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∴おお振り─花井


カキーン。
乾いた音に、花井はテレビ画面の前で思わず息を呑んだ。
打球は綺麗な放物線を描いてスタンドへとぐんぐん、ぐんぐん…。ボールがスタンドの座席に跳ね返った瞬間、画面の向こうの甲子園球場に、歓声が、悲鳴が、爆発した。
九回表の逆転ツーランホームラン。
だがその鮮やかな放物線よりも、ホームランを許した投手の表情が花井の目に焼き付いて離れなかった。
大会屈指の豪腕投手だった。この大会、幾つもの三振を奪い、巧みに相手チームの打者を打ち取っていた。
その投手が、今日のこの試合では初回から得点を許していた。試合の流れ、連戦の疲労、同じく決勝戦まで勝ち進んできた相手チームの力量。考えられる要因は幾つもあった。だけど、それでも、あんなにキレのある球を投げていたあの投手が、あんなに沢山の打者を空振りさせたあの投手が、今日のこの決勝戦に限ってどうして。
いや、それは打たれた本人が一番知りたいのかもしれない。理由なんて分からない、分かっているのは今日自分が本調子でないことだけ。甲子園の決勝戦、何が起こるかなんて分からない。そんな不確かな言葉で片付けられない。片付けて欲しくない。
それでも、そんな状態でもマウンドの上で投げ続けたのは、彼がエースだからなんだろう。それが一番を背負った者の覚悟なんだろう。
その覚悟にチームは応えようとした。点を取られても取り返す。打たれてもバックが援護する。
そうやって何とかここまで来たのだ。後一人だった。たった一人が、重い。お互いに必死だからこそ、重い。野球はツーアウトから、なんて、そんなのただのご都合主義だって、こんなことが起こるからそう否定しきれない。
まだ試合が終了したわけではなかった。まだ裏が残っている。希望が閉ざされたわけではない。それでも画面に映ったその投手の表情には、疲労と驚きと隠しきれない絶望と諦めの色が見えた。体力的にも精神的にもギリギリの瀬戸際で打たれたホームランだったのだ。集中力も、限界に近かっただろう。そうして偶然甘くなった一球を、相手打者は見逃してはくれなかった。
ああ、野球とは、甲子園とは、何て残酷なんだろう。
全国4000を越える高校の内、たった1校が掴める栄冠。その栄冠にたどり着くには、ただ一度の負けも許されない。高い技術と劣勢をも跳ね返す精神力、時の運さえも味方に付けた者だけが、最後に笑うのだ。
その残酷さに、その輝かしさに魅せられた何万人もの球児達。自分も確かにその中の一人なのだ。そして画面の向こう側、甲子園のマウンドに立つ彼もきっとそうなのだ。甲子園の、決勝での勝利。ただそれだけが欲しくて、彼も、自分も、行き先も定かでない山道を、不安を押し殺して進んでいるのだ。
彼がもう一度山頂に向かって一歩踏み出せるか、もう一度絶望を振り払って投げ続けられるか。
テレビ画面に映し出された彼が、次の打者への第一球を投げ込んだ。