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日記帳の使い道
※『とある日記帳のこと』『綴られない物事』設定



『よし、じゃあお前の名前はマルコな!』

 朗らかに放たれた言葉に、マルコはしばし困惑した。
 青い炎を身に纏う、巨大な鳥の姿を取ったままのマルコの向かいに屈んで微笑んでいるのは、年若い男だ。
 少し薄汚れた格好をしている彼が潜むこの山をマルコが訪れたのは、『どこからともなく現れた悪魔』が山へ逃げて行ったと、排斥的な島民達が眉をひそめて噂しているのを聞いたからだ。
 山の出入り口には見張りが立てられ、もしもその件の悪魔が降りて来たら今度こそ打ち取ってやろうと意気込む島民は、しかしどうやら山狩りをするほどの気概は無いらしい。
 『悪魔』という言葉に気を惹かれたのは本当にただの純粋な好奇心で、しかし降り立った山小屋にいたのはどう見てもただの遭難者だった。
 どうやら『不死鳥』の名を持つ海賊のことを知らないようだったので、マルコは不死鳥の姿のままで相手を観察することにした。
 どう見ても普通の一般人だ。マルコの知らない服装をしているが、変わった服なんて広い海の島の数ほど存在する。
 山から下りるつもりは無いのか、小屋の周りを探索しては食べ物を探しているようだ。
 魚をさばくのがとてつもなくへたくそで、さらには内臓すらそのままの生魚をマルコへと与えてきた不届き者である。マルコの言葉ない抗議が通用したのか、生魚はきちんと火を通された。
 鳴き声すら零さない『不死鳥』にあれこれと話しかけ、その話の内容から間違いなく彼が件の『悪魔』らしいとは分かったが、まるで悪魔らしくない。
 そして、悪魔らしくない『悪魔』はマルコの炎が熱を放たないと気付いてからはマルコの寝床まで用意して、ついにはどうやらマルコへ名前を付けたようだった。
 それは別に構わないのだが、しかしどうして『マルコ』なのか。
 ぱちりと瞬きをしたマルコを見下ろし、俺はナマエって言うんだ、と『不死鳥』相手に名乗った彼は、楽しそうに唇を動かした。

『俺の知ってるやつの名前なんだけど、お前にそっくりだからさ。あとはお前が人間に変身できたら完璧!』

 ぐっと握った拳から親指を立てて言い放つ相手に、マルコは少しばかりの頭痛を感じた。
 マルコの知る限り、『不死鳥』なんていう珍しい生き物はそういない。
 青い炎を纏う大きな鳥で、人間になることが出来る『マルコ』と言えば、心当たりは一人だけだ。
 いっそ気付いているのではないかと思うほどの一致だが、しかしにかりと笑うナマエの顔には嘘も偽りも存在していなかった。
 これで本当は気付いていたというのなら恐ろしい役者だが、この数日でそんな裏表のある人間ではなさそうだという事をマルコは把握している。

『……ん? あれ、マルコお前今ため息つかなかった?』

 火の鳥ってため息吐くのか、と意味の分からない感心を示した鈍い男に、視線を向けたマルコの足が立ち上がる。
 そのまま普段の姿へ体を変貌させようとしたマルコは、けれどもそれに気付かず視線を外したナマエがその表情をわずかに陰らせたことに、わずかな戸惑いを持って動きを止めた。

『…………俺さ、帰り方も分かんねえんだけどさ』

 ここがどこだかも分からないし、と続けた相手に、マルコの目がゆっくりと瞬く。
 その顔を覗き込むようにして体を近付けると、近付いたマルコに気付いたのか、暗い表情を打ち消すようにして笑ったナマエが、その顔を改めてマルコへ向けた。

