たくさん汗をかいて、一生懸命練習した後に飲む清涼飲料水はまさに、命の水だ。ボトルを押し出して先端から出てきた水を、からからになった喉に直接入れる。私が求めていたものはこの水。練習の合間の休憩と、練習後にしか口にできないから、余計にそのありがたみがわかる。
 水分のなくなった私の体を潤す感覚が好きだ。大げさだけど、生きていることを実感できる。もちろん相手をドリブルで抜いたときも、シュートが入ったときの感覚も好きだけれど、欲しくてたまらないものを体に与えてあげたときの感覚のほうが、私は好きだ。こう言うとバスケがそんなに好きじゃないんじゃないかと周りに思われるから言わない。確かにそうなのかもしれない、と思う。ミニバスに入ったのは友達に誘われたからだし、そのチームが実は強豪でコーチの指導が厳しかったりするから、嫌になることもある。それでもやめないのは友達がいるから、というのが大きい。彼女――優ちゃんとは小学一年の時から今までずっと付き合いがあって、親友だと私は思っている。私より小さいのに、私より上手くて、それが彼女の努力故だと知っているから尊敬している。
 そんな彼女が、「すごい人を見つけた」と興奮気味に話してきたのは、体育館での練習が終わって、親の迎えを待っているときだった。
「すごいって、どんな人?」
「同い年くらいなのに、近所の公園のコートでシュートをスパスパ入れてたの!」
「え、それはすごいね」
 私たちの所属する小学生のチームは、バスケではなく、ミニバスケットボールだ。大人のバスケと違うのは、ボールが小学生の小さい手に収まるくらいの大きさだったり、コートが狭かったりする。ゴールの高さももちろん低い。
「大人用のゴールでしょ?」
「そうそう! それにその人、スリーポイント決めてたんだよ!」
 それは小学生離れしている。いくらバスケにそんなに熱がない私でも、興味がむくむく湧いてきた。
「えっ、私も見に行きたい! ○○公園だよね?」
「うん、そう。明日一緒見に行く? たぶん練習してると思う」
「ナマエー」
 母親の声ががらりと開いた戸の外から聞こえた。「じゃあ10時に!」と言い残して母の元へ駆ける。外からは夏の始まりの匂いが漂う。
「お疲れ様」
「うん、疲れたー」
 靴に履き替えながら言う。
「母さん、明日優ちゃんち遊び行く」
「あらそう、優ちゃんのお母さんはまだ来てない?」
 挨拶でもしたかったのだろう。「うん」と頷けば母は残念そうな顔をした。私が優ちゃんと仲良しなように、母親同士も仲が良い。
「なんかね、すごいバスケ上手い人が公園にいるんだって!」
「そうなの、楽しみね」
 私は頷いた。彼女が言うのならそれはもうすごい人だ。楽しみで仕方なかった。
 
 翌日。日曜の朝のアニメを流し見して、支度すると優ちゃんの家に向かった。ちょうど出てきた彼女と公園まで歩く。優ちゃん曰くいるかどうかの確証はないということだったが、その人がいなかったらいなかったで、優ちゃんの家で遊べば良い。
 公園に着くと、その人はいた。優ちゃんから性別は聞いてなかったけれど、その人は男だった。そして、背丈が大きかった。彼は整った顔をしていて、ボールを手に真剣なまなざしでゴールと向き合っていた。体を跳ねさせて、その手がボールを放った。綺麗な放物線を描いたボールはバスケットゴールのリングに吸い込まれ、そして――入った。
「すごい……」
 私の呟きは彼の耳に届いてしまったようだった。彼はこちらを向き、にかっと笑った。
「すげーだろ」
 思えば私はそのときから彼に恋してしまったのかもしれない。まぶしい、自信たっぷりな笑顔に、胸がどきりとした。初めての感覚だった。
「なんでそんなにシュート上手なの?」
 隣に立つ優ちゃんが言った。その声には嫉妬が含まれていた。
「何でって言われてもなあ……練習したからってのもあるし、俺が天才だからってのもある」
「……ふーん」
 優ちゃんは彼の回答をあまりよく思わなかったらしい。
「行こう、ナマエ。一応観れたでしょ」
