見た夢は花の色 (2/2)
「んめェ」
言葉を零しながら食べ物を頬張るエースの肩口で、同じように鳴き声を零したナマエが先ほど買い求めた肉を噛みちぎっている。
訪れた春島は賑やかで、街中は人で溢れていた。
『白ひげ』の恩恵を受けている土地だからか、エースが背中を晒して歩いても忌避の目を向ける者はいない。
それどころか『白ひげさんのところのか』と笑いながらエースに食べ物を押し付けてくるほどで、すでにエースの片手は食べ物の入った紙袋で埋まっている。
先ほどから美味しく頂いているが、食べて空いた紙袋に新しく食べ物が詰まっていくのでまるで減らない。
「きゃう」
エースが渡した肉を食べ終えたらしいナマエが、鳴き声を零しながら振るった尾でエースの背中を撫でた。
こそばゆいそれにエースが視線を向けると、その顔を見上げる小さな獣と目が合う。
「今度は右か?」
尋ねたエースがすぐ右に伸びる路地を指差すと、そうだと言わんばかりにもう一度ナマエが鳴き声を零す。
先ほどから、街中を散策する間、エースはナマエに進路を任せて歩いていた。
腕から降りようとするナマエに、見失いたくないからと条件として付けたのだ。
エースの言葉を理解する賢い獣は、先ほどから何度もエースに指示を出して移動している。
今回もまた言われるがままに路地へ折れると、とたんに周囲の喧騒が遠くなった。
昼前の住宅街だが、あまり騒いでいる人間はいないようだ。
「こっち、何にもねェんじゃねェか?」
子供すらも見当たらない状況に首を傾げたエースの肩口で、鳴いたナマエがごそりと身じろいだ。
とん、と勢いよく肩から飛びたった重みが頭の上に乗ったのに気付いて、エースの片手が慌てて帽子を支える。
「次はそこかよ」
先ほどから、エースから離れない代わりに居場所を何度も変更している小さな獣へ笑うと、ナマエは更に鳴き声を漏らした。
柔らかなぬくもりが感じられなくなったのは少し寂しいが、ナマエがそうしたいならまあいいかと考えて、帽子の深さを調節したエースの手が帽子を離れる。
そうして、頭の上に小さなナマエを乗せたままで歩いたエースがたどり着いたのは、町の外れだった。
小さな路地を過ぎ、林に入り込んでなおも歩み続けた足が、ついには島のふちで止まる。
「……へえ、ここに続いてんのか」
温かな日差しの落ちるそこは絶壁で、立ち並ぶ木々には柔らかな色味の美しい花が咲いていた。
昨晩酒の肴になった美しい花びらが、ひらりとエースの前で舞い落ちる。
足元も生えている草にすっかり花びらが混ざり込んでいて、日差しを吸い込んだかのように穏やかに光っていた。
同じように花びらが落ちていく崖の向こうは青海原が広がっていて、首を巡らせれば停泊しているモビーディック号が見える。
そういえば夜も光ってたな、なんて考えたエースの頭の上からふと重みが退いて、それと共に下を見ていたエースの視界に大地へ降り立つ獣の姿が入り込んだ。
花びらや草を踏みつけて、エースを仰いだナマエがきゃう、と鳴く。
「ここで飯食ってこうって?」
寄越された鳴き声に答えつつエースが座ると、そうだと言わんばかりにもう一度鳴いたナマエがエースの膝へと乗り上げた。
いつだったか、『白ひげ』がナマエを愛でていた時のような姿で寝転ぶ相手に、エースの目がわずかに細められる。
穏やかな日差しの中、持っていた紙袋を置いてから、エースは片手で小さな獣をそっと撫でた。
普段だったらできないくらい広範囲の背中を撫でられたのが気持ちよかったのか、ナマエがわずかに喉を鳴らす。くるると漏れるそれも普段よりまるで音が違っていて、ただ可愛らしいだけだ。
エースが出会った時、ナマエは既にあの大きさだった。
きっとあの島でずっと生きてきたのだろうナマエを、連れだしたのはエースだ。
だからエースにはナマエを守る責任があるし、ナマエに異常が起きていると知った時には焦ったというのに、ナマエと言えばまるで普段と変わらない。
そういやおれが小さくなった時もそうだったな、とかつてのことを思い出し、軽く息を吐いたエースの手が動くのを止めた。
気持ちよさそうに喉を鳴らしていたナマエが、ぱちりと目を開いてエースを見上げる。
ころりとその体がエースの膝の上で反転し、無防備に腹を晒しながらじっとエースを見上げてくる相手を見下ろして、やがてエースはため息を零した。
その両手がナマエを捕まえ、後ろ向きに体が倒れ込む。
足を伸ばしながら花びらや草を体の下敷きにして、エースの手がナマエを自分の胸の上に置いた。
いつもだったらナマエの毛皮が毛布の役割を担うが、小さなナマエにそれは期待できそうにない。
むしろ小さな獣の方が体の冷える割合は高いだろうと、エースはかぶっていた帽子をナマエの体の上へと乗せて、片手を自分の頭の下へと置いた。
「さっきから飯食ってたし、残りを食う前にひと眠りしようぜ」
転がったままでそう誘いをかけると、エースの胸の上に腹ばいになったナマエが、体の殆どをエースの帽子に隠された格好のまま、そっとその顎をエースの体へと預けた。
帽子の中で動いた尻尾がわずかにエースの胸板をくすぐり、こそばゆいそれに笑ったエースの目がナマエから真上へと向けられる。
うまいこと咲き誇る花々が日差しを遮っていて、はらりと時たま落ちてくる花びらにさえ目をつぶれば、気持ちよく眠れそうな場所だ。
わずかに漂う花の香りを吸い込んで、ゆっくりと目を閉じたエースの体から力が抜けていく。
「……きゃう」
「おう、おやすみ」
おやすみ、と告げるように漏れた鳴き声に同じ言葉を返してから、エースはそのまま心地よい眠りへとその身を沈めた。
少し寝すぎたと気付いて慌てて戻った先で花びら塗れなことを指摘されるのは、それから数時間も後のことだ。
end
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