第十九話 鈴の音
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 大好きな暖かい太陽の下、ロビンはほうきのオスカーを片手に、顔をしかめて目の前の魔法陣を見つめていた。
 怪物退治なんて怖いこと、本当はすごく嫌だけど、言ってしまったからにはやるしかない。
 まずは、武器だ。ウルフマンは頭がいいから、見かけだけでも強そうなほうがいいかもしれない。
 見かけだけなら、ロビンには少し自信があった。あのメイファさえ何度か騙せたことのある、得意の変身魔法。
 ロビンは試しに描いた変身魔法陣の中心に、いつものようにオスカーの柄をついた。
 メイファのように高度な召喚魔術が使えれば、あっという間に武器を召喚することもできるのだが、ロビンはそこまで魔法が完全でないため、イチかバチかの召喚より、身近なものを変身させるほうが手っ取り早い。
 それでもロビンの変身魔法は完璧だった。オスカーは身を捻りながら鈍い光を放つと、すぐにロビンお得意のあの大剣に姿を変えた。
 柄頭にロビンの瞳と同じエメラルド色の石を嵌め、柄の部分は金。細かな装飾を施してあるが、握りの部分には厚く布が巻いてあるため、手にしっくりとなじむ。鍔は広すぎず樋の部分まで木の根のような装飾が伸び、ロビンの妄想の産物である太陽の紋章が黄金の木の根の間から覗いていた。
 刃の幅はロビンの頭ほどもある。重心を後ろに置いてなんとか持っていられるけれど、振り回すことはきっと難しい。
 試しに軽く振り下ろしてみると、ロビンが反応する間もなく重力にぐんと引っ張られ、大剣は自分の重みで派手な音をたてて地面に突き刺さった。
 しかも自力では抜けなくなってしまった。またオスカーに文句言われる、とロビンが慌てふためいていると、不意に後ろから声をかけられた。
「自分の力に見合わぬものを作るなと、初級変身術の書に耳にたこができるほど書いてあったがな」
 後ろ手に扉を閉めながら、賢者ホジがコツンと杖で地面を叩く。すると大剣オスカーはヒョイと宙を飛び、ロビンの手の中へ戻っていった。
 ロビンはオスカーの柄を握りしめ、恥ずかしそうに肩をすくめる。
「大きなものから小さなものを作るの、苦手なんです。小さなものからはある程度のものが作れるんだけど」
「魔力を制御するのじゃ。必要なだけの力を引き出すために、唇をすぼめて吐息を調整するときのように」
 口ではそう言われても、ロビンは魔力の制御がもともと大の苦手だった。
 大げさなものばかり作ってしまい、メイファにも何度も怒られた。必要なだけの力を出すって言ったって、そんな器用なこと、できないよ……。
 ロビンはもう一度オスカーをほうきに戻し、再チャレンジすることにした。魔法陣は朝日の中で薄く光り、効果はまだきれていない。
 ロビンは集中し、魔法陣に気持ちを送り込んだ。すると、魔法陣が強く光り出す。
 ここまではいいんだ。だけど、問題はこの後。
 ロビンがもう一度オスカーを魔法陣の真ん中に突き立てると、オスカーがまた大きな剣に変わった。
 ほら、ダメなんだ。今は小さなナイフを、しかもそれでリンゴを剥くところまで想像したのに、なぜか身の丈ほどもある半月刀になってしまった。
「ちゃんとイメージはしておろうな?」
 ちっとも小さくならないオスカーに、賢者が顔をしかめる。
「うん。でも、想像通りにならないんです。今なんて小さいナイフを想像したのに」
 ロビンは頬を膨らませ、重い鉄の剣を足元で揺らした。ダナみたいに力持ちだったら、こんなの簡単に扱えるのに。
「おまえさんが想像力に長けていることは、先の大剣への変身を見ればわかる。じゃが、あそこまで正確に実現できて、ものの大きさを変えられないということは、やはり力の制御が足りんのじゃ。装飾や使い方にばかり気を取られていないで、大きさから材質、重さまで、思った通りのものを作るのに必要なだけの力を注ぎ、それを決して注ぎすぎてはいかん。頭の中に形が出来たからといって、油断するなということじゃ」
「そこまでを一瞬で考えろっていうの?」
「それが魔法を使うというものじゃろう。魔力の制御なしに、杖を扱うことはできん」
 何を当り前のことを、とでも言いたげなホジに、ロビンは不満げに唇を尖らせた。
 ふと思い出すは、優秀な魔女だった義母のこと。