「えっ、どうしたの?」
「おっ、なんだお前ら、俺をわざわざ見に来たのか?」
 優ちゃんの機嫌とは反対に、彼の機嫌は良くなっていく。
「う、うん、私たちもバスケやってるから……」
「へえ! じゃあちょっとやってくか?」
「何を?」
「1on1だよ」
「私はやめとく。ナマエ、やりなよ、私は帰る」
「えっ、ちょっと……」
 優ちゃんはそのまますたすたと歩き去ってしまった。きっとこんなに謙虚さがないとは思っていなくて、幻滅してしまったのだろう。気持ちはわかる。
 当の本人は「なんだあいつ」とその後ろ姿に呟いている。きっと優ちゃんをヒステリックな女子と認識してしまったのだろう。まあ、気持ちはわかる。
「で、お前はやるのか?」
「やらないよ、だって女子と男子じゃスピードとかいろいろ違うじゃん」
 小学校低学年ならまだしも、高学年ともなれば男女の差が出てくる。保健の授業でも教わったことだ。けれど彼にはそれは通用しないようだった。
「えー、なんだその屁理屈。俺に勝てねーからってそんなこと言ってんのか?」
「違うよ、現実を言ってるの、私は」
「えー」
 どうも彼はやりたいらしい。一人だとシュート練習とかドリブル練習しかできないから相手が欲しかったのだろう。私は折れてあげた。大人だ。
「……一本だけだからね」
「よっしゃ」
 じゃんけんをして私が勝った。ダム、ダムと彼を前にしてドリブルする。
「へえ、うめーじゃん」
「まあ、練習厳しいからね」
「どこの学校? 五小?」
「……そう」
「おー、五小の女バスっていったら強豪じゃん」
「まあね」
 話しながらだと油断してついてこないかも、と思いすばやく突破しようとしたが彼は当たり前のようについてきた。まあそうだよね、と本腰を入れる。右に行くと思わせて左へ抜けようとするもしっかり彼はディフェンスする。
「どうした? 強豪なんだろ?」
「…………」
 彼はにやにやしている。嫌な笑みだ。優ちゃんの気持ちが大いにわかる。
 もう強引に行くか、と彼を押しのけてゴールへと走ろうとするも、私の手に吸い付いていたはずのボールは彼に盗られていた。
「俺の勝ちだな」
 息を切らす私と違って、彼はそんなに肩で息をしていない。余裕だったのだろう。優ちゃんだったら悔しく思うかもしれないけれど、私はこんなもんか、と思い悔しさも何も湧かなかった。バスケにそんなに思い入れはない。
 彼は鈍感なのか目ざといのかわからないが、私の様子に気づいたようだった。
「あれ、そんな悔しそうじゃねーな。俺の圧倒的なディフェンスにそんな気も湧かなかったか?」
「……まあ、私はそんなにバスケ熱はないから」
「じゃあなんでミニバスやってんだよ?」
「それは……友達がやってるから」
「友達ってさっきのやつか?」
「そう」
 頷けば、彼はげー、とよくわからない効果音を口にした。男子ってたまによくわからない。
「……お前、名前は?」
「ナマエ。君は?」
「俺は三井寿。覚えといた方が良いぞ、いつか俺の名が世界に轟くからな!」
 その自信はどこから来るのだろう。けれどすがすがしいほどの自信に嫌な気はしなかった。
 
 それから、優ちゃんと遊んだ帰りとか、優ちゃんと遊ばない日の休日とかに公園に寄って、三井君と話すことが増えた。小学校が違うこともあって、彼にはいろいろなことを話せた。それは友達との喧嘩だったり、先生への愚痴だったりいろいろだ。三井君も同じく、私にいろいろ話してくれた。ほとんどは自分がいかにバスケが上手いか、の話だったけれど。
 半年も経つと呼び方も三井君からみっちゃんに変わっていた。みっちゃんは本当にバスケが好きなようで、特に何時に会おうと指定していなくても、私が公園に行けば高い確率でみっちゃんがいた。みっちゃんは隣町の小学校のミニバスに入っていて、「かなり」活躍しているらしい。
「今度試合見に来いよ」
みっちゃんは会う度にそう言った。でも私はなかなか行けなかった。私もミニバスの練習とか、優ちゃんとの遊びとかで忙しいのだ。
