思春期

 十四歳を迎えて気づいたのは、私は女だったということだ。五年前にはなかった胸が今では存在感を放ち、腰も張ってきた。身長も伸び、動きづらくなった身体に仕事中舌打ちしたくなる。月に一度のものも来て、私はどんどん自分の体が女として機能してきていることを迎えざるを得なかった。本当はそんなものが毎月来てほしくもないし、胸も大きくなくていいし、ウエストがなくったっていい。
 父さんにそれを零せば、少し困ったように沈黙したあと「女はみんな経験してるんだから、仕方ねェだろ」と言った。それを言ったらおしまいだ。
「……私、女やだ。女やめる」
「母さんはお前を女として産んだんだ、今更やめられるか」
「どうしたらいいの? なんかコックたちの視線が今までと違うし、やたら気遣われるし、気色悪いんだけど……」
「……それはお前を大人の女だと思ってるからだろう。気色悪く思うんならそう言え。奴らもお前への態度を考えてくれるだろ」
 言えたらいいんだけど、と思う。このチヤホヤを受け入れている自分もいて、自分で自分が嫌になる。
「……もう遅いからそろそろ寝ろ。明日も仕事だぞ」
「……はーい」
 父さんの部屋を出て自分の部屋へ向かう。ふと一階から階段を上る音がしてそちらを見ると、サンジが上がってきていた。
「サンジ……こんな遅くまでどこにいたの?」
「……どこだっていいだろ、サラには関係ねェ」
 サンジもまた大人の男になりつつあった。いつからかスーツを着始めたサンジは、咥えタバコも様になっている。高かった声は声変わりで低くなり、父さんとも喧嘩することが増えた。
「……関係ないかもしれないけど、サンジは副料理長でしょ。明日に備えないと」
「わかったわかった」と手をヒラヒラさせ、サンジは私を通り過ぎた。その瞬間香ったのは、バラのような香り。
 ――またか。
 サンジは船が停泊するたび遅くまで外にいては、違う香りを身につけてくる。こないだは石鹸の香りだった。そして今日はバラの香り。すべて女の香りだろう。
 私はその香りを嗅ぐ度に切ない気持ちになる。サンジが夜に女と過ごしていることは不良だ。だからこんな気持ちになるのだろう。せっかくサンジの腕で副料理長にまでのし上がったのに、それを潰すような真似をしているから。
 ああもう! とむしゃくしゃする気持ちを抱えながら自分の部屋に入る。そのままベッドにダイブ。面倒なことはもう考えたくない。化粧は落としたしシャワーもさっき浴びたからこのまま寝てしまおう。そう思った瞬間、私は眠りについた。

 この時期の厄介事としては、眠りが良すぎて寝すぎてしまうということがある。今日がそれだった。
 遅刻した私は父さんにこれでもかと怒られた。
「何年仕事してると思ってんだ!? もっと従業員としての自覚を持て!!」
「すみません……」
 寝坊など今まで一度もしてなかったのに。業後のまかないの時間、私は大勢のコックの前で怒られている。恥ずかしい。目の端にサンジが見える。昨日はサンジに自覚を持てなんて言ったのに、この有様だ。穴があったら入りたい……。
「ま、まあまあ、オーナー。それくらいでいいでしょう、本人も反省してるみてェだし」
「そうだぜ、オーナー。サラももう二度とやらねェだろ」
 コックたちが止めてくれる。どこかで彼らが止めてくれるのを期待していた自分に気づいて、自分が嫌になる。すると父さんはみんなに言った。
「お前らがサラを甘やかしてるのも見過ごせねェな。こいつは自分の足で立てる……その手伝いなんざいらねェ。てめェの心配でもするんだな」
 父さんはふんと鼻を鳴らすと、二階へ去っていった。
「大丈夫だったか、サラ?」
「あんま気にしねェ方がいいぞ」
 父さんの忠告が聞こえてなかったのか、コックたちは私にそう声をかけてくれた。私はとりあえず「大丈夫」と言って、自分の席に座った。定位置というやつだ。向かいにはサンジがすでに座って食べている。気まずい。
「……今日のまかないは誰が作ったの?」
 沈黙が嫌で、私はサンジに声をかけた。サンジはもぐもぐしながら答えた。
「パティ……だったか?」
「そう……じゃあサンジは明日?」
「そうだな」
 ダメだ。まかないからそんなに話が膨らまない。食べながら話題を探していると、サンジは「ごちそうさん」と言って立ち上がった。食べ終わってしまったのだ。
「……あの、サンジ!」