 メイファは魔法の授業中も、“手本”というものをあまり見せてくれなかった。日常生活、たとえばキッチンに立ち、料理をしながら時々繰り出される師匠の魔法を盗み見て、なんとなく、あんな風にすればこうなるのか、というふうにロビンは魔法を覚えてきた。
 何もかもを手本通りではなく、感覚で覚え、自分のものにしてきたロビンにとって、初めての“型どおり”の授業。
 ロビンは口をへの字に曲げながらも、言われた通りに魔法を使ってみようと、再び魔法陣に力を送り始めた。
 すぐに魔法陣がぱっと明るくなり、ロビンの号令でいつでも使用できる状態になる。ホジはふむ、と頷くと、明るすぎる魔法反応から、目を閉じて集中するロビンに目を移した。
 ロビンは目を閉じての想像を終え、半月刀のままのオスカーを魔法陣に突こうとする。しかしその手を、ホジの杖が遮った。
「何度も言うが、そこで魔力を制御するんじゃ。今のままでは強すぎる。魔力を陣へ送りこむとき、自分から力が出て行くことが感じられるじゃろう?」
 賢者のその問いかけに、ロビンはふと遠くを見た。そしてすぐに、首を横に振る。
「ううん」
 ロビンの返事に、今度はホジが首を振った。魔力が出て行くのを感じない、そんなこと、あるわけがないのだ。
「腹の奥底から何かが出て行く感覚があるじゃろう。魔力は底なしではない。体力を消耗することと同じように、体が変化を感じるはずじゃ」
 その言葉に、ロビンはまた遠くを見上げた。第二の魔の森から、変な声の大きな鳥が飛び立っていく。
「ううん」
 ロビンはまたそう唸り、首を傾げた。
 決して強がりなどではなかった。小さな頃からどんなに魔法を使っても、自分自身が動かない限り、疲労を感じることがなかったのだ。
 でも、メイファもそうだった。どんなに高度な魔法を使っても、どんなに連続して魔力を放り出しても、おしおきに追い回されるロビンとは裏腹に、平然とお茶でも飲んでいて汗ひとつかいていなかった。
 おしおきの後、たまに「肩がこったから叩いてちょうだい」と笑うだけで。
「だって、魔法を使って疲れたことなんて、一度もないよ」
 連続して使っても、ただ飽きて退屈になるだけ、とロビンは呟く。
 すると、今度は賢者が首を振った。
「疲労を感じない? それでは、どんなに走っても息切れしないことと同じことじゃぞ」
「走れば疲れるけど……」
 ロビンが呟くと、そうではない、と賢者が唸る。
「でも、師匠も、おじさんもそうじゃないか。魔法を使ったって、あんまり疲れた様子はないのに」
「それが熟練というものじゃ。体の成長に伴って魔力も成長するのじゃから、いずれ慣れは来る。だからといってわしも疲労を感じないわけではない。長年修行を積み、必要なだけの魔力を放出する術を完璧に取得しているからこそ、若い魔法使いのようにむやみに魔力を使わない分、疲労を軽減させているだけなのじゃ。おまえさんの師匠とて同じことじゃろう」
 何もかもをきっぱりと否定され、ロビンはだんだん不安になってきた。
 昔メイファがよく言っていたとおり、僕は特別なのだろうか。特別は嫌なのに。
 ロビンが不安げにうつむいた、その時――突然、村中に激しい鈴の音が響き渡った。
 一本の魔法の糸で繋がった無数の鈴が、ガランガランと競い合うように脳みそに騒音を響かせる。朝日にやさしく包まれていたリディア村に、一瞬にして緊迫した空気が張り詰めた。
 昨日エレンに説明してもらった、怪物の合図だ。
「――出おった!」
 ホジが声をあげると同時に扉が弾け、ダナが飛び出してきた。
 ダナと同じように、村の家々からも村人たちが飛び出してくる。何人かがスコップや斧を抱えて、男も女も関係なく、自分たちの村を守るために大通りへ駆け出した。
 鳴り響く鈴の音に急かされるように、魔の森から無数の鳥が叫びながら飛び上がっていく。
 まるで空を覆ってしまうような尋常でないその数に、ロビンは思わず身を震わせた。
「誰も動くな! 俺が行く!」
 騒音の中でダナが叫んだ。そして首輪に触れると同時に、猛スピードで魔の森へ駆け出す。
「ダナ、行くな!」
 とっさのホジの声はダナには届かなかった。すぐに骨格が変化し、ダナは走りながらウェアウルフに姿を変える。
 猛スピードで遠ざかるダナと、まだ鳴り響く鈴の音の中、ロビンはオロオロと辺りを見回した。
 がく然と行ってしまった孫を見つめるホジに、まだ魔の森から逃げ続ける黒い鳥たちの群れ。
 迷っている暇なんかない!