寒くなってもみっちゃんはゴール下にいたし、卒業が近くなっても、みっちゃんは公園にいた。
「みっちゃんも武石中?」
「ああ、ナマエもだろ?」
うん、と頷く。みっちゃんと同じ中学なんて、なんだか想像できないけれどきっと楽しいだろうと確信していた。
「よろしくな!」
それはみっちゃんも同じであって欲しい。そう思いながらその手を握った。



中学に入った私は部活やら友達作りやらでてんやわんやだった。まず私は優ちゃんがいるからという理由で続けていたバスケをやめた。優ちゃんは残念がっていたけれど、これはみっちゃんにも言われていたことで、バスケに情熱がないのならこの先続けてもどうしようもない。自分のためだった。
代わりに茶道部に入った。渋くて地味な部活のように思えるけれど、私は軽い気持ちで行った体験で、その茶の奥深さに深く感銘を受けたのだ。歩き方から何から作法があって、縛りがあるもののそれが茶を出してくれる人への礼儀でもある。体を動かさない部活に入ったことに、友達も家族も驚いていたけれど私が茶の湯の奥深さを語ると理解してくれた。みっちゃんも「茶道部!? 俺が一番入りたくねえ部活だな」と驚いていた。けれど、「ナマエがやりてえことならそれでいいんじゃねーか?」と言ってくれた。
みっちゃんはもちろんバスケ部だ。期待の新人として1年のうちからスタメンになったと喜んでいた。その初試合を見に来いと言われたので、私は行くことにした。近くの中学との練習試合らしい。
私は戸口の近くで観戦することにした。試合前のミーティングをしているみっちゃんが私に気づいてにこやかに手を振ってきた。手を振り返すとみっちゃんはコーチに頭をはたかれていた。
試合が始まった。練習試合ということもあり、応援に来ている人は少なかったから、私は「みっちゃん頑張れー」と声を出すことも憚られて、無言で試合を見るしかなかった。というより、みっちゃんに見惚れていたということも大きい。先輩と同じくらいの背丈のみっちゃんは、相手を余裕で散らし、スリーポイントも軽々と決めていた。それはもう神の領域だった。みっちゃんの活躍で勝ったと言ってもいい。
試合後、みっちゃんに呼び止められた。
「ナマエ、この後時間あるか?」
「あるけど……」
「じゃあ一緒にメシ食いに行こうぜ!」
「いいけど、部活の人達で行かないの? ほら、祝勝会ってあるじゃない」
「ああ、大丈夫だ、俺はナマエと行きてえだけだから」
ちらとみっちゃんの後ろを見る。私たちのことを先輩たちはにやにやとみていた。これでは完全に誤解されるのではないか。みっちゃんがいいならいいけれど。
結局私はみっちゃんと向かいあわせで定食を食べている。あれだけ動いてお腹がすいていたのか、みっちゃんはすごい勢いで食べている。私なんてまだ半分くらいしか食べていないのに、食べ終わってしまう勢いだ。
「……お疲れ。勝ってよかったね」
そもそもこれをみっちゃんとの会話の第一声にすればよかったのだと後悔したものの、彼は気にしていないようでそれはもう嬉しくて堪らないような笑顔を浮かべた。
「ああ、ほんとに。俺の活躍のおかげだな」
「そうだね……みっちゃんすごかった、神がかってた」
へへ、とみっちゃんは照れたように笑う。
「ナマエにそう言ってもらえると嬉しいな。ありがとう」
「ううん」
「ナマエが初めて試合見に来てくれたから、俺張り切っちまった……絶対良いとこ見せてえって思ったから」
それはどうして?と踏み込みたくなったものの、みっちゃんはどこか天然なところがあるから、もしかしたら自分の望む回答はもらえないかもしれないと思って、「そうなんだ」と相槌を打つだけに留めた。
「ナマエは茶道の方は楽しいか?」
「うん!」
「ならよかった、何事も楽しいのが一番だ」
みっちゃんは3回ご飯をおかわりした。その間に私も完食して、二人でお店を出た。みっちゃんのオススメの店ということもあり、美味しかった。なんとみっちゃんが奢ってくれた。