 去ろうとする彼の背中に声をかける。「ん?」と振り向いた彼に言った。
「昨日サンジにあんなこと言ったけど、ごめん、私の方が自覚なかったね……」
「……寝坊くれェ誰だってあるだろ、気にすんな」
 サンジはそう笑うと、そのまま去っていった。寝坊くらい誰にだってない。サンジは一度も寝坊をしたことがない。
「サラ、食い終わったら大富豪でもしようぜ!」
「……ううん、私すぐに寝なきゃ。ごめん」
 誘ってきたカルネにそう断って、食べ終わってすぐに自室へ戻る。今日は早くお風呂に入って、早く寝よう。私の心がゆるんでいたから寝坊なんて失態を犯してしまったのかもしれない。仕事を等閑になんてしてはなかったけれど、どこか日常になっていたのは事実だ。気を引き締めなければ。

 その日から、私は女であるとか、周りがチヤホヤしてくるとか、そういうどうでもいいことで悩むのをやめた。解決できない悩みを悩み続けることほど不毛なものはない。毎朝決まった時間に起きて、仕事をして早く寝る。その生活をしているうちに、そんなことで悩んでいた自分が馬鹿らしくなった。女である自分も、チヤホヤが好きな自分も受け入れたら楽になった。
 ただ一つ、もやもやしているのが――。
「……またどっか行くの?」
 サンジのことだった。停泊しているレストランから陸地に降りたサンジに、思わず声をかける。
「あァ」
「……あんまり遅くならないようにね」
「あいよ」とサンジは軽く返して、繁華街の方へ歩き出した。私は一瞬、サンジがどんな女と会っているのか、後をつけて知りたい気持ちに襲われた。けれどそんなことをしてどうなるという思いが強く、実行はしなかった。
 ただこの気持ちを誰かに吐き出したくて、私は厨房へ行った。今日はカルネが仕込み当番だったはずだ。父さんに言うのは、なんとなく気が咎めた。
「カルネー」
「なんだ?」
 やはりカルネが仕込みをしていた。相談するには打って付けの相手だ。
「今日も早く寝るんじゃなかったのか?」
「そうなんだけど……この気持ちを誰かに言いたくてね……」
「なんだその気持ちって」
 私は思い切って打ち明けた。
「サンジがさ、たまに街に出てるじゃん」
「あァ」
「で帰るとさ、女の人の香水の匂いがするの」
「そうなのか? それは知らねェが……あいつもやるなァ」
「いや、そういう話じゃなくて……私はその街に出る姿を見たり、香水の匂いを嗅いだりすると、すごくすごく、もやもやした気分になるの……!!」
「……ほう」
「何だと思う? この気持ち……」
「そりゃあ、恋だろ」
「恋?」
「あァ、恋だ。お前はサンジに恋してる」
 私は衝撃を受けた。私が、サンジに恋? 「……いやいや、そんなはずは……」
「だってあれだろ? お前女と過ごしてるサンジにもやもやするんだろ? もうそりゃ恋だ、恋しかねェ!」
 カルネはなんだか勝手にテンションを上げている。
「いやー、そうか……やはりなるべくしてなったか……若いっていいなァ」
 私はなんだか勝手に心臓をバクバクさせている。この気持ちに名前をつけられると、それは違うと思いつつもぴたりと当てはまるような気がして……。
「いや、私は認めない!!」
「は?」
「私はサンジに恋なんかしてない!!」
 私はカルネにこの件は他言無用と念を押すと、厨房を出て自室へ向かった。シャワーを浴びながら考える。私がサンジに恋? そんな馬鹿な。サンジとは幼なじみであって友達であって家族だ。異性として見るなんてどうかしている――そう、どうかしている。

 私はカルネの言うことを絶対に認めたくなかった。ただ恋をしていると言われるとサンジを意識してしまうもので、私はなるべくサンジと鉢合わせないよう慎重になった。例えば廊下とか、厨房とか。まかないを食べる位置は変えるわけにもいかないので、私はなるべくゆっくり客席の掃除をしてサンジが食べ終わる頃合に二階へ上った。そうして上手くすれ違えていたはずなのに、サンジは私を気にして掃除中に来てくれた。
「サラ」
 モップを掛けている最中、急にサンジの声がして、思わず「ひっ!」と悲鳴じみた声が出る。サンジは戸口に立ち、眉根を寄せて訝しげに私を見ていた。
「ど、どうしたの?」
 平静を装って対応する。
「……サラが最近掃除遅ェから、手伝いに来たんだ」
「えっ、いいよ、もう終わるし」
 嘘ではなかった。最後のモップ掛けをゆーーっくりやっていただけだったからだ。そう答えるも、サンジは去らなかった。