「ああっ、もう! ミス・ロビン!」
 ロビンの声に、ミス・ロビンはすぐに反応した。軒先からロビンの魔法陣へ飛び込み、そしてロビンの背中にはりつく。
 ミス・ロビンが黒い翼に姿を変えると同時に、ロビンは空へ飛び立った。
 半月刀のままのオスカーの重さに、ミス・ロビンがうーんと唸る。
「がんばってよ! ダナが怪物になっちゃうよ!!」
 ロビンは必死にミス・ロビンを急かしながら、大きく広がる第二の魔の森を見つめた。
 まるで竜巻のように、無数の黒い鳥が森の上で渦を巻いている。何かから逃げるというより、何かここに恐ろしいものが居るのだと証明しているようで、ロビンは少しゾッとした。
「行っちゃだめ! ロビンくん!」
 その時、背後でエレンが叫んだ。二階の窓から、エレンが身を乗り出している。
 その瞳は必死だった。しかしロビンは、そんなエレンに軽く手を振ってみせる。
「大丈夫、がんばってみるよ」
 ロビンは引きつった笑顔でそう言い、魔の森へ向かって飛んでいった。

    *

 ――いったい、何がどうしたっていうんだ。
 最近、やけに怪物たちが騒ぎやがる。つい数日前までは、二週に一度鈴が鳴れば珍しいほどだったのに。
 昨日といい、今日といい、ここのところ鈴の音を聞かない日はない。きっと、急激に何かが変わってきているんだ。
「ダ、ダナ!」
 森を駆けるダナの頭上から、引きつりぎみの少年の声が呼びかけてきた。
 見上げれば、昨日拾った少年魔法使いが空を飛んでいる。ほうきで飛んでいれば魔法使いにも見えたが、背中に真っ黒な翼を生やした姿を見ると、まるで人に変身したガーゴイルのようだ。
「何で来たんだ!」
 大きなオオカミに吼えられ、ロビンは慌てて右目の眼帯を外した。
 その行動がダナには不思議に見えたが、ロビンはその後ようやくダナに返事を返す。
「おじさんに頼まれていたんだ、その……ダナを手伝えって」
 ロビンは不安定なミス・ロビンに引っ張られながら、あたふたと空中で手足をばたつかせている。
「手伝いなんかいらない。早く帰って、じいちゃんとエレンのところに居ろ」
 ダナはきっぱりとそう返し、鋭い爪で「行け」と空を切った。
 しかしロビンは頑なに首を横に振る。次の瞬間、突然ミス・ロビンとオスカーの魔法を解除してしまった。
 大きな翼が消え、落下してくるロビンを、ダナは慌てて受け止める。
「この森がどんなに危険なのかわかっているのか! 早く帰るんだ!」
 ダナは怒鳴りつけ、衝撃に顔をしかめるロビンを地面へ下ろした。
 しかしロビンは色の違う目をダナに向け、必死に食い下がる。
「ダナはもうウルフマンになっちゃいけないんだ! ついさっき、もう声が人じゃなかった。もう人間に戻れなくなっちゃうんだよ!」
 その発言に、今度はダナが顔をしかめた。
「何だって……?」
 長い鼻が低い声を漏らすと、突然、二人の足元がガクンと落ちた。
 落ち葉の地面が、ロビンのブーツとダナの曲がった足をどんどん吸い込んでいく。
 まるであり地獄のような……――これは!
「サンドワームだ!」
 ダナとロビンが同時に叫んだ。共に必死にもがくが、もがけばもがくほど流れる地面は二人を取りこんでいく。
 二人の頭上で、なす術もなくミス・ロビンがキーキー声をあげていた。
「そんなこと、じいちゃんは一度も言ってなかったじゃないか!」
 ダナが落ち葉に埋もれた地面を掻きながら声を荒げた。
 ミス・ロビンのキーキー声に返事をしたんじゃない。自分が怪物になってしまうという事実を、まだ信じられない、信じたくないのだ。
 ロビンも何とかしてどこかに捕まろうと、必死に落ち葉を引っ掻き回す。
「言えるわけないだろ!? 自分の孫が怪物になっちゃうなんて!」
 もう腰まで埋まったロビンが、引きつった声で必死に叫んだ。
 その様子に、冗談などではなく、事実なのだと悟ったのか、ロビンを見つめながらダナが抵抗を諦める。
 もはやキリリとした凛々しいオオカミの面影はなく、まるで耳を伏せた子犬のように見えた。
 ダークイエローの瞳に、迷いが浮かぶ。
「だからって死のうとか思っちゃダメだからね!?」
 胸まで地面に飲まれたロビンが、右手を高く振り上げて言った。
 ダナの心の決意が、ロビンには聞えていたのだろうか。その声に、ダナは再びキッと目つきを変える。
 ロビンの足に何か硬いものが当たった。その瞬間、ダナが力いっぱいロビンを引き抜いた。
