10.X (2/3)
「坊主」
声を掛けると、驚いたようにぴょんと飛び上がった子供が、それから慌てた様子でこちらを振り返る。
何となく見たことがある顔をしているような気がしたが、親せきにこんな淡い髪色の子供はいただろうか。
そんなことを考えながら見つめた先で、丸くなったその目が俺を見て、それから子供は不思議そうに首を傾げた。
「おにーさん、ぼくのことよんだ?」
「ああ。大人向けのものしかない店に一人でいるなんて珍しいからな。誰かと一緒か?」
聞いた俺に、子供は素直に首を横に振って返事をする。
それからその目がちらりともう一度帽子を見やって、小さな手が一番上に置かれたそれを指差した。
「あれ、かいにきたんだ」
「あれ?」
「うん。おかあさんが、たんじょうびだからすきなものかってきなさいって」
言ってもう片方の手をひょいと見せられて、そこにベリー紙幣が握られていることに気が付く。
小さく開かれたそこに乗っている紙幣は、どうやらしっかりと握りしめられてきたらしくしわくちゃになっていた。
どうやら、この子供は今日が誕生日らしい。
そういう場合、俺だったら『欲しいもの』を買ってきて渡すと思うんだが、子供の家の教育方針は自分の欲しいものを買わせる、という方向だと言うことだろうか。
今いち、俺の夢の方向性が分からない。
明晰夢であるがゆえに自分の夢に疑問を抱きながら、ひょいとその場から立ち上がる。
俺を見上げた子供がわあ、と声を漏らしたのを聞きながら、子供の後ろから手を伸ばして棚の上の帽子を手に取り、もう一度屈む。
「おにーさん、おっきいんだね!」
大きくて怖いと泣かれることの多い俺に対してにこにこと笑ってくる子供に、俺は自分の願望を見た気がして少しへこんだ。いやまあ確かに、泣かれるよりは好かれた方がいいが、夢の中でこれはちょっとむなしい。大体、この世界には俺より大きい人間なんてたくさんいるだろう。
肩を落としそうになるのをどうにかこらえて、持っている帽子を子供の頭の上に乗せる。
「これでいいのか?」
つまり、買いたくても物理的に手が届かなかったということだろう。
そう判断した俺の前で、子供はどうしてかすぐに帽子を頭からとった。
そして、ううん、と首を横に振る。
「ぼく、これかえないんだ。おとなようのぶんのおかねはないから」
そうして切なげに落ちた声に、俺はそこでようやく帽子の値札に気が付いた。
言われて見れば随分と大きく書かれたそれは、確かに、子供が持っているベリー紙幣では足りない。
海兵はこんな高い帽子をかぶっているのか。本気か。
思わず怪訝そうな顔になってしまっただろう俺へ、えへへ、と子供がごまかすように笑う。
その手がぎゅうっと帽子の端を握りしめて、それから戻してくれとこちらへ差し出してきたのを見やって、俺はそれを受け取った。
「こどもようのはむかいのおみせでうってるから、あっちでかうよ。ぼくはかいへいになるから、おっきくなったらじぶんでためたおこづかいでかうんだ」
小さいくせに、この子供は妥協というものを知っているらしい。
何とも世知辛い夢の世界だ。
何となく切なくなった俺は、自分のポケットが未だ札束で膨らんでいるのを思い出し、子供に返された帽子を手にしてもう一度立ち上がった。
それから、子供が見上げている前で帽子を確認して、そのまま子供を見下ろす。
「……なあ、実はちょっと服を買いに来てたんだが、一つシャツでも選んでくれるか?」
「? ぼくが?」
言われた言葉に戸惑ったように、子供が首を傾げる。
まあ、その反応が普通だろう。俺だって、見ず知らずの相手にそんなことを言われたら怪訝そうな顔をするに決まっている。
しかしこの世界は俺の夢の世界なので、何とも都合のいいことに、少し考えた後で子供が頷いた。
「おにーさん、ここにきてるってことはかいへいさんだもんね。やっぱりせいふくかいにきたの?」
そうしてそんなことを言いながら、ひょこひょこ歩いた子供の手が、俺のサイズに合っていると思わしき一般海兵のシャツを一つ引っ張る。
ハンガーに掛けられたそれを手に取って、まあそんなところかな、と答えた俺は、軽くそれを自分の体に当てて見せた。
制服なんて誰が着たって一緒だろうに、にあうにあうと子供が笑う。
そうかと笑ってシャツを体から離した俺は、それと帽子を手に持ってそのまま精算所へ向かった。
すぐに使うからと帽子はタグだけを切ってもらって、さっさと金を払い、すぐにそのまま子供の方へと戻る。
俺が戻ってくるまで大人しく待っていてくれたらしい子供を見下ろしてから、俺は帽子を子供の頭の上へと戻した。
「ほら」
「え?」
不思議そうな子供の目が、戸惑って俺を見上げる。
なに、これ、と自分の頭に乗ったものを掴んだまま尋ねられて、坊主にやるよ、と俺は答えた。
現代日本でこんなことをやったらただの不審人物だが、ここは俺の夢の世界だし、俺の願望を体現してくれた子供に少し優しくするくらいいいだろう。
そう思っての行動だと言うのに、やっぱり融通の利かない俺の夢らしく、子供がむっと眉を寄せる。
「なんでぼくにくれるの? しらないひとにものをもらっちゃだめなんだよ」
言いつつ帽子を外そうとされたので、手で軽くそれを抑えた。
「知らない人って酷いな、坊主は俺のシャツを選んでくれただろ」
そのお礼だよと言って片手の袋を揺らしてみるが、子供の顔はやっぱり不審そうだ。
頭の固い子供に笑って、俺はとりあえず彼を伴って店を出ることにした。
別に、後ろにあるレジの店員の視線が痛いとか、そういうわけではない。決してだ。
「ねえ、おにーさん、ぼくいいよ、かえすよ。りゆーもなくなにかをくれるのはこわいひとだっておかあさんがいってたよ」
往来に出ててもまだそんなことを言って、酷い言いがかりをつけてきた子供が自分の頭から帽子を剥いだ。
それをそのまま俺の方へと差し出されて、俺は屈んでいた背中をまっすぐにのばす。
そうすると、ぴょんと子供が跳んでも当然ながら俺の頭には届かず、手渡そうとしてきた動きから逃れるように両手を持ち上げてしまうと、子供にはなすすべがなくなってしまった。
帽子を両手で胸の高さまで降ろしてから、頬を膨らませた子供が俺を睨む。
「もー! おにーさんってばっ」
高い声を上げられて、俺は軽く肩を竦めた。
「せっかくのプレゼントなのに、返されちゃたまらないじゃないか」
「だから、りゆーもなくものなんてもらえないんだよ!」
俺の言葉に、必死になって子供が言い募る。
そこまで拒絶されるとちょっと悲しいなと思いつつ、俺は子供を見下ろした。
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