「……お前、コックの誰かとなんかあったか?」
「なんで?」
「わざと遅く掃除して、それからまかない食いに来てるだろ。だから――何かあったのかと」
 サンジは心配してくれているようだった。それはあなたですとは言えず、私は笑って首を振る。
「……何にもないよ。心配してくれてありがとう」
「ならいいが……とりあえず、モップだけ手伝う」
「いいよ、先まかない食べてなよ」
「そうか? じゃあ早く終わらせろよ」
 サンジはようやく去ってくれた。内心心臓がバクバクしていた私は、大きくため息をつく。
「はあーーーー……好き」
 自然と口から零れたのは本心だった。もう誤魔化しきれなかった。
 ――私はサンジに恋をしている。

 自覚したからと言って、すぐに付き合うとかどうこうしようとは思わない。というより、今の関係を崩したくないというのが本音だ。私がサンジに告白してしまって、でもサンジにその気がなくて変な関係になったら――そう考えると臆病になった。
「……どう思う? カルネ」
 すっかり私の恋愛の相談相手になったカルネは、「うーん」と唸る。
「難しい問題だな……自覚したからってどうにかなるもんじゃねェしな」
「そうなんだよね……サンジが私に気があれば良いんだけど」
「サンジがお前を大事に思ってるのはわかるけど、気があるかどうかまではわかんねェなァ」
「だよね……」
 二人でため息をつく。
「……おれがちょっと試してみるか?」
「具体的には?」
「サンジにこう言うんだ。サラがお前を好いてるって噂があるみてェだがどうなんだと。それで奴の反応を見るんだ」
「……反応がなかったらどうするの?」
「……そんときゃァ、そんときさ」
 その時はその時ってなんだ。当たって砕けろとでも言うのか。無言でいる私にカルネは言った。
「どっちにしろ、サラはこの恋愛に蹴りをつけてェんだろ? なら早ェほうがいいぜ、砕けるなら……傷も浅く済む」
 まるで砕けることが前提な言い方だ。
「そうだけど……でも、なあ」
「……怖ェか?」
「うん……」
 けれど、サンジの気持ちを知るには手っ取り早い方法だ。私の心は決まった。
「……カルネ、明日の賄いの後にサンジに聞いてみて。私、その近くで隠れて聞いてるから」
「わかった……いいんだな?」
「うん」
 翌日、カルネは速いスピードで賄いを食べ、サンジが食べ終わるのを待った。私の目の前に座るサンジは、そんなことも知らずゆっくりと咀嚼している。
「……サンジ」
「うん?」
「サンジは何型だったっけ?」
 私はサンジに気があるように話さなければならないのだけれど、何を話せばいいのかわからずどうでもいい血液型の話を振ってしまった。
「おれはS型だが――サラはX型だったか?」
「うん、そう。覚えててくれたんだ」
「はは、なんとなくな」
 サンジが笑ってくれたことで安堵と喜びが芽生える。ああ、好きだなあと改めて思う。
「……そういえばサラ、最近カルネとよく一緒いるな」
「えっ!?」
 まさかサンジがそこまで見ていたとは思わなかった。サンジは言葉を続ける。
「なんか相談でもしてんのか?」
「まあ、うん……そんなとこ……」
 そう濁せば、「……ふーん」とサンジは最後の一口を口に入れた。面白くなさそうに見えるのは気のせいだろうか。
「何に悩んでるか知らねェが、おれも相談乗るからなんかあったら言え」
「……わかった」
 サンジはそのまま盆を持って立ち上がり、「じゃあな」と食堂から去っていった。その後ろ姿を、カルネが慌てて追いかける。忘れかけていた私は慌てて残りを口に入れ、サンジとカルネを追いかけた。
「サンジ!」
 自室へ向かおうとするサンジにカルネが声をかける。私は死角になる角に滑り込み、様子を伺う。自然にしてほしいのに、走ったからかカルネは若干肩で息をしていた。
「あ? なんか用か?」
「……お前、こんな噂知ってるか?」
 もっと自然に言って欲しい。単刀直入すぎる。
「サラがお前のこと好きだって噂」
「…………」
 サンジは無言になった。表情はここからでは見えない。それから言った。
「……お前、そんな噂おれが知ってるか聞くためにわざわざここまで来たのか?」
「あ、あァ……」
 カルネはしどろもどろだ。頑張れ。
「なんか怪しいな……」
「お、お前はどう思う? サラのこと」
「おれは……」
