閑話休題
 胸糞悪い話をするけれど、僕の兄は僕らの母に疎まれている。

 「あら寿丸、剣のお稽古はいかがでしたか?」
 側近達に囲まれて、やわりやわりとした雑談に会釈でスルリと入れば振ってきたのはこの言葉。顔を挙げてニコリと笑えば、意地悪しないで、と、首傾げ、こちらに入れと床叩く。
 「今日も僕が勝ったよ」
 「まぁまぁ、それは流石です。ですけど寿丸ももう十四、そろそろお言葉を改めなさい、それでは女子供のようですよ」
 「いいんだよ、この喋りは母上様の傍だけだから」
 「全く困ったお子だこと」
 敷居手前に伝えれば、側近達まで微笑ましい、と賑わうのだから白々しい。続けて言われる言葉など、とおの昔に知ってるくせに、皆思いも及ばずと笑うのだ。
 「それにしても、あの子ときたらどうでしょう。いくら寿丸が秀れた才の持ち主だろうと弟相手に勝てやしない。言葉だけが威勢が良いようだけど、その喋り方だって野蛮で聞くに堪えません。元服なんてしてみたものの、全く頼りもないのです。あぁ、千竜家の名折れです」
 顔を顰めて母が言うのは兄の事。背丈は小さく小さな頃など病気の坩堝、この千竜家の跡取りにするのが嫌で、兄の元服拒みに拒み、二回は成功したものの、三度目無しと言われれば、怒り狂って手も付けられず家中が困り果てたほどだった。
その一方弟の寿丸は甚く気に入っており、寿丸が、僕の元服いつかな兄上まだならまだまだ先か、と、ポツリと呟けば、今度は母がピタリと落ち着き、兄の元服を致しましょう、と、コロッと態度を変えたのだ。ただし条件付きでの元服。身心伴わぬ元服なので月代抜くのは許しませぬ、屋敷だけでの小さな式で済ませよ、と。
 屋敷だけの元服というのも聞いたことはまずないが、月代成人などこの階級で見たこと無く、元服したかどうかの判断もつかぬと、はてまた困った従者を見れば、沈黙を決め込んででいた父も動き出す。
 寿丸の元服も近々したいが総髪前髪の兄がいては、弟寿丸も倣う他無し。ならばこれならどうだろう。月代抜くのは止めにして、月代剃って作るのは。
 そんな言い回しは誰が考えたのだろう。父の説得が功をなし、母はと言えばいざ兄の元服を見届けはしたが、なんて事無い小言に枕言葉が増えただけだ。
 「嘆きなさらないで、母上様。寿丸は、お家の為に尽くすから。稽古早々の訪問で、着物が汚れちゃってるの、着替えてくるね」
 「あぁ寿丸、優しい子」
 深々一礼部屋を去れども聞こえてくるのは愛想と嫌味。すたこらさっさとその場を去り、向かう井戸には先客がいるのは知っている。
 「ねぇ!兄上、僕にもかけて!」
 「なんだぁ、寿丸、早いじゃねぇか」
 稽古着丸めて井戸端に、褌一丁で水をかぶるは、兄、愛之助。一方寿丸は小走りしつつも腰紐緩め、井戸端まで来りゃ素ッ裸。
 「おいおいお前、はしたねぇって怒られるぜ?」
 「大丈夫!兄上が言わなきゃ話の上ではしとやか行水!問題なし!」
 「違いねぇ!」
 勢い付けて愛之助、ザバンっと桶を寿丸の頭にひっかけりゃ、ひゃぁ、と悲鳴を一つ聞き、ケラケラ笑うは夏の午後。
 「あんまりデカい声出すと何処ぞの誰がすっ飛んで来るぜ」
 ニヤニヤ笑いを堪えながら、しぃっと指で口元隠す愛之助。同じく肩を震わせながら、しぃっと呟きく寿丸が黙る。保って三秒、プルプルピクピク互いの肩が動くのを見れば、笑いの神が降りてくる。二人で必死に口を閉じ転げ回るも、気付いて互いの姿を見てみれば、どちらも泥まみれでまた笑う。
