隣の席の三井くんはいわゆる不良である。
校則違反の長い髪、素行が悪い人たちとつるみ、学校もサボることが多い。恐らくバイクにでも乗って、喧嘩に明け暮れているような立派な不良だ。
対して私は品行方正。真面目に学校に通い、勉強をし、けれどほどほどに遊び、高校生活を満喫している。
三井くんと私の接点は隣同士であることだけで、三年に上がって半年は経つが、三井くんと会話したことはない。根はいい人かもしれないけれど、不良と関わるのは内申に響く。そう、私は指定校推薦を狙っているのだ。元々三井くんが教室に現れることは滅多にないから、そんな心配は毛頭していなかった。のだけれど――
「えっ、三井くん……?」
「なんだ」
朝のホームルームが始まる寸前、三井くんが教室に入ってきた。私が声を上げたのは、ただそれに驚いたからじゃない。三井くんの髪がばっさり切られていたからだ。
三井くんは私をじとっと見下ろすも、気にした様子はなく欠伸しながら席に座った。三井くんは今までの三井くんじゃないように見えた。なんだかとげとげしていた雰囲気が消えていて、私は思わず声をかけていた。
「髪、切ったんだね」
「……ああ」
「よく似合ってる」
三井くんは驚いたようだった。それもそうだ、話したことのない女子に褒められたのだから。三井くんはがしがしと頭をかいて、それからぽつりと「サンキュ」と言った。照れているような様子にこっそり微笑む。三井くんは変わったようだった。良い方向に。
ホームルームが終わり、これから1時間目が始まるという時、三井くんは言った。
「次の授業、何?」
三井くんは時間割を覚えていないようだった。それもそうか、と思いながら答える。
「現代文だよ」
「あー……現代文か、教科書持ってきてねーな」
木暮に借りるか?と立ち上がりかけた三井くんに提案する。
「私の教科書見せてあげようか?」
三井くんと仲良くすれば内申に響く。そう思っていたけれど、今日の三井くんは不良じゃなさそうだったし、朝からちゃんと学校に来ているし、教科書を見ようという意思がある。自然と口はそう言っていた。三井くんは悩む様子を見せて、それから言った。
「……いや、いい。悪ぃし」
三井くんは立ち上がり、教室を出ていく。木暮くんに借りに行くのだろう。それもそうだ。今まで話したことのない女子と席をつけて教科書を見るより、知り合いに借りる方がいい。私は提案したことを少し後悔した。

それから三井くんとはたまに話すようになった。最初は「次の授業何?」が多かったけれど、徐々に「部活何入ってる?」とか、「今日は寝るからなんかあったら起こせよ」とかが増えていった。三井くんはなんと、バスケ部に入ったようだった。三年の今部活に入るなんて驚きだ。それを伝えたら、「別に何やったっていいだろ」と不貞腐れたように言われた。確かに三年の今部活に入ろうと、本人がそれでよければいいのだ。
「今度見に来いよ、俺のシュート姿を」
三井くんは自信たっぷりに言う。相応の実力なのだろう。私は「えー」と笑って濁した。別に見に行ってもいいのだけれど、三井くんのシュート姿を見たらもう戻れなくなりそうで嫌だった。何から戻れなくなりそうなのかは、想像に任せる。
そんなこんなで逃げていた私を、強引に誘ったのは友達だった。彼女曰くバスケ部にはすさまじくかっこいい一年がいて、その人の親衛隊までできる程なのだと言う。どれほどのカッコ良さなのか見に行かない?と彼女は言うのだ。私は断る理由を探していたが、その最中に腕を引っ張られてしまった。
バスケ部の練習を見るのは初めてだった。すでに人だかりはできていて、そのほとんどが女子だった。何かを見ながらキャーキャー言っている。きっと「るかわ」くんだろう。後ろからだとるかわくんも、三井くんも他の人たちも見えない。
「しくった、もっと早くくるべきだった」
「全然見えないね……」