『マルコが来てくれてよかったよ。飛べるようになるまで面倒みるから、仲良くしような』

 弱った声音で言いながら、伸びてきた手にそっと身にまとう炎を撫でられて、どうしてか人の姿を取って見せることにためらいが生まれた。
 何故かと言えばそれは、マルコよりも随分と年下の癖をして寂しさを飲み込んだ顔をしたナマエに、目を奪われてしまったからだ。
 目の前の相手がマルコに縋るのは、マルコがどう見ても『動物』だからだった。
 その正体が『海賊』だと知ったなら、どう見てもただの一般人であるナマエは怯えてしまうかもしれない。
 しかし、不死鳥のままではナマエに魚の捌き方一つ教えてやれない。
 捕まえて安全な生活の出来る場所へと飛んでいくにしても、『悪魔』の姿を見かけた島民達から狙撃されては、マルコはともかくナマエが怪我をするだろう。
 大体、『安全な場所』へ運ぶのだとしても、一度は船へ戻らなくてはならない。ナマエをモビーディック号へと連れて行くのならば、遅かれ早かれ知られることだ。
 そんなことをいくつも考えて、どうにか正体を現すことを決意したマルコがナマエの目の前で動物化を解いたのは、それから数日たってからのことだった。

『え……え? あれ? え!? ちょ、ちょっと待って……!』

 マルコの予想通り驚いたナマエは、しかしマルコの予想とは違って怯えることなく、ただ何やら恥ずかしがっていた。
 肩透かしな反応に思わず笑ってしまい、マルコは肩を竦める。

『何してんだよい』

 落ち着け、と声を掛けたマルコの向かいで、『よいって言った!』と何故かナマエは一人で騒いでいた。
 マルコの口癖まで知っていてどうして不死鳥とマルコを結び付けられなかったのか、マルコには何とも理解のしがたい話だ。







 言葉を交わせるようになり、共に生活をしながら接して、マルコはいくつかナマエのことを知った。
 ナマエはどうやら、故郷からこの島へと唐突に飛ばされてきた人間のようだ。
 自分の生まれ育った島がどこにあるのかも、ここがどこなのかも分からず、ただ唐突に現れたことで驚いた島民達に追われて山へと逃げ込んだ。山を下りようとしないのは、また理不尽に襲われないかと怯えているからだ。正しい判断である。
 そうして、恐らくもともとはそれなりに裕福な暮らしをしていたらしい。
 魚の捌き方一つを見ても拙いし、食べられるものと食べられないものの区別が怪しい。マルコが訪れなかったら、そのうちおかしなものを口にしてのたうち回っていたかもしれない。
 それから、よく笑うしよく喋る。
 言葉を交わせる相手がいるのが嬉しいのか、マルコが不死鳥だった時もすでにやかましい方だったというのに、その騒がしさが更に増した。
 マルコに言わせれば常識知らずで、まるで小さな子供のように『なんで』『なんで』と寄越される問いかけにマルコが答えたのは、きらきらと輝くナマエの瞳を見たからだった。そんな目を向けられて無下に出来る者など、そうはいないだろう。
 知れば知るほど目を惹くようになった相手を、このまま手元に置こうとマルコが強く思ったのは、ナマエが悪夢にうなされて起きた時だ。

『どうした、おかしな夢でも見たかい』

 寝床から起き上がったまま、口元に手を当てて顔を真っ青にしたナマエへと近寄ったマルコは、あまりにもひどい顔をしているナマエに、思わず震えるその体を抱き寄せていた。
 男相手におかしな話だが、そうする事が当然なように思えたのだ。
 そしてナマエもまた、抵抗をせず、その手で小さくマルコの服を握りしめた。
 縋りつくようなそれに抱いた最初の感情は恐らくは庇護欲で、けれども幾夜か同じようにして過ごすうちに、別の感覚が頭をもたげた。
 馬鹿馬鹿しい錯覚だとは思いながらも、どうにも断ち切れなかったからこそ、マルコは何度断られてもナマエを誘ったのだ。
 最悪攫って行くかと考えていたが、ついにはほだされたらしいナマエが頷いたからこそ、今ナマエはモビーディック号に乗っている。
 ついでに言えば、結局錯覚ではなかったマルコの想いは成就して、新しい『弟』は今やマルコの恋人だ。

