「これ、ご先祖様の文机の、仕掛け棚の中に入ってたんです。一晩かけて読んでみたんだけれど、きっと僕、これだって……」 小僧の指が、一度破られた封緘をそっと開く。その途端、ぶうんという耳障りな音と共に、目の前が真っ赤な羽虫の渦に包まれた。 これは羽虫ではない。文字だ。喧しい羽音のように、文字の虫は呪いの言葉を吐きながら、食い物に纏わりつく蛆ごとく儂の体にまとわりついてくる。 小僧を見下ろすと、ぎょっとした顔をしてこちらを見ていた。文とは別に、その手に握られた二枚の紙がぶるぶると震えている。 まさか! 「やめろ、それを仕舞え!」 しかし一歩遅かった。咆哮に驚いた小僧が飛び上がると同時、二枚の札は矢のように飛び出し、儂の髪のふた房にぐるりと巻きついた。 途端に圧迫感に襲われ、呻き声が漏れた。まるで入りようのない箱の中に力づくで押し込まれている気分だ。抗うが、呪いの言葉を叫ぶ羽虫共が邪魔をして思うように力が出せない。呪いの言葉は鎖となり枷となり、儂の自由を奪っていく。 おのれ、おのれ龍真よ。お前が儂にくれたかったのはこの呪いか。子孫を介し成し遂げた気分はどうだ。六百年と人々に畏れられた牛鬼は、お前の思惑通り、何の力も持たぬ小妖怪に成り果てたぞ。 ぜいぜいと喘ぎながら顔を上げると、硬直した小僧の顔がすぐ側にあった。本来の姿すら保てなくなったか。揺れる視線を辺りに走らせると、どさりと何かの落ちる音がした。 振り返ると、小僧が腰を抜かし座り込んでいた。その首根を掴み、振り起こす。 「小僧、よくもやってくれたな。ようわかった、これが龍真からの贈り物だな……喜ぶがいい、やつは長年の厄介者をついに追い出したのだ」 「な……何が起こったんですか?」 「何を白々しい。お前は儂の力を封じたのだ」 「そんな、僕……僕、そんなつもりは……」 小僧は狼狽えながら残った手紙を差し出したが、ぐしゃりと握り潰し、目の前で燃やしてやった。 揺れる瞳に炎が映り、そして消えていく。意気消沈した小僧を放ったが、小僧は草の上に転がったまま動かなかった。 その時、坊ちゃん、坊ちゃん、と叫ぶ人の声が森に入ってきた。随分低くなった景色の向こうに、灯りを掲げた老婆が早足にやってくるのが見える。老婆は儂と小僧の姿を見とめ、はっと息を呑むと、提灯を放り出して額を土に擦りつけた。 「どうか、どうかこの子を食べるのはお止めくださいまし。この身があなた様の腹の足しになるのなら、どうぞ、このわたくしを」 「ふん、脂の切れた婆に食欲など湧かぬ。その小僧のほうがまだ食えよう」 「無礼をどうかお許しください。あなた様に土地を守っていただいた恩を忘れ、あなた様を祀ることを放棄した愚かな行為は私たち大人の罪です。相応の罰はわたくしが受けますゆえ、どうか、どうか」 「其奴が儂に何をしたか、“見える”お前にはわかるであろう。其奴は儂から力を奪ったのだ。我が身の足しにする事すらも腹立たしい……まずは其奴から殺してやる、寄越せ」 しかし老婆は平伏したまま、頑として動かなかった。仕方なく小僧に手を伸ばすと、それを察してひしと小さな体を抱き寄せる。 それでも無理やり摘み上げたが、小僧は相変わらず力なく項垂れたままだ。 どうも様子がおかしい。顔を上げさせると、その瞳に意識はなかった。ひゅうひゅうと苦しげに息を吐く頬の中で、蛇のような何かが蠢く。 (10/43) 前へ* 最初へ *次へ栞を挟む |