第五章 紅茶伯爵とサマー・ガーデン
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 ダージリンは目の前に見える豆電球のような光に目を凝らし、ボコンとひとつ大きな泡を吐いた。
 真っ直ぐに太陽を見つめて泳いでいるのに、いつまで経っても近づいているような感じがしない。むしろ、遠ざかっていないか?
 逃げる太陽。そんなありえない考えが浮かんできてしまった自分の思考に、ニルギリに毒されてきた、とダージリンは顔を顰めた。
 でも、本当にそうなんだ。最初は手を伸ばせば掴めてしまえそうだと思ったのに、近づいていく今はまったく掴める気がしない。
 ついに息が苦しくなってきてしまい、ダージリンは一旦海面へ出ることにした。
 役に立ちそうもないティーカップが重い。ダージリンはうっすらと見える海面を目指し、そしてようやく顔を出した。
 そして海面の上を走る一本の線、“秋の庭”からの光を頼りに、ニルの居る浜のほうを見る。すると、秋の扉の前で手を振っているニルギリが見えた。
 海岸のニルはずいぶん豆粒になってしまっている。けれど、浜から見えた太陽の場所には少しも近づいていなかった。
「ど……どうなっているんだ?」
 ダージリンは豆粒の太陽と豆粒のニルギリを交互に見て、思わずそう呟いた。
 こんなに泳いだ覚えはないし、こんなに泳いだはずなのにちっとも近づいていない。
 まるで、虹の足元を探しているようだ。あの時も、こんなに近くにあるはずなのに、いくら走っても見つからない、と泣きべそをかいた覚えがある。
「ダージリン、そこは普通の海じゃないんだよ」
 うっすらと過去を思い出していたその時、天上から伯爵の声が降ってきた。
 のんきなあくびと共に届いたその声に、ダージリンはむっと顔を顰める。
「普通の海じゃないって、じゃあどうすれば太陽に追いつくんだ?」
「おや、君は太陽に追いついたことがあるかい?」
 ダージリンの問いかけに、伯爵はまるでからかうようにそう返した。
 その返答はかなり癇に障ったが、言われてみれば、そうだ。普通に考えれば太陽に追いつくはずがない。
 だって、太陽は空のまた上、宇宙という場所で轟々と燃えている火の塊なのだから。
「じゃあ、どうすればいいんだよ。常識的に太陽を捕まえるのは無理だ」
「言ったろう、ダージリン。そこは不思議な四季の庭。常識は通じないよ」
 伯爵がまた少し紅茶を揺らし、そう答えた。ダージリンの頭上で黒い空が揺れる。
 常識が通じないのは、伯爵、あんたもそうだよ。ダージリンはそう思いつつ、豆粒の太陽へ目を戻す。
 ちっぽけだ。本当に、指先でちょんとつまめてしまえそうなほど。だけど、夏の太陽ってこんなもんじゃないだろ?
 いくら泳いでも、いくら進んでも追いつかない――追うんじゃダメなんだ。じゃあ、


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