「……あ! また!!」

 悲鳴のごとき声が聞こえ、それと共に駆け寄ってきた相手に、マルコは手元の物を閉じて視線を向けた。
 怒ったように眉を吊り上げたナマエが、駆け足で近寄ってきて、その両手を伸ばしてマルコの手から今読んでいたものを奪い取る。
 そのまま離れようとする腕の片方をマルコが捕まえると、奪ったものを片手で持ち直してマルコから遠ざけたナマエが、その顔を真っ赤にしていた。

「なんで見つけるんだよ、もう!」

 お怒りのナマエが隠しているそれは、マルコがあの島から持ち出してきた『日記』だ。
 誰のと問われれば、それは当然ナマエのものだ。

「見つかりやすいところに挟まれてたんだよい」

「嘘だろ、あんなに頑張って隠したのに……!」

 驚きのにじんだ声を出す相手に、本当だとマルコは答えた。
 どうにもナマエは、物を隠すのが下手だ。
 少し探せばすぐに見つかるのだから、読みたい時は簡単に手元へ引き寄せてしまうことが出来るのである。
 あの小屋でも、ナマエは一応隠していたが、マルコは難なくそれを手に入れ、ナマエから『日本語』を教わりながら中身を読み解いた。
 ナマエの故郷が扱う文字は難解で、書いた道具が悪かったのか文字はあちこちが潰れており、読み取れない箇所も多かった。
 ましてや『日記』を読むだなんて悪趣味な話だが、しかしマルコはどうしてもナマエのことが知りたかったのだ。
 ナマエが胸の内に秘めるつもりだったらしい想いもそこには記されていて、マルコは無事にナマエを手の内に収めた。
 ナマエの生い立ちに関しては読み取れない部分も多かったが、ナマエ自身がきちんとマルコに話してくれている。
 だからもはやナマエの『日記』の中身には用事がないが、それでも時たまナマエの手に渡った『日記』を探しては、わざと目立つところで広げていた。
 そうすれば、どこで何をしていようと必ず、ナマエが走ってくるからだ。

「ぜ……全部読んだんだろ、今さら探さないで!」

 恥じらいの混じった怒った顔で言い放つ相手に、マルコは軽くため息をついた。

「どっかの誰かさんが、おれを放っとくからだろい」

 読ませたくないなら見張っていればいいだろうと言葉を続けると、ナマエはぱちりと瞬きをした。
 先ほどまでのお怒りはどこへやら、とまどいをその顔へにじませた相手に、マルコは唇に笑みを浮かべた。
 構われたいから悪戯をするだなんて子供のような話だが、『恋人』になりたての相手がなかなか自分からは近寄ってこないのだから、マルコだって手段を講じるというものだ。
 民族柄なのか、どうにもナマエは羞恥心が強い。
 マルコがナマエをどうやって落としてやろうかと画策していた頃から家族達は知っていて、『恋人』となったことを揶揄われるのもままあることだと分かってはいたが、まさか『からかいが恥ずかしいから近寄らない』なんていう選択肢をナマエが選ぶとは思わなかった。
 あまり追いかけ回すと困り顔の『弟分』を助ける『兄貴分』達が現れてしまうので、マルコとしても策を弄するしかない。

「ナマエが悪ィ」

 あっさりと責任転嫁したマルコの言葉に、何それ、と眉を下げて声を漏らしたナマエが、少しばかりおかしな顔をした。
 にやけを無理やり引き締めたような情けない顔で、その目が少しだけ逸らされる。

「か……可愛いとか、言わないからな」

 マルコの意図を理解したからか、そんなことを言いだす相手に、マルコは気にせず肩を竦めた。
 年下の男に『可愛い』と思われるだなんて普段なら不名誉なことこの上ない話だが、言われても構わない相手、というのはどうやら存在するものらしい。



end


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