悔しがる友達の気持ちはわかるものの、私はほっとしていた。これで三井くんを見ずに済む――
「お、ミョウジ?」
と思ったら私を呼ぶ声がした。背伸びすると三井くんと目が合う。彼は体育館の戸を閉めようとしていた。
「見に来てくれたのか? おし、じゃあこっち来い、特等席」
三井くんは嬉しそうに笑いながら手招きする。友達を振り返ると、彼女は行っておいでと笑った。女子たちも退いてくれていて、どうすることもできず三井くんの元へ歩く。女子たちの一番前に出てしまった。
「……よく私の事わかったね」
「俺は目がいいんだ」
バスケットボールを脇の下に挟む三井くんは、短髪と相まって、なんだかとてもスポーツマンに見えた。
「お、ミッチーの彼女?」
彼の後ろから赤い髪をした男子が顔を出す。私は彼の発言にぎょっとしてしまった。
「ち、違います……!」
「隣の席の子だ」
「へえ」と男子は頷くも、にやけた顔をしている。面白いものを見た、というような顔だ。いたたまれなくなっていると、大声が聞こえてきた。
「おい、練習に戻れ!」
やって来たのは赤木くんだった。こちらを見て瞬きしている。そうだ、赤木くんはそういえばバスケ部のキャプテンだった。
「……ミョウジじゃねえか、どうした?」
「なんだゴリ、知り合いか?」
「前のクラスで一緒だったんだ」
「……三井くんが見に来いって言うから来たの」
本当はるかわくんを付き合いで見に来たのだけれど、それを三井くんの前で言うのは憚られた。三井くんも赤木くんに言う。
「ああ、俺が誘ったんだ。俺のシュート練習、ミョウジに見学させてもいいだろ?」
赤木くんはため息をついた。
「バスケ部を私物化するな、どうせ自分のいいところをミョウジに見せたいだけだろ」
「……まあ、否定はしないが、でもいいだろ? せっかく来てくれたんだから」
「……一本だけだ」
赤木くんは折れてくれた。「よし!」とガッツポーズをして、三井くんはボールを二、三回ドリブルさせる。赤い髪の男子は赤木くんに連れていかれた。
三井くんは「よく見てろよ」と私に言うと、ゴールと向き合った。三井くんとゴールの距離は遠いように感じたが、彼は近づこうとせずボールを放った。そのボールは綺麗な放物線を描いて、スパッと網を揺らした。
「……どうよ?」
返ってきたボールを取りながら、三井くんは私に聞く。その顔に少しの緊張が交じっているのを見て、私は彼を安堵させるように微笑んだ。
「すごかったよ。三井くん、上手なんだね」
「ああ、実は中学もバスケやってて……って、ここで話してたらまた赤木に怒鳴られるな」
ちらと後ろで練習している皆を見て、三井くんは言う。
「……今日はもう帰んのか?」
「ううん、図書室で少し勉強してく」
「じゃあ19時にここで待ち合わせるか。送ってく」
「えっ?」
何を言っているのかわからず聞き返すも、「じゃあな」と三井くんは去っていった。
「よかったじゃん、ナマエ!」
ぽかんとしていると、いつからいたのか、隣で友達が喜んでいる。
「ナマエ、三井くんといい感じだからね。今日はぐっと距離を近づけなさい」
「そんな、命令形で言われても……」
「でも嫌じゃないんでしょ?」
何も言えず、うなずく。「だったらいいじゃない」と彼女はにっこりしている。
私はもうとっくに戻れなくなってしまっていたことに気づいた。思えばそれは三井くんと初めて話した朝から、もしくは、三井くんと隣同士になった時から始まっていたのかもしれない。ああ、もう逃げ場がなくなってしまった。三井くんがバスケットゴールと向き合ったように、私は三井くんと向き合わなければならない。
三年のこの時期に恋愛なんて、と頭が痛くなるものの、心は裏腹に浮き足立っていた。私はもう認めざるを得ない。三井くんが好きという気持ちを。

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