 いい加減に時過ぎて、着物を着替え縁側へ。盆に西瓜載ったなら人目を盗んで種飛ばし。
 「ねえねえ兄上最近さ、剣の腕が上がったね。僕負けちゃうかと思ったよ」
 常ならはばかるこの内容、だが今ならば気にならず、兄と二人で開けっぴろげに寿丸が言う。
 「なぁに、最近肩が軽いんだ。あと一寸ができるのさ。だけども畜生お前にゃ勝てねぇ。上からガツンと降り下ろされりゃどうしたって負けちまう」
 情けねぇ話だぜ、と顔を顰める愛之助、然れど寿丸はそうも思わない。理由は先頃述べた通り、愛之助と寿丸の体格は、子供と大人、その差五寸。加えて肉の付き様も倍と変わらず違うのだ。
 それでも今日の稽古は負けかけた。
 動きが早い、その上思わぬ不意打ちが幾度となく降りかかっては退いて行く。母は見ぬからああ言うが、剣の才は一重に寿丸だけとは言えぬのだ。その上兄には寿丸にゃ敵わぬ才がある。
 「兄上今日は無理だけど、明日でいいから将棋しよ。碁でもいいけど将棋が良いな」
 「なんだ、慰めならばいらねぇぜ?」
 「そんな顔で言わないでよ、説得力がありゃしない。コテンパンに負かす気だね」
 暴露た暴露たと笑う兄に、むくれてみても効果は無いのは知ってる。戦略論は兄愛之助十八番、将棋も囲碁も勝った事などありゃしない。遊び遊びと侮る事などあるなかれ、兄の将棋は設定に、山もあれば川もある。他人が見れば無茶苦茶この上ない将棋盤だけれども、やってみれば恐ろしく頭を使うのだ。噂じゃ遠くで下剋上、世の理などすぐ崩れあっという間に戦国時代の今現在、いざこの地も戦地とならば、戦略無くして生きていけるはずがない。
 母もこの事分かっているからタチが悪い。武将ならば剣術習え、人を率いる者ならば、付いて行きたくなる様な、頼れる筆頭が当たり前と考える。
 年の差一つ、体格を比べりゃヒョロヒョロ豆粒長男と、ギュッと引き締まった身体付きの次男坊。どちらも腹を痛めた息子と言えど、次男が惜しくて惜しくて堪らない。その上次男の寿丸は美丈夫だ。精悍な顔付きは兄弟どちらも似ているが、量の多い黒髪は寿丸だけの特徴で、それは母の特徴を顕著に引継いだという事でもあったりする。そうともなれば、この気分屋で激情家の母のことだから褒めちぎる。
 あんまり母が褒めるので、寿丸五つの春、隠れ鬼の最中に、髪が一房小枝に絡まり取れずに泣き喚き、驚いた愛之助が髪を切れば、恩を仇で返すとはこの事で、怒りが沸いてそれからなんと八年間、寿丸は兄を蔑んでいた程である。
 だが、えげつない年月の割には、始まりがそうであった様に終りもまた唐突で、きっかけは些細な事だった。
 寿丸十三歳秋の頃、馬の稽古の帰り際に通った縁側で、柿を頬張る兄一人。目も合わせぬ程度に嫌っていたのだが、礼儀を欠くのは人の恥と軽い挨拶そこそこに去ろうとすれば、
 「おい、待てや」
 腕を引っ掴まれて止められたから驚いた。うっかり顔を凝視して、固まっている寿丸なんて気にもせず、ちぃっと屈め、と、愛之助が腕を回したのは己の首。されるがままに兄の肩口顔埋め惚けていれば香る柿の良い匂い。
 「よし、取れた!」
 トンっと胸を押されて見れば、小さな枯枝摘みつつ、ニカリと笑う兄がいる。
 「悪いな、俺じゃぁ背が届かん場所にあったんだ。矢鱈と引張りゃ髪ごと引っこ抜いちまう」