 その反動のまま、ロビンは近くの木に叩きつけられ、ずるずると地面へ落ちる。
 またも強打した頭をさすっている暇はない。脱出したロビンは、慌ててダナのほうへ駆け寄った。
「来るな!」
 サンドワームの巣の中で、ダナが吼えた。
 威嚇にも思えるその声に、ロビンは思わず足を止める。
 しかし、すぐにロビンは駆け出した。ロビンにはダナの考えが丸わかりだ。
「おじさんとエレンはダナが守るんだ! 僕なんかに任せるべきじゃない。ダナがこの村を守るって誓ったなら、男の誓いは最後まで守るべきだ!!」
 まるで心を読んだかのようなロビンの発言に、ダナが黄色い目を見開いた。
 言い返す言葉もないのか、ダナは黙ったまま、どんどんサンドワームの巣に埋もれていく。
 ロビンはとっさに転がっていた木の枝を取り、陥没し続ける地面の周りに円を描き始めた。
 ガリガリと枝が地面を削り、魔法陣でもなんでもない、本当にただの“円”が出来上がる。
「そんなもの描いてどうするのよ! 攻撃魔法陣描きなさいよ!」
 ロビンの頭の上で何度も急旋回しながら、ミス・ロビンが喚いた。
 しかしロビンは真剣な顔つきを変えず、枝を投げ捨てると、突然両手をダナに向かって突き出した。
「何をする気だ?」
 深呼吸をするロビンに、ダナが小さく問いかける。
 しかしロビンは答えないまま、集中するためにまぶたを閉じた。
 さっき足に硬いものが当たった感覚が、ロビンを急かす。きっとサンドワームは、もうダナの足の近くに居るはずだ。
 大きな鎌のような鋭い牙を剥き出しにして、ダナに今にもかぶりつこうとしている――。
 そんなことさせるもんか! ロビンはさらにぎゅっと目をつむり、賢者ホジに言われたとおり、必死に魔力を集中させた。
 その時、必死の思いが通じたのか、腹の中が何やら熱くなるのを感じた。熱湯を丸飲みにしたような、下手をすれば胃袋が焼けつくような熱さだった。
 しかし、不思議と“痛み”は感じない。ロビンは腹の中で燃え盛る炎を想像しながら、それをゆっくり
と、細く息を吐き出す時のように、自分の腕を杖の代わりとして放出するイメージを練った。
 どくどくと高鳴る血管を這い、魔力が指先へと集中していく。焦って下手に放出すればダナも傷つけてしまう。集中しろ――ダナを助けるんだ。ダナを助けるんだ!
 ミス・ロビンのキーキー声に混じり、砂嵐に巻き込まれたような感覚が、ピリピリとロビンの肌をかすめた。
 どこからか風が吹き上げる。ロビンが恐る恐る目を開けると、ロビンの描いた円の中に、ロビンの使い星であるヘキサグラムがダナを中心に光っていた。
 六つの角は、しっかりと歪な円にくっついて、細く光り魔力を送り続けている。やった!
「ダナ、着地の準備をしておいて!」
 嬉しそうな声にダナが首を傾げる前に、ロビンは大きく両手を振り上げた。
 それと同時に、とてつもない力が周りの地面も一緒に巻き上げ、ダナは巣の中から吹き飛ばされる。
 ミス・ロビンに似たキーキー声が聞こえ、何か大きな影がダナと共に宙へ舞い上がった。
 地面がミス・ロビンを直撃したわけではない。吹き上げた土で目を開けられないロビンとは違い、ダナにははっきりと敵の姿が見えていた。
 巨大人食い虫、サンドワームが宙へ打ち上げられてもがいている。
 ダナは落下しながら大きく体をひねり、サンドワームをかかとで蹴り落とした。
 ウルフマンの怪力を直に受け、サンドワームが一直線に地面へ叩きつけられる。
 大きな衝撃音がして、ロビンは思わず飛び上がった。しかしすぐに見事に着地したダナが見えたため、ほっと胸を撫で下ろす。
 土埃や落ち葉が落ち着いてきた頃、地面で長く伸びたサンドワームの姿がはっきりと見えてきた。
 鎧のような背中をつぶされ、体が地面にめり込んでいる。ダナはもう一度サンドワームの背中を踏みつけ、足を退かした。もう生きてはいないようだ。
「やったぁ!」
 振り返ったダナに、ロビンが早速飛び上がった。
 色の違う両の目をきらきらと輝かせ、羨望の眼差しでダナを見つめる。
 かと思えば、すぐに落ちていたほうきを拾い上げ、ダナのほうへ力強く歩み寄ってきた。
「さぁほら、行くよ。怪物退治!」
 最初の戦闘ですっかり自信のついたロビンは、意気揚々とダナより先に森の奥へ進んでいった。



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