別れ際にみっちゃんがくれた言葉を今でも覚えている。
あれは小学校最終日で、私は遠くへ引っ越すことが決まっていた。今生の別れではないけれど、たぶん会うことはもうないということで、多くの友達が別れを惜しんでくれた。その中でも家が近くて仲が良かったみっちゃんの言葉は、高校生になった今でも忘れられない。
授業を聞いている時、部屋で勉強しているとき、一人になった時、ふとその言葉は現れる。彼はどうしているだろう。あの時から背も高くてかっこよかったのだから、今ではきっとモテモテだろう。おまけにバスケも上手いのだ。女子が放っておくはずがない。今もシュートは百発百中なのだろうか。すっかり集中もなくなり、高校生のみっちゃんに思いを馳せていると、家の電話が鳴った。まだ誰も帰っていないため、私が階下に降りて出る。
「はい、ミョウジです」
「あ、ナマエ? 久しぶり、ナナだよ、ほら小学校一緒だった……」
ナナといえば小学校の時の親友だ。懐かしい声に頬が緩む。
「えっ、久しぶり! どうしたの?」
「特に用はないんだけど久々にナマエと話したくなってさ……」
旧友との会話は弾んだ。中学での出来事や高校受験が大変だったことなど、ひっきりなしに話した。しばらく経って、私は思い出したように尋ねた。
「そういえば、みっちゃんどうしてる? 同じ高校なの?」
ナナは今までの勢いが嘘のように黙った。それからとても言いづらそうに言葉を途切れさせながら言った。
「……みっちゃんて、三井くんのことでしょ? 三井くん、今はもうバスケしてないんだ」
「えっ?」
「不良な人たちとつるんでて、もうあの頃の面影はないよ」
信じられなかった。バスケをしていない、不良のみっちゃんが想像出来なかった。
「……う、嘘でしょ?」
「なんでナマエに嘘つかなきゃならないの。本当よ」
私は何も言えなかった。どうしても信じられない。そんなのは嘘だ。だって嘘じゃなきゃ、みっちゃんの最後にくれたあの言葉は――。
「……私、確かめに行く」
「確かめに行くって……?」
「今週末にそっちに行く。行って、みっちゃんと会う」
「会うって言ったって、どこにいるかわからないわよ?」
「そしたら、探す。絶対に見つけてみせる」
私はなぜか自信があった。みっちゃんがどこにいても、様子が変わっていても、見つけられる自信が。ナナはため息をついた。諦めのため息だ。
「……わかった。けど私は付き合えないわ、用事があって」
「わかった……電話ありがとう」
互いに挨拶して私は電話を切った。ナナを信じていない訳じゃないけれど、この目でみっちゃんを見て真偽を判断したい。私はそのまま外へ出た。新幹線の切符を買うためだった。

