12



取引がどうであれ、異世界から来た人間であろうと学生である限り定期テストはある。
もっとも、元の世界では有名な進学校に通っていたので呉葉には来良の学力では余裕であったが。


「闇暗さーん、勉強中ごめんね。数学の範囲ってどこまでだっけ?」

「えっと、このページまでかな。あっ、でも、ここの問題は出ないらしいよ」


けれど、テスト勉強するしないとは別の話。
余裕こいて足元掬われたら笑えない。念には念を。授業免除のこともあるから勉強しといて損はないし。

広げていた教科書のページをめくって尋ねてきたクラスメイトに指し示す。
ついでに丁寧に解説を加えれば、数学が苦手なその女子は喜んだ。


「呉葉さん」


女子が離れたのを見計らって、戦が呉葉の側に寄る。


「一年の男子が用があるそうです」

「?……嗚呼、彼か。いいよ、行ってくる」


後ろの扉から顔を覗かせている後輩に一瞬だけ目を細め頷いた。

案外、逆ハー補正も弱いのかもしれない。
誰と一緒に来てるわけでもなく、一人で階の違うこの教室に訪れた正臣の深刻そうな顔付きに呉葉は内心でほくそ笑んだ。


「すみません、勉強の邪魔して……」

「大丈夫だよ。復習してただけだから。それにそんな顔してる後輩を放っておけないしね」


優しい笑顔で言えば安堵したのか僅かに表情が緩む。

いつもの軽い感じがない分、ずいぶんと印象が違う。
それだけ真面目な内容ってことか。


「……マナのことなんすけど、どうやらイジメに遭ってるみたいで……でもマナって転校してきたばかりじゃないっすか。それで俺、調べてみて……」


段々言葉尻が小さくなるのは皆瀬の噂を知ってしまったからだろう。
聞こうと思わなければ入ってこない噂だ。逆に言えば、知ろうとすれば簡単に知れる。

自分が好意を持ってる女の子が悪く言われてると知って正臣がどれほど衝撃を受けたのか。
想像に難くはない。
まあ、重要なのはそこではなく、知った正臣がどうしたいかだ。


「俺、自分がよくわからないんです。マナのこと好きなはずなのに、一緒にいても楽しくないっていうか、妙な違和感を感じて……」


杏里に対する態度の可笑しいことにも最近気付いたらしい。
あんなにあからさまなのに一緒にいて気付かない方が可笑しいとは思うが。

それとなく杏里に尋ねてみても暗い顔をするだけで何も言わないし、帝人に至っては皆瀬の不気味さにも杏里や正臣の変化にも気付いていないといった具合。
あれほど杏里に一途だったはずなのに、今では皆瀬しか目に入っていなくて。

イジメに関しても助けなきゃとは思うのに体が上手く動かなく、湧いてくる怒りといったものが自分の感情のはずなのにどうも嘘臭い。まるで他人よって創られた紛い物のような。

自分で自分がわからなくなって助けを求めた先が呉葉だった。
そう、顔を俯かせながら語る正臣は、自分が今発した言葉がどんな意味を持つかわからないだろう。


「皆瀬さんが転校したきたのは先週だけど……紀田くんは皆瀬さんのどこに惹かれたの?」

「それ、は、」

「皆瀬さんが好きなら迷う必要ないのに、どうして迷ってるのかな?」


感じた違和感が生んだ溝を広げるように、呉葉は不自然じゃない程度に疑問を投げかける。
呉葉に直に言われてからじゃなく、自分で考えて気付くように。
無理に逆ハー補正を解いてしまっては後に響く。だから自発的に解かせるのだ。

やがて正臣は俯いていた顔を上げる。
その瞳には、先ほどまでの澱みが一切なくすっきりとしていた。

多分、これは『決意』した瞳。


「ありがとうございます、呉葉先輩。俺、決めました。
 マナのこと嫌いじゃないけど、少し距離を置こうと思います。マナとも、……帝人とも」

「……うん、紀田くんが決めたならいいと思うよ」



これでまた、偽りの世界に一つ亀裂が入った。