帽子屋 第三話
bookmark


 絶対の掟を破った俺を非難する、その声が消えても、

 輝きの丘の光が消え、辺りが暗くなっても、

 教会の鍵が閉められても、

 俺は、アイリーンを抱きしめ、

 声を殺して泣き続けた。


 なぁ、アイリーン。
 もしもあの時、俺がしっかりとお前を抱きしめていたなら、
 お前は、純潔の乙女の役をせずに済んだのか?
 その身を、その心を、大天使に捧げることを、少しでもためらってくれただろうか?
 なぁ、アイリーン……

 大天使ガブリエル、貴方が本当に居るのなら

 貴方に捧げた乙女を……俺にかえしてくれ……――!



「どうやら、間に合わなかったようですね」

 突然教会に声が響き、俺ははっと振り返った。
 誰もいない――空耳だ。すっかり日の落ちた教会には、窓から差し込む月明かりと、さざ波の音がこだまするだけ。
 しかし、もう一度端から端まで目線を振った時、人影が視界をかすめた。
 扉の前に、全身黒ずくめの、青白い男の顔がぼうっと浮かんでいる。
「こんばんは」
 男は切り傷のような目を細めて笑い、闇に一体化している帽子をすっと持ち上げた。
 俺が唖然としていると、次の瞬間にはそいつの姿は俺たちのすぐ側まで来ていた。
 長いマントで覆われた体から手を伸ばし、すっかり色を失ったアイリーンの頬に触れる。
「こんばんは、純白の花嫁さん。もっとも、ドレスは赤に染まってしまったようですが」
 男の呟いた言葉に、俺は顔を顰め、男の手を振り払った。
「あんた、どこから来たんだ」
 俺はアイリーンを抱き寄せ、唸るように問いかける。あまりに力なく、擦れた声だった。
 すると男はとぼけるように、さぁ、と肩をすくめた。
「私は、この方に呼ばれて来たのですがね」
 男はそう言い、アイリーンに微笑むと、軽く辺りを見回した。


next|prev

[戻る]
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -