広い空へ
「私、結城湊海って言うんだ。よろしくね」
そうにこりと笑って手を差し出した彼女は、とても眩しく見えた。
湊海と俺――橘飛鳥が初めて出会ったのは、小学1年生の席替えの時だ。隣の席になった湊海は、1度も話したことのなかった俺に愛想良く挨拶をした。
「えっと……橘くん、でいいのかな?」
「……下の名前でいいよ。よろしくね、湊海ちゃん」
俺がそう言って湊海の手を取ると、彼女は嬉しそうに目を輝かせた。
「……うん! よろしく、飛鳥くん!」
それがきっかけで、俺と湊海は親交が深まっていった。
湊海はいつもニコニコと笑っていて、周りには自然と人が集まっていた。クラスのみんなを引っ張っていく――というわけでは無かったが、湊海はクラスメイトたちに常に気を配っていた。
ある子が泣いていればそっとハンカチを差し出し、ある子がケンカをし始めれば、双方の意見を聞いて冷静に対応し、解決させた。物を失くした子がいれば、だれよりも一生懸命に探し、最後まで諦めなかった。 ……とても同い年とは思えないその行動に、俺は疑問を抱いた。
「……ねえ、湊海」
「ん? どうしたの、飛鳥くん」
花壇の水やりをしている湊海に声をかけると、その手を止めてこちらを向いた。
「……なんで湊海は、そんなに人のために頑張れるの? ……なんで、俺と仲良くしてくれるの?」
「……え?」
その質問に、湊海は驚いたように目を見開いた。
当時の俺には、友達が湊海以外ほとんどいなかった。共働きの両親の代わりに、家で妹の面倒をずっと見ていたので外に遊びにいくこともできず、せっかく出来た友達も、遊べないからという理由で離れていった。――でも湊海は、ずっと俺と仲良くしてくれていた。俺と仲良くしても、なんの利点もないのに。……他の人を助けても、湊海のことを助けてくれるとは限らないのに。俺には、そうする理由が全然分からなかった。
「うーん……なんでと言われると困るんだけど……」
湊海は苦笑いを浮かべながら頬を描いた。 その湊海の軽い態度に、俺はむっとした。
「だって、クラスの子を助けたって、何もいいことなんてないじゃん。湊海は知らないかもしれないけど、助けてもらったくせに湊海に感謝するどころか、悪口言う人だっているんだよ?」
もちろん、全員が全員そういうわけではない。でもそういう奴は少なからずいた。しかし湊海は、そいつらにも手を差し伸べ続けている。気づいてないのか、はたまた――。
「いいんだよ、それで」
「……え?」
「悪口言われたって、感謝されなくたって……それでいいの」
湊海はそう言うと、優しく微笑んだ。
「みんなが笑顔でいられるなら、私はそれでいいと思う。悪口言う人だって、いつかは気づいてくれるよ」
「……何だそりゃ」
「あはは、そう思われても仕方ないかも」
俺はそっと湊海から目を背けた。眩しくて、綺麗で、儚くて――直視することが出来なかった。この子を嫌いになる人なんて、世の中に存在するのだろうか。それくらい、強い衝撃を受けた。
「えーっと、あとはなんで飛鳥くんと仲良くしてるか、だっけ?」
「……うん」
「それはね、」
湊海は一呼吸おくと、俺にこう言い放った。
「私が飛鳥くんのこと好きだから、一緒にいるんだよ」
――その瞬間、湊海が何と言ったのか理解出来なかった。
「な、なんで……」
「飛鳥くんでしょ? いつも花壇の水やりしてるの」
声を振り絞るように出してそう訊くと、湊海はあっけらかんとした様子で話を続けた。
「それに、いつも遊べないのは妹の面倒見てるからなんだよね? 私にもお兄ちゃんみたいな人いるんだけど、どこか抜けててさ……ふふ」
湊海はくすくすと笑いながら、俺の手をそっと握った。
「飛鳥くんはとてもしっかりしてるし、優しいし、ほんとにいい友達だなーって思ってるから、仲良くするのは当然だよ」
「はあ……」
俺は思わずため息をついた。花壇に水をやったのは気まぐれだし、妹の面倒を見るのは家族の一員として当然のことだ。それに妹は俺に懐いてくれているので、面倒を見るのは全く苦ではない。
湊海はいつもそうだ。当の本人がいい所だと思っていなくても、それを褒めて優しく接してくれる。――湊海が天然の人たらしということをすっかり忘れていた。今まで何人が同じ思いをしただろう。
「……湊海って、ほんとバカ」
「い、いひゃいいひゃい……!」
俺は湊海の頬をぐーっと引っ張った。完全なる八つ当たりだが、少しくらいは我慢してもらいたい。
パッと手を離すと、湊海は「もー、痛いよ飛鳥くん!」なんて言いながら頬を膨らませていた。普段は大人びているが、こうした瞬間に見せる年相応な表情に思わずくすりと笑う。
俺は湊海の頭をゆっくりと撫でながら、小さく呟いた。
「……仕方ないから、俺が守ってあげる」
外敵からも、汚いものからも、俺の手の届く範囲なら、何からでも――。
そこから、俺の世界は変わったように思う。せめて湊海に並べるよう、勉強もスポーツも、色々なことを頑張った。湊海と同じように、積極的に人と関わっていった。親切にした。――するといつの間にか、俺の周りには人が集まるようになっていた。
「飛鳥くん、最近すっかり人気者だよねー」
湊海は感心したようにそう言った。彼女に言われてもあまりピンと来ないが、休み時間遊びに誘われるようになったり、女子に告白されるようになったりと、確かに前よりは人に好かれているように思う。でも――。
「……でも、1番仲良いのは湊海だから」
男友達と思いっきりサッカーするのは楽しいし、人から好意を向けられるのも嬉しいし有難いと思う。でも俺が1番大切なのは、湊海だ。……これからも、湊海の傍に居続けたい。
「ふふ、うん。私もそうだよ!」
湊海はにこりと笑って、俺の手を握った。そこには、邪な感情が一切含まれていない。――この行動から、八神先輩や泉先輩たちの苦労が伺える。中学生になるまでにはどうにかしないと……。
「大変だな、こりゃ……」
「ん? どうしたの?」
「何でもないよ。……さ、行くか!」
俺は湊海の手をぎゅっと握り返し、歩き始めた。
湊海にとっての1番が、俺でなくても全然構わない。むしろ、他の人の方が絶対に良い。……湊海が湊海でいてくれれば、俺はそれで幸せだ。
そして、3年生の夏休み――、湊海たちは選ばれし子どもとなり、世界を救った。周りの人だけでなく、世界まで救ってしまうとは思わなかったよ……本当に。
選ばれし子どもは普通の子どもと変わらないと言うけれど、湊海も八神先輩たちも、選ばれた理由は何となくわかる気がする。――俺が選ばれなかった理由も、何となく。
俺は湊海みたいになれない。湊海みたいに慈愛に満ちてないし、優しくない。世界を救うことなんて出来ない。
でも、願わくば……湊海を、家族を、大切な人たちを守りたい――。
そんなことを思いながらふと空を見上げる。綺麗な青色が、どこまでも広がっていた。夏はまだ、始まったばかりだ。
「あれ? この機械って……」
――そして奇跡の物語が、始まる。
前へ /
次へ
(
戻る)