「いいよ、私だってお金もってるし……」
「ここは俺が誘ったんだからいいんだ」
「……ありがとう」
こんなことをされたら期待してしまう。さっきの発言といい、今日のみっちゃんはなんだか様子が違う。そしてみっちゃんはこんなことを言った。
「ナマエこの後も空いてるか?」
「うん……」
「じゃあ一緒に映画でも見ようぜ、ナマエ見たいやつある?」
ここまで来れば私はもうその気持ちを確かめる他なかった。
「……みっちゃん、それってデート?」
「デ!? まあ、うーん、そうだな……」
みっちゃんは照れたように頭をかいた。
「なんで、私とデートしたいの?」
「……それは、ナマエのことが好きだから……」
ごにょごにょと言った言葉は、確かに私の耳に届いた。私は驚きと同時に嬉しさが湧き上がってきた。何も言わずみっちゃんを見つめ返す私に、何か誤解したのか彼は早口で言った。
「い、いや、今すぐナマエとどーのこーのって訳じゃなくてな、ナマエが嫌だったら嫌で振ってくれていいんだ」
「……振るわけないじゃん」
「えっ?」
「私も、みっちゃんが好き……」
みっちゃんは目を見開いた。それから嬉しそうに笑った。その時のみっちゃんの照れたような笑顔は、たぶん一生忘れないだろう。



「別れよう」
目の前の男はそう言った。
私が電話しても連絡がつかず、家を訪ねてもみっちゃんの母親にいないと言われてどうすることもできなかったところに、急に連絡が来て呼び出されたファミレス。みっちゃんの髪は知らないうちに伸び、彼の顔もなんだか疲れたような、希望を失っているような、そんな顔をしていた。
「……なんで?」
「俺がナマエを嫌になった、だからだ」
膝はもう大丈夫なのかとか、バスケはもうやらないのかとか、聞きたいことは山ほどあった。左膝を負傷したみっちゃんは、バスケ部からも学校からも遠ざかって、こわい人たちとつるんでると聞いていた。
「……みっちゃんが嫌になったならいいよ、けどバスケをやめたみたいに、私もあっさり切り捨てられると思ってるならそれは間違いだよ」
諭すように言うと、みっちゃんは片眉を上げた。苛立っているようだった。初めて見せる表情に怯んだけれど、これだけは言いたかった。
「……どういう意味だ?」
「私はみっちゃんをずっと好きでいるって言うことだよ、バスケやめても怖い人たちと付き合ってても、みっちゃんはみっちゃんだもの」
「へえ」とみっちゃんは笑った。嫌な笑いだった。
「俺はもうお前の言う『みっちゃん』じゃねえがな……ま、好きにしろ」
みっちゃんは立ち上がって、そして去っていった。残された私はただソファに座ったまま、拳を握りしめた。絶対に泣くまい。そう自分に言い聞かせながら。

みっちゃんと同じ高校に入ったのは失敗だったかもしれない。みっちゃんたちのグループがどこどこの学校の不良に喧嘩を売っただとか、そういう怖い噂を聞くようになった。ただ、最初は胸を痛めていたものの、高校三年にもなると、何も感じなくなっていた。みっちゃんへの興味がなくなったわけではないが、それが今のみっちゃんなのだと認識するようになっていた。
みっちゃんへの想いは薄れていない。今まで告白されたこともあった。けれど、みっちゃんが忘れられないからと言って断ってきた。あんな奴のどこがいいんだと言われたこともある。ただ、好きなのだと微笑むとその男子はそれ以上深堀りせず去っていった。
問題は、これからもみっちゃんを好きでいるつもりなのかということだ。友達も、みっちゃんが元に戻ることはないのだと思って、違う人を好きになれと言っている。確かにみっちゃんが改心する確率は低いけれど、でもみっちゃんは私の特別なのだ。小学校からの特別な存在。そう簡単に切り離すことはできない。
進路希望表を前にため息をつく。高校はみっちゃんと同じところを選んだ。でも次は、みっちゃんとは違う進路になるかもしれない。初めてみっちゃんのいないところに行くことになるかもしれない。友達はそれがいいと言った。けれど私は、まだみっちゃんのことを諦めきれないでいる。
