルッチに首を傾げて、男は片手に持っていた花束を軽く揺らした。
やはり甘やかな匂いがそちらから漂い、風に溶けて消える。
「長官殿のところへの贈り物に混じっててさ。いいっていうから貰ってきた」
柔らかな声を漏らしてそんなことを言う相手に、ほう、とルッチの眉が動く。
「その送り主も、随分と良い趣味をしているな」
どこのどいつだ、と尋ねつつブーケを見つめてしまうのは、そこに包まれている花の殆どが毒花だからだ。
根や茎、葉に毒性のあるものがほとんどだが、その中には一つ二つ、花びらをいくらか口にしただけで重篤な症状の出るものが含まれている。
色味は愛らしかろうが、ここまで悪意に満ちた花束もそうは無いだろう。
「うまそうな匂いだしどう見ても毒花だったから貰ってきたんだけど、長官の傍に置いといていいもんじゃないよなァ」
あの人ならドジで花瓶に顔を突っ込みかねないし、とルッチとしても否定の出来ない言葉を零した男が、花束を抱き直して笑う。
そうして立っていると、ナマエはどこにでもいる普通の男だった。
強さで言えば自身が妹扱いしているカリファにすら勝てるかは危ういところだが、潜入して諜報活動を行うサイファーポールの人間としては、これほどの適材もそうはいないだろう。
毒物を見抜く力にも長けているからか、無駄に権力のある後ろ盾を持つスパンダムへの贈り物を確認するのは、大概がナマエの仕事だ。
「返礼は」
「長官は気付いてなかったから、まあこっちで適当に」
さらりと寄越された言葉に、ふん、とルッチは鼻を鳴らす。
本来ならその非常識な贈り物の存在を伝え、命令を受けて敵を徹底的に制圧するべきだが、そこまでの義理は無いということだろう。
ナマエは手のかかるあの上司をそれほど嫌っていないが、とんでもなく好いているわけでもなく、何より日和見で暴力に訴えることを好まない。
そんなナマエが誰に言われなくとも徹底的に相手を排除するとすれば、それは一体誰に危害が加えられそうになった時だろうか。
考えた時にふとルッチの脳裏に浮かんだのは、つい先日スパンダムについて出かけた先にいた巨漢だった。
殆ど顔を合わせたことも無いインペルダウンの監獄署長たる毒人間のどこがそんなに気に入ったのか、ルッチにもカリファ達にもまるで理由が分からない。
しかし、腹芸の得意なはずの諜報員が目も合わせられずに意識した様子を丸出しにしているのは、ナマエが相手に好意を抱いていることを裏付けるに十分な光景だった。
あれからも、ナマエはことあるごとにインペルダウンの方へ顔を出す仕事を引き受けている。
恐らくナマエは、署長の座を狙っているという副署長が何か卑劣な手を働けば、知ったのと同時に誰に言われずとも勝手にその報復に乗り出すだろう。
「あ、そうだ」
過った不快な感情に眉を寄せたルッチの前で、そんな風に言ったナマエがその手を無造作にブーケの中へと入れた。
触れて受ける毒は見当たらなかったが、あまりにも何も考えていないその様子にルッチがわずかな瞬きをしたところで、ひょいとその指が一輪の花を花束から抜き取る。
白くて小さなそれは、毒花の多いその花束の中でのわずかな良心ともいえる毒の無い一輪だ。
「ほら」
これやるよ、なんて言いながら伸びてきた手がルッチの頭に触れて、思わずルッチは身を引いた。
しかし気にせずルッチの髪に何かをしたナマエが、手を降ろしてルッチを見やる。
「やっぱりルッチには白がいいな」
「何の話だ」
尋ねつつルッチがその手を自分の頭へ触れさせようとすると、伸びたナマエの手がしっかりとルッチの手を捕まえた。
あまり強くはないその力にルッチが動きを止めたのは、昔のように無遠慮にナマエが触れて来ることなど、もはや殆ど無かったからだ。
「可愛いから大丈夫だって。あとで鏡でも見てくれ」
どう考えてもあり得ない発言をした相手に、お前の目は節穴か、とルッチは思わず呆れ声を零した。
サイファーポール最強とすらも呼ばれるロブ・ルッチの髪に花を挿したとして、そのどこが可愛いというのか。
可愛らしさを売れる年齢などとうに過ぎてしまったし、もとよりルッチは昔から、『可愛い』とは言われがたい態度の男だった筈だ。
しかしルッチの言葉を軽く笑って流すナマエは、無駄に年上ぶった顔をしている。
少ししか年齢も変わらぬくせに、ナマエは昔から大人びた目をしていた。
サイファーポールを多く輩出するという家柄に拾われたというナマエがどこの誰かはもはや誰にも分からないが、カリファを妹として扱うように、どことなくルッチ達を弟のように扱っている。
ルッチは昔から、それが気に入らない。
児戯に誘われるのも煩わしく、けれどもいつだってその近くにいたのは、そうすればナマエが必ずルッチにも話しかけたからだ。
「……馬鹿馬鹿しい」
低く声を漏らし、掴まれていた手を無理やり動かしたルッチの指が、自分の髪に挿されていた花を掴む。
そのまま握りつぶすようにして取り払えば、どことなく残念そうな声がナマエの方から漏れて聞こえた。
しかし、その顔は悲しんでいるようにも見えない。
ルッチの行動などお見通しと言うことだろうと考えると更に気に入らず、ざわりと過った感覚のままに、ルッチの体が軋みを零す。
「あれ? ルッチ?」
「暇だろう。たまには付き合え、ナマエ」
体を獣人のそれに変えながら、そう告げた言葉が相手に届くのとほぼ同時に払ったルッチの腕が、ナマエの体を横に弾き飛ばした。
わあ、と声を漏らして花束を抱え込んだナマエが、そのまま渡り廊下から外へと弾かれて落ちていく。
「どうしたんだ、ルッチ。暇なら久しぶりに鬼ごっこでもするか?」
さすがに体術訓練じゃあお前に勝てないって、と言葉を零しつつ両手を使わずに立ち上がったナマエへ、ルッチは返事をせずに飛びかかった。
両手にブーケを抱えたまま、慌てたように駆けだしたナマエを追いかけて、更に体の動物化を進める。
最終的には一匹のレオパルドとしてその首筋にかじりついてやったが、何とも不愉快なことに、一点集中型の鉄塊が得意なナマエには牙が通らなかった。
end
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