隠し味は愛 (2/2)
別に、誰かから特別手習いを受けたとか、そういうわけじゃない。
しいて言うなら俺の記憶に残る『前世』で俺が料理人だったという程度のことだったのだが、どうも俺は案外料理の出来る人間だったようだ。
自分で食べるものは自分の好みで作るのだからうまく思えるのは当然で、他の人間に食べさせたことなんてほとんどなかったから知らなかった。
けれども当然、クロコダイルが雇い入れている料理人には劣るだろう。
それでもどうやら俺の料理を気に入ったらしいクロコダイルは、それから毎回夕食を俺に作らせた。
正確に言えば料理人に夕食を作らせなくなって、後で夜中に俺が作る『夜食』を食べにくるようになった。
口約束すらもしていないが、二度現れたときから倍量作るようになった食事は、今のところ一度も無駄にはなっていない。
おかげさまで、新しいレシピを探すのが毎日の雑務の中にこっそりと増えた。
「うん……これはなかなかじゃないか」
今日一番手間のかかったソースで、薄切りの柔らかい肉を食べる。
レシピで見た知らない名前のソースだったが、案外うまくいくものだ。
ちらりと見やった先では片手で優雅にフォークを使うクロコダイルがいて、俺の視線に気付いた相手がじろりとこちらをねめつけた。
「何だ」
「ん? いや、うまいかなと思って」
何度もやったやり取りに同じ言葉を紡ぐと、悪くねえ、といつもと同じ返事が寄越される。
けれどもその後、フォークを皿へと乗せたクロコダイルが、いつもと違う言葉を口にした。
「てめェがここまで料理が好きだとは知らなかった」
そんなに好きならコックにでもなるか、と漏れる低い声はまるで嘲笑しているようだが、どうやら俺への提案のようだ。
片手で操るフォークで自分の口へ肉を運んでから、ううん、と声を漏らす。
「職業がコックになっちまうと、いろんな人に料理を振る舞わなくちゃいけなくなるからなァ」
クロコダイルは俺と味の好みが似ているようだが、皆がそうというわけではないだろう。
クロコダイルのこの屋敷にだって、使用人は複数人いる。
彼らの要望に合わせた料理を毎食作ると考えると、なんとも面倒くさい。
『前世』の俺はよくもまあそんな仕事が出来たものだ。
世の中の料理人にも感心する。
俺の発言に、暫く押し黙ったクロコダイルが、どうしてか先ほどの優雅さを欠いた動きでフォークを皿の上の料理へと突き刺す。
かちん、と音をたてたそれを気にせず捕まった肉がその口へと押し込まれて、唇の端にソースがついてしまった。
そんな自分に気付いた様子も無く、不愉快だ、と言わんばかりのしかめっ面で食事をとるクロコダイルに、少しばかり目を瞬かせる。
とりあえずそっと相手へ体を寄せて、俺は片手をクロコダイルへと伸ばした。
並んで食事をとっているから、クロコダイルがじろりとこちらを見たのもすぐに分かる。
警戒するようなまなざしを気にせず近付けた指で、そっと唇の端を拭った。
「ソースついてたぞ。珍しいな」
すぐに手を離して、指の汚れを見せてから手を引っ込める。
拭くのが面倒で舐めたそれは少し酸味があるが、肉と絡むとなかなかにうまいのだ。
残ったソースは料理人に使ってもらおう、なんて考えつつ自分の食事に戻ってから、俺はふと傍らの男が動かないという事に気が付いた。
あれ、と口にフォークをいれたまま行儀悪く視線を向けると、俺のその動きに気付いたらしいクロコダイルがそっぽを向く。
何ともらしくない行動だ。
「クロコダイル?」
隣に座っているためにその表情を窺うことが出来ずに、フォークから口を話して声を掛けた。
たった一回しか呼んでいないのに、うるせェ、とクロコダイルが低く唸る。そしてその顔はこちらを向かない。
その行動の理由に、数秒経ってから思い至り、はは、と笑い声が零れてしまった。
「もっと恥ずかしいことだってしてるのに、なんでこんなので照れるんだよ」
相変わらず、クロコダイルは俺にはよく分からない感性を持っている。
突き詰めて考えれば、俺がクロコダイルに惚れたのは別としても、俺を好きになってくれたのもまた悪趣味だ。
俺自体は、そこらを歩いている連中と何も変わらない。
しいて言うならまるで未来を見通すような『前世』の記憶と知識を持っていたことくらいだが、ずっとずっと昔からの記憶はもう随分と曖昧だ。
この世が紙の上の世界なのだとしても、結局俺はそこで生きているんだから、気にしても仕方ない。
昔から『鰐野郎』であるクロコダイルのことは知っていたから、初対面だった相手の名前を呼んでしまった。
それが多分クロコダイルの興味を引いて、紆余曲折を経てそのお隣に恋人の座を用意してもらっている。
強くて狡猾で恐ろしいクロコダイルを可愛いと思っているが、言うと怒られるので俺だけの秘密だ。
「誰が照れるか」
舌打ちを零してそう唸り、クロコダイルがゆっくりとこちらへその顔を向けた。
確かにその顔はいつも通りだが、表情に出づらい男なのはちゃんと知っている。
そして、追求すれば怒らせてしまうのも間違いないので、照れてないなら別にいいんだけど、と言葉を零してから自分の正面の皿へと視線を戻した。
「それにしても、そろそろ夕飯の時間を戻さないとなァ」
料理の残りを口にしながら、そんな風に呟く。
さすがに連日遅い時間に食事をしていたせいか、最近体重が増えてきた。
傍らの誰かさんも同じなのだが、クロコダイルはもう少し柔らかくてもいいと思うのでそれはいいとして、俺である。下っ腹の出たおっさんになったら愛想を尽かされそうだ。
どうやって仕事の時間を調節したものか、と考え込む俺の横で、ふん、とクロコダイルが鼻を鳴らした。
「だからコックになるかと聞いたんだ」
「いや、いろんな人に料理を振る舞うのは面倒だし」
「おれの分だけ作ってりゃあいいだろうが。てめェにもおこぼれは恵んでやる」
きっぱり、はっきりとした発言に、少しばかり沈黙する。
つい先ほどのクロコダイルの不機嫌を思い出して、どうして急に少しばかり怒ったのかに思い至ってしまった。
どうやら俺は、クロコダイルの胃袋を掴んでしまったらしい。
独り占めしたいと思うほどというのは、相当なものじゃないだろうか。
俺が女だったら責任を取って嫁にしてもらうところだし、クロコダイルが女だったら飯で釣って嫁にもらうところだ。
自分がやったことをそこまで認められている、という事実に何ともむずがゆい気持ちになって、俺はクロコダイルから自分の顔が見えないように明後日の方を向いた。
ついさっきクロコダイルが似たようなことをやっていた気がするが、さっきのクロコダイルがこんな心境だったんだとしたら、やっぱりあいつの顔は鉄仮面だ。
「あー……じゃあ、あれだ。俺とお前の夕飯だけ作れるよう、交渉してみるかな」
「クハハハハ! おいナマエ、耳が赤ェぞ」
どうにか表情を引き締めようとする俺のすぐそばで、クロコダイルが機嫌よさそうに笑う。
俺が照れたくらいでそこまで楽しそうにしてくれるだなんて、やっぱりクロコダイルは変わった恋人殿だった。
end
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