 果たして何と言うのだろう。私は息をするのを忘れた。
「……サラを家族みてェに思ってる」
 心臓が嫌な音を立てた。全身の血がさあっと引き、手足が冷たくなっていく。終わってしまった。私の初恋は終わったのだ。
 カルネはまだ何か言っていたけれど、私はこれ以上聞けなかった。そのまま階段を下り、誰もいない客席へ向かった。

 テーブルに突っ伏して、私は泣いている。どのくらい時間が経ったかもわからない。電気もつけず広い客席でただ一人泣いている図など客観的に見てとても暗いが、私はなりふり構わなかった。悲しさと虚しさが私の胸を占めていた。あんまり泣きじゃくると厨房に聞こえるので、できるだけ静かに泣いた。
 サンジは私を家族としてみてくれている。それで十分じゃないか。頭ではそう思うものの、反面涙は止まらなかった。私は私の思っている以上にサンジのことが異性として好きだったようだ。もうサンジを好きでいることも許されない。
「うっ……すん、ひくっ……」
「……サラ?」
 鼻水を啜ったその時、一番会いたくない人物の声がした。なんていうことだ。今日の仕込み当番はサンジだったらしい。私は顔を上げずに「なに?」と言った。
「何、じゃなくて……どうした? 何があった?」
 サンジはしゃがんでいるらしく、すぐそばから声が聞こえる。
「……サンジには関係ない」
 私の声は震えていて鼻声で、威厳も何もなかった。
「関係ないわけねェだろ。誰に泣かされた?」
 サンジの声は怒っていた。今まで父さんとかパティとかと喧嘩する時の声の、十倍は怒っていた。
 私はその怒りの矛先が誰かに向くのは避けたかった。だから正直に答えることにした。
「……サンジ」
「えっ?」
「私は今、サンジに泣かされてる……」
 言いながらまた涙が溢れてきた。サンジは困ったような声で言った。
「おれが泣かしてる? サラ、どういうことだ、おれなんかしたか? いや自覚なかったらおれは最低野郎だが……」
「うっく……サンジ、私のこと、家族って言ったでしょ」
「……あァ」
「私、は、サンジのこと、家族として、見てない……異性として、見てる……ひくっ」
 サンジは何も言わなかった。代わりに私の頭がそっと撫でられた。私は思わず顔を上げた。
「な、なに……」
「サラ」
 サンジの顔がすぐ近くにあった。その表情はぼやけてあまり見えないけれど、今までになく優しい視線を感じた。
「……おれはお前を家族だと思ってる」
「うん……それはわかってるから、言わなくていい……」
「けど同時におれは、サラと手を繋いだりキスしたりあんなことやこんなこともしてェと思ってる」
「……えっ?」
「おれはずっと、その思いを抱えて生きてきた。サラも同じだったらいいと思ってた……」
 じゃあサンジはずっと私のことを? 信じられず頬をつねる。痛い。
「で、でも、サンジは夜に女の人と――」
  う言えばバツの悪そうな顔をした。
「……気づかれてたか。あれはおれの欲を発散するために行ってたんだ」
 そういうお店に行っていたということか。
「サラ……お前と付き合ったらそんな場所には二度と行かねェし、サラしか見ねェって約束する。だからおれと付き合ってほしい」
「待って、待って、ずっと私のこと想ってたって、サンジはいつから私のこと好きだったの?」
「……三年くれェ前か?」
「そんな前から? なんで告白しなかったの?」
「いや……」とサンジは困ったように頭をかいた。
「お前との今までの関係がなくなるのがこわかったから……」
「う、うそ……」
 そんな前からサンジはずっと私との関係に悩んでいたのか。サンジがこちらに手を伸ばして、私の涙の跡を拭いた。
「サラがこんなに泣くまでおれのこと想ってくれてたなんて、クソ嬉しい……ありがとな」
「こっちこそ、私を好きになってくれてありがとう」
「おれ、サラのこと一生大事にする……浮気もしねェ」
「うん、浮気したら一生許さない」
 そう真顔で言うと、「怖ェな」とサンジは笑った。
「……よろしくな、サラ」
「うん、よろしくね、サンジ……」
 自分たちが恋人という関係になるのは初めてだったから、私とサンジの間に照れがあった。けれどその照れはなんだか甘酸っぱくて、これからずっと忘れたくないと思った。
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