神奈川に着いてまず向かったのはみっちゃんの家だった。私の家だった場所の近くだから、すぐにわかる。外観は昔と変わらず、懐かしく思いながらピンポンを鳴らした。出てきたのはみっちゃんの母親だった。
彼女は昔より痩せ、苦労してきたような皺が目立った。
「どちら様?」と問う彼女に、「ナマエです」と名乗れば、怪訝そうな顔はみるみるうちに明るくなった。
「ナマエちゃん!? あらまあ、かわいいお嬢さんになって!」
入って、と言われたが私は遠慮した。ここで待っていればみっちゃんに会えるかもしれないが、そんなに遅くまでここにいられない。帰りは今日の19時を予約している。
みっちゃんに会いに来たことを話せば、母親はまた眉間に皺を寄せた。
「まあ、寿にね……でもナマエちゃん、あいつとは会わない方がいいわ。幻滅する前に帰った方がいい」
「……やっぱり、みっちゃんは変わってしまったんですね」
「そう、悪い方にね……高校入学してまたバスケ部に入ったんだけど、膝を怪我してね。それが悪化してバスケ部を辞めて、それから変わっちゃったのよ」
「そうだったんですね」
今まで順調に歩んでいたバスケの道が、急に閉ざされて、どうすればいいかわからなかったのだろう。みっちゃんの気持ちはよくわかった。居てもたってもいられず、みっちゃんの母親と別れて繁華街へと歩く。
私はゲームセンターやパチンコ屋に入り、みっちゃんの姿を探した。けれど見つからなかった。今度はまた駅前に戻ってみようと踵を返した途端、誰かとぶつかった。
「ごめんなさい……!」
顔を上げる。そこには派手な柄のシャツを着て、長い髪をした長身の男が立っていた。彼は無言で私を見下ろす。その目にはなんの感情も宿っておらず、私はこわくなった。けれど彼は私に何もせず、すっと通り過ぎた。怖そうな人達が彼の後に続く。
恐怖が頭を支配していたけれど、私は彼の顔に何となく見覚えがあった。「みっちゃん?」と彼の後ろ姿に呼びかけてみる。みっちゃんは立ち止まった。後ろの男たちは私とみっちゃんを交互に見ている。
「みっちゃん、知り合いか?」
「……知り合いじゃねえ、行くぞ」
やっぱりみっちゃんだ。私は彼のところへ駆けた。
「みっちゃんだよね? 私ナマエ、覚えてる? 小学校一緒だった……」
「黙れ!」
みっちゃんは怒鳴った。その圧に体が揺れる。
「お前のことなんか覚えてねえ、帰れ」
「……帰らないよ、せっかくみっちゃんと会えたんだし」
「俺はお前に用はねえ」
みっちゃんは低く言った。私は気にせず続ける。
「……お母さんから聞いたよ、みっちゃん、怪我したんだってね。今は膝大丈夫?」
「うるせえ!!!」
さっきよりも大声で怒鳴られる。みっちゃんの怒号に身がすくんだ。
「さっきからベラベラベラベラうるせえんだよ!! 俺はお前のことなんか知らねえし、覚えてなんかねえ。わかったらさっさと消えろ」
みっちゃんが私を覚えていないなんて嘘だ。あんな約束をした相手を忘れるなんて、ありえない。そう思うものの、私は何も言えなかった。怒るみっちゃんがそれほど怖かったのだ。去っていくみっちゃんの背中に、私は呟いた。
「……あの約束、ほんとに覚えてないの?」
気づけば私は泣いていた。ぽろぽろと涙があふれる。みっちゃんの後ろの人達は私の様子に気づいて、しどろもどろになっていたけれど、当のみっちゃんはこちらを振り向こうとはしなかった。

帰りの電車の中で、私は神奈川に来たことを後悔した。ナナやみっちゃんのお母さんの言うことは本当だった。こんなことなら、みっちゃんに会いにいかなければよかった。もう彼に関わるのはやめよう。あの言葉も思い出すのもやめよう。自分を守るために、そう誓った。
それから半年が経ち、みっちゃんのことも徐々に忘れていっていた頃、私の目の前にみっちゃんは現れた。
「みっちゃん!?」
長かった髪は短くなり、サッパリしている。
「よう」と手をあげる彼は片手をポケットにつっこみ、照れくさそうにしている。
「よう、じゃないでしょ! なんでみっちゃんがここにいるの?」
「ナマエに会いに来たんだ」
あれだけ私のことを知らない、覚えてない、なんて言っていたくせに、あっさりと名前を呼んだ。私は嬉しさやら悔しさやら怒りやらで、とりあえずみっちゃんの肩を叩くことにした。
「いてっ」
「何が会いに来たんだ、よ! 私があの時どんな気持ちだったかわかってるの?」
「あれはほんとに悪かった、どうかしてたんだ俺は」
ごめん、と謝るみっちゃんにため息をつく。調子のいい男だ。
「……それで、私に会ってどうしたいの?」
「報告したいことがあってな。生憎インターハイで優勝はできなかったから、俺と結婚……とまではいかないが、付き合って欲しい」
さらっと告白をされて、私は驚きで何も言えなかった。まじまじとみっちゃんを見つめていると、「そんな見るなよ」と顔を背ける。よく見れば彼の耳は真っ赤だ。本気で言っているのだとわかった。
私は彼に飛びついた。「お、おい」と戸惑うみっちゃんにクスリと笑う。みっちゃんは私を覚えてくれていたし、あの約束も覚えてくれていた。
――高校のインターハイで優勝したら私と結婚する、という約束を。

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