私は考えるのをやめて立ち上がった。進路希望表は明日書けばいい。とりあえず部活に行こう。私は華道部の部長になっていた。中学三年間で茶道を極めたあと、今度は華道をやってみようと思ったのだ。花嫁修業にでも行くのかと家族には言われたりしたけれど、そんなの関係なく、華の道も面白そうだったからだ。実際茶道と変わらず奥が深く、私は夢中になった。
プリントをカバンに入れていると、「ナマエ!」と私を呼ぶ声が聞こえた。私の心臓はどきりと音を立てる。ぱっとそちらを見ると、みっちゃんがいた。みっちゃんが、こちらに向かってきていた。
「……今、大丈夫か? 話があるんだ」
みっちゃんは長い髪を切っていた。元のみっちゃんよりも短いかもしれない。その顔には緊張が表れていた。クラス中の視線がこちらに集まっているのを感じる。
「……いいよ」
みっちゃんと会話したのは何年ぶりだろう。私は承諾した。
連れていかれたのは屋上だった。日はだいぶ傾き、橙の光があちこちを照らしている。誰もいない屋上に、みっちゃんは私を連れてきた。一体何を言われるのだろう。私はみっちゃんを見上げた。こうして対面するのも、何年ぶりだろう。
「……ナマエ、ほんとごめんな、俺どうかしてた」
みっちゃんは話し出した。昨日、皆と一緒にバスケ部を襲撃したこと、殴る蹴るの大喧嘩になったこと、そして、安西先生と会い、バスケがしたいと思ったこと。
「俺はやっぱりバスケが好きだった。そんで、バスケと同じくらい、ナマエも好きだ」
「……思い出したの?」
「……ああ。ナマエがよかったらだが、また俺と付き合ってほしい。勝手だってのはわかってる、けど俺はナマエが好きなんだ」
「そんな、そんなこと急に言われても困る……」
みっちゃんにそう言われて嬉しいはずなのに、どうしても怒りが先に湧いてくる。
「勝手すぎるよ、自分から私を振ったくせに、私を好きだと思い出したからよりを戻したい? そんなの、自己中だよ、私がどんな気持ちで今まで過ごしてたかわかる?」
別れた時に堪えた涙が、今度は溢れてくる。泣いたら負けだとわかっているのに、それは頬を伝って落ちてくる。
みっちゃんが私を抱きしめた。ああ、だから泣くのは嫌なのだ。これが悔し涙だとわかっているのだろうか。みっちゃんの胸を叩く。それでも彼は私を離してはくれなかった。
「ごめんな、ごめん……」
「みっちゃんは、ほんとに勝手……」
「ああ、自分でも勝手だって思う。ナマエの気持ちを考えなかった俺は大馬鹿者だ……」
「ほんとだよ、馬鹿すぎるよ……」
「ナマエは俺が嫌いか?」
それを聞くのはずるい。みっちゃんは自信家で、自己中心的で、勝手な男だ。けれど嫌になったことは一度もない。
「……好きだよ、馬鹿」
そう呟けば、私を抱きしめる腕の力が一層強くなった。
「ナマエ、俺、お前を一生幸せにする。もう絶対離さねえ」
「……それは、プロポーズ?」
「……そう捉えてもらって構わねえ」
何なのだ、この男は。何年も私と関わらなかったくせに、急に呼び出して、私を好きだと言って、果てはプロポーズ? どの面下げてそんなことを言っているのだ。
けれど私は自然と笑っていた。みっちゃんらしいと言えばらしい。これが惚れた弱みなのだろう。悔しいけれど、私はみっちゃんが好きで好きで、どうしようもないのだ。
「……私、みっちゃんが嫌だって言っても、みっちゃんと一緒にいるよ」
「ああ、俺もナマエとずっと一緒にいる」
「これからずっと?」
「これからずっと」
「ほんとに?」
「ほんとに」
「……ふふ」
嬉しかった。みっちゃんにそう言ってもらえる日を待っていた自分がいた。
「……ナマエ」
頬に手を添えられて、私はみっちゃんを見上げる。みっちゃんの整った顔がよく見える。その目が切なそうに細められているのもわかる。私は目を閉じた。目を閉じて、訪れるはずの感触を待った。

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