 自慢の髪だろ知ってるぜ、と、枯枝ひっぽ投げながら、食べかけの柿ちょいと寄せ、寿丸の口に放り込む。
 「山に柿の樹を見つけてな。甘柿たぁ珍しい。美味いだろ、これでお前も共犯だ。暴露さないでいてくれよ?」
 ツラツラ勝手ばかり言うだけ言って、空になった皿持ち、じゃぁな、と、消え去る愛之助。一方寿丸といえば、しばらくポカンとしていたが、口の中がやたらと甘く唾が出て慌てて租借を繰り返し、ゴクンと甘柿を飲込むと、不思議な事に甘柿が通るのと同じよう、ストンと何かが胴の真ん中落ちていき、そのくせ落ちたモノが重さを持たず逆に何だか胃の辺りが軽くなる。風がサーっと吹いていく、そんな気がさえしたりする。今迄なんだったのだろう、兄への嫌味が消え去った。妙に楽しく心が踊り、何故だか笑ってしまいそうとさえ思えてくる。母の嫌う兄の喋り方も何だか好きになってきた。
 浮いてしまいそうな心なのに、しかし一方ではもやりと何かが渦を巻く。
 一方下がれば一方上がる。天秤とはそういうものだ。兄に好意が向くにつれ、母が不快で汚らわしいと思えてならない。
 愛されて、お前は良い子と言われれば、自然と嬉しく舞い上がる。けれども必ずその後に、何故あの子が跡継ぎか、嘆く姿が付いてくる。無限に続く繰り返し、何時からか、兄を見下す事により寿丸は自分の居場所を守っていたというわけか。
 だけどもそんな居場所など、今は嫌悪ばかりで何の魅力も感じない。
 「ねぇ兄上、夏ももうすぐ終わりだね。秋になったら去年くれた甘柿の木教えてよ」
 いつかの馬の稽古の帰りと同じ縁側でふと気づいたように寿丸か言う。目を丸くした愛之助が西瓜をゴクンっと租借した。
 「どうした急に、将棋じゃねぇのか」
 「将棋は明日!秋の話なんだってば!ねぇ良いでしょ、あの時の甘柿美味しかったんだ」
 んーあれかー、と、珍しく逸らされる視線に、僕にも秘密?、と愛之助を覗き込めば、これまた稀な歯切れの悪さで答える愛之助曰く、
 「秘密でも何でもねぇさ。あの甘柿な、本当は旅の商人に譲ってもらったんだ」
 この期に及んで嘘を付くような兄ではないけれど、どうにも様子がぎこちなく、ここは聞かぬが善意というものか、と寿丸が話を変えようとしたその時、
 「舌の肥えた奴が食っても不味いとは言わせやしない食えばみんなご機嫌さ、って言うもんで、扇と交換、寿丸に食わせてみたんだよ」
 大正解だったな、と、開き直って愛之助ケラケラ笑って言いきったのだが、寿丸としては笑えやしない。それはどういうことなのだ?とんでもなく前向きな勘違いをしてしまいそうである。この恩知らずの不逞の弟を偶々見つけて玩んでくれたのではなかったのか。
 「そんなの嘘だよ、ねぇだって!僕があの場を通らなきゃ!」
 「馬の稽古の後は十中八九通っていたろ」
 今度は寿丸の目がまん丸に見開かれる。ぐるぐる回る頭の中で、そう言やあの頃兄が扇子を失くしたと、母が嘆いていたのを思い出す。
 「なぁに、お前と話をしてみたかっただけの事」
 「だって、髪に枯枝が...」
 「あんな小細工朝飯前さ」
 首に回された細腕や、肩口香る甘柿の香、みんなみんな、きっかけで。

 「兄上、大好き」
 「俺もだ弟!」
 兄の肩口顔埋めれば、薄い西瓜の香りがした。



***2018/9/1



『閑話休題』 終わり


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