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桃色の計略(2/3)

「……びっくり、した……!」

 驚きに目を見開くサンジの顔に近い唇が、ほう、とため息を零した。
 確かにナマエの言う通り、サンジの手が触れているナマエの胸元は、ばくばくと心臓の音を派手に響かせている。
 硬い胸は間違いなく男のそれで、どれだけ女性的な格好をしようが目の前の相手は『男』なのだという事を、サンジははっきりと認識した。
 だというのに、相手の顔が近いという事実が、何故だかサンジを動揺させている。

「ごめん、さっき扉壊しちゃって……帰ったら直すつもりだったんだ」

 サンジを自分の腕と体で閉じ込めたまま、そう言ったナマエが少しばかりの笑みを浮かべた。
 照れたようなそれは失態を見られて困ったような照れが混じっていて、間近で見せられたそれにサンジがわずかに息を飲む。
 ナマエはサンジの様子に気付いた様子も無く、ちょっと薬を貰いに行っていたんだとか、扉を逆向きに引っ張ったのが悪かったんだとか、言い訳なのか何なのかよくわからない言葉を口にした。

「でも、薬は貰いに行っててよかったかも。すごい怪我だな、サンジ」

 そうしてそんな風に言いながら、動いた片手がサンジの顔に触れて、どうやら擦り傷がついていたらしいあたりをそろりと撫でる。
 その手元からふわりと漂ったのは何やら柔らかな香りで、それがナマエの匂いだという事がサンジにはすぐにわかり、そして自分が『分かった』という事実にぶわりと体に汗がにじんだ。

「…………いつまでやってんだ、てめェは!」

 ぴりりと走った痛みと跳ね上がった動悸を感じ、サンジは声をあげて目の前の相手を両手で押しやる。
 おっと、と声を零した相手を睨み付けると、ナマエが少し驚いたように目を丸くする。
 近ェんだよ! とそちらへ向けて怒りながら、サンジはその手で自分の服を掴まえた。
 相手が『男』だと分かっているのにばくばくと跳ねる心臓をえぐってやりたいが、自分の心臓をえぐり出して交換することは叶わないのだ。







 サンジには時たま、ナマエが輝いて見える時がある。
 本当に馬鹿馬鹿しい話だが、まるで愛し称えるべき存在である女性を前にしたような気持ちを抱いてしまう瞬間があるのだ。
 この一年半と少し、男どころかほとんどが新人類であるこの島では女性と語らう癒しのひと時すらなく、そのせいだろうとサンジは必死に思い込む努力をしている。
 そうして、どうしてかわざとらしく、ナマエはレディのように振る舞ってはサンジをからかうのだ。

「てめェはどうしてそうなんだ、ナマエ」

 ずっと抱いていた疑問がサンジの口を滑り抜けたのは、手当てを受けた後も痛みの抜けぬ体をごまかして眠るために、酒を口にしてからだった。
 この一年半、いつどこで新人類に恐るべきドレスを着せられるかも分からないという状況で飲酒などできるはずもなかったから、サンジは暫く断酒をしていた。
 しかし、これは『これから三日間は大丈夫だよ』とどうしてかナマエがきっぱりと言い放ち、勧めてきたものだ。
 確かにナマエの言う通り、サンジをつけ狙う新人類達の襲撃は、この家にいる間は一度も行われたことがない。
 そのことを不思議に思い尋ねたが、『サンジが認められたんじゃないかな』とナマエは微笑むだけだった。
 あの新人類達は恐るべき生物だが、武力と料理についてはサンジも評価している。
 その彼らに『認められた』という事実を考えると面映ゆく、そんな自分をごまかすように受け取ったグラスへナマエが酒を注いだ。
 ラベルからして見たことのない酒だったが、口にすればどうしてか体の痛みが和らいだ気がして、気付けば随分と杯が進んでいた。
 外はもう暗く、灯りを弱くした室内も薄暗くて、ただテーブル端のカンテラが穏やかに室内を照らしている。
 サンジが作ったつまみを間に置いての晩酌で、ナマエの方もサンジと同じほどの酒を飲んでいた。
 久し振りのアルコールにわずかにぼんやりとする頭で見やれば、同じように酒で顔を赤らめたナマエが、なんのこと? と不思議そうな声を出す。
 その手はそっと片肘をついていて行儀が悪いが、作法については今さらだろう。
 今日もナマエは相変わらず女性的な服を着ていて、その体のラインや男らしい部分を隠すようにあしらわれたフリルや飾りは、完全にナマエを女性のように見せていた。

「そんな格好はしてるが、カマ野郎じゃねェだろう」

 いつだったか言ったような言葉を口にして、なんでそんな恰好をしてるんだ、とサンジは続ける。
 サンジが今日着ている服はナマエが取り寄せていたものだが、間違いなく男物だった。この島にいると女物しか手に入らない、なんて言う馬鹿な話はない筈だ。
 サンジの言葉にゆっくりと瞬きをして、ナマエが少しばかり不思議そうに首を傾げる。

「そんなこと、しりたいのか?」

 どうして、と尋ねて来るナマエの声は、普段より少し間延びしている。
 なかなか強かった酒は間違いなくナマエの体に染みているようである。ひょっとしたら、ナマエはあまり酒に強くないのかもしれない。

「ダチのことは聞きてェもんだろ」

 真っ向からそう言い放ち、サンジは自分の口にグラスを押し付けた。
 サンジを見つめて少し考えるように視線を揺らしたナマエが、その目をそっと伏せる。
 両手がそっとグラスを握りしめて、何かを思案するように右手の人差し指がグラスの側面を撫でた。

「……俺の母さんさ、俺のこと女の子だと思い込んでるんだ」

 昔から、と吐き出された言葉に、サンジはわずかに目を丸くする。
 サンジの方の反応が分かっていたのか、唇にあでやかな微笑みを浮かべて、ナマエが続けた。

「病院で、母さんの前でだけ女の子の格好してさ、毎日。男みたいなことすると泣かれるんだ」

「ナマエ……」

「男じゃないのにどうしてって言われて、ちゃんと女の子だったらよかったのになァってずっと思ってた」

 ふふ、とそこでわざとらしく笑い声を零して、ナマエがサンジの方へとその目を向ける。
 酔いの回った顔はわずかに赤らんだまま、楽しそうに微笑んだ唇もいつもと変わらないのに、その目だけがわざとらしく嘘を浮かべていた。

「……なァんて、本気にした?」

 冗談だよ、ただの趣味だから、と続く言葉の嘘くささに、サンジはわずかに眉間へしわを寄せる。
 その手がグラスを握りしめ、わずかに軋んだ音に気付いて指から力を抜いた。


 


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