「状況がどうであれ、わたくしの意思で、幼子を母親から引き離してしまったことは事実……とても代りとはいかなくとも、生涯をかけて坊ちゃんをお守りすることが償いと、これまで勤めてまいりました。しかし、わたくし自身もこのように死を身近に感じるようになり……改めて、野分お嬢様のお気持ちが、ほんの少し、判ったように思うのです。あぁ、寂しさとは、愛しさとは、時に魔物にもなりえるのだ、と……。龍臣様は、あなた様によく懐いておられます。ですが、人の一生など、あなた様のような方から見れば、あまりに一瞬のこと。いずれは坊ちゃんも、あなた様を置いて、旅立たれる日が来ましょう。その時、あなた様にこれが必要になるやもしれぬ……と、老婆心ながら、お持ちした次第にございます」

 そう言ってトミの差し出した短剣を、じっと見つめる。
 龍臣に先立たれた場合、儂が再び暴れ出すことを、この乳母は危惧しておるのか。
 この手で、自らに決着を付けること。今まで、一度もそれを考えたことがないと言えば、嘘になる。
 しかし単に自害するならば、たとえこの刀の世話にならずとも、住処を捨て他の妖怪の縄張りを荒らせば済むことだ。
 儂が何故今までそれに至らなかったか、答えなど明白だ。まだ、生きていたいと思う。龍臣の成長を、そしてその最期まで、孤独になどさせず見届けてやりたいと思う。それだけだ。
「余計なことを」と笑ってやると、乳母は困惑の表情を見せた。

「ですが……」
「龍真が見つけ、龍臣が名付けてくれたこの二つの“名”がある限り、儂は心まで鬼には戻らぬ」

 そう言うと、トミは言葉の意味を噛み締めるようにゆっくりと頷き、短刀をおさめ、首を垂れた。

「出すぎた真似を、致しました」
「よい。……それに、儂は既に、お前から贈り物を受け取っておる。その大きさに比べれば、これ以上は、人間に返せぬ借りを作ることになりかねん」
「はて……と、言いますれば……」
「握り飯だ。何時だったか、龍臣に握り飯を握ってやったことがあろう。彼奴はそれを儂のもとへ持ってきて、半分やると言ったのだ。儂が人を喰うほど腹が減るのは、孤独で寂しいからだと言ってな。……あれほど美味い飯を、俺は生まれて初めて口にした」
「まぁ、そのような」

 トミは皺に埋もれそうな目をきゅっと細め、坊ちゃんらしいこと、と嬉しそうに笑い声をあげる。



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