三井寿という男は、お調子者で、自信家で、その自信を裏付けするようにとんでもなくバスケの上手い男だった。
「……みっちゃん」
ただその上手さは決して天性のものではない。
「今日も夜遅くまで練習? すごいねえ」
長めの髪を揺らしながら、みっちゃんは私を振り返った。手には当たり前のようにバスケットボールを持っている。すっかり暗くなった公園で、街灯だけがみっちゃんとバスケットゴールを照らす。
「まあな……ナマエは今から帰るのか?」
「うん、塾の帰り」
「送ってく」
「いいよいいよ、みっちゃんはもっと練習したいでしょ?」
「いいんだ、あんまり遅くなると親も心配するから」
私は自転車だというのに、みっちゃんはそう言ってボールをカバンにしまった。それを肩にかけて「ほら行くぞ」と言う。私は断れなくなって、諦めてみっちゃんの後をついて行く。みっちゃんはゆっくり歩いてくれているから、自然とふたりで並ぶかたちになる。
「……合格したってのに、ナマエはまだ塾行かされてて大変だな。夜遅くまで勉強して飽きねえのか?」
「飽きるよ。好きなことしてたくなる」
「刺繍とかか?」
「うん!」
みっちゃんと私は幼なじみだ。たまたま近所に住んでいて、たまたま歳が同じだった。小さい時から一緒だったから、お互いのことはよくわかっている。
「明日は入学式だね!」
「そうだな」
「湘北のバスケ部はどんな感じなんだろうね」
バスケの話を振ると、嬉しそうな顔をするのも知っている。
「そりゃあ、安西先生がいるんだ、いい感じに決まってるだろ!」
「ふふ、そっか」
私は生き生きとバスケの話をするみっちゃんが好きだ。好きなことに打ち込んで、結果もしっかり出しているみっちゃんを尊敬している。私は裁縫が好きなだけで特に取り柄もないから、羨ましかったりもする。
この日は「おやすみ」と挨拶して、家の前で別れた。私はこの時、みっちゃんに輝く未来があると信じていたし、みっちゃん自身もそう思っていたと思う。

みっちゃんが左膝を負傷して入院したと知ったのは、次の日の夜だった。私が帰った時、母さんは心配そうに言った。
「部活で怪我したみたいよ、結構な怪我みたい……」
「えっ、大丈夫なの?」
「歩けなくなるような怪我じゃないみたいよ。ただ、バスケ部に入って早々入院だなんて、寿くんも可哀想だわ……」
私はみっちゃんの気持ちを想像して、いてもたってもいられなかった。あんなに湘北でバスケすることを待ち望んでいた彼が、初日に入院なんて。
「……お母さん、明日放課後にお見舞い行ってくる」
「そうね、それがいいわ。リンゴあるから持っていきなさい」
私は母さんが用意したリンゴを持って、次の日病院へ向かった。けれどそこにはみっちゃんの姿はなく、ただ空のベッドだけがあった。慌てて看護師を呼ぶと、彼女たちは怒った様子で学校へ電話してくれた。みっちゃんは学校にいた。平然とバスケ部で部活していたのだった。
連れ戻されたみっちゃんは、私がいるとは思っていなかったらしく驚いていた。
「ナマエ? なんでいるんだ?」
「……お見舞いに来たんだよ」
「そうよ、三井くん。ナマエちゃんは三井くんが戻ってくるまで待っててくれたのよ」
看護師さんが言う。みっちゃんは「そうか」とバツの悪そうな顔をした。一応反省はしているようだ。
「……みっちゃん」
「あ?」
「もうこんな真似しちゃだめだよ。みっちゃんのバスケやりたい気持ちもわかるけど、悪化したら元も子もないよ」
みっちゃんは頷いた。適当な頷き方。
「……わかったよ、もうしねえ」
私の言葉はみっちゃんには届いていないとわかっていた。もしこの時、もっと強く言っていたら――と今は思う。

結果的に、みっちゃんの膝は悪化した。あれから何度看護師が注意しても、みっちゃんは病院を抜け出しバスケをした。当然の結果だった。
みっちゃんはある日を境に、グレた。バスケ欲もなくなったようだった。毎日毎日、悪い連中とたむろし、学校をサボるようになった。母さんは、もうみっちゃんと関わらないようにと言った。
「寿くんにはお母さんたちも困ってるみたいよ……ナマエ、あなたも寿くんと関わっちゃダメよ。もう」
そんなことを言われても、私はみっちゃんとの関わりを断ちたいとは思わなかった。むしろ今こそみっちゃんと話をするべきだと思っていた。話をしてどうなる訳ではないが、とにかく彼の気持ちを知りたかった。もうバスケはやらないのか、どうしてやらなくなったのかを知りたかった。
休みの日、私はみっちゃんの家を訪ねた。外出している可能性が高かったが、みっちゃんはいた。髪は今までよりも長くなっていた。
「……何しに来た?」
みっちゃんは私を睨んだ。今まで私を睨んだことはなかったのに。私は怯んだけれど、いつものみっちゃんなのだと心を落ち着かせた。
「……みっちゃん、話がしたいの」
みっちゃんは黙った。そのあと、「上がれ」と低く言った。私は無言で靴を脱いだ。
みっちゃんは私をリビングへは通さなかった。二階に上がり、みっちゃんの部屋らしきところへ通された。私は嫌な予感がして、戸口から動けなかった。
「どうした? 話があるんだろ? 入れよ」
みっちゃんはベッドに腰かけて言った。その言い方が癇に障った。みっちゃんは話し方まで変わってしまったようだった。
私は観念して部屋に入った。みっちゃんは隣を叩いた。私は大人しくみっちゃんの隣へ腰掛けた。ぎし、とベッドが軋む。
「で? 話って何?」
みっちゃんの目はギラギラしている。こわい。みっちゃんに対して初めての感情を抱いた。私は鼓舞するように手を握って、言った。
「……みっちゃんは、膝もう治ったの?」
「さあな、たぶん治ったんじゃねえか?」
「お医者さんに見てもらわなかったの?」
「最後に見てもらったような気がするが、なんて言われたかは忘れた」
「そう……じゃあ、バスケはできるんだね……」
私の言い方が悪かったのかもしれない。みっちゃんはその言葉で怒りを顕にした。
「お前もか!?」
「な、なに……」
「オレはバスケしか取り柄がねえと思ってんだろ?」
「そんなこと、思ってないよ……」
みっちゃんは私の肩を掴んで、そのままベッドに私を倒した。
「なに、やめてよ……!」
みっちゃんが私に跨る。両手を抑えられた。マズイ。必死に逃げようとするもみっちゃんをどかすことはできない。みっちゃんの目は依然嫌な輝きを宿している。
「なあ、ナマエ……男の部屋に一人で入って、何もないと思ってたのか?」
「…………」
「オレはお前に何もしねえとでも? 舐められたもんだな」
恐怖で涙がこぼれた。体重をかけてのしかかられ、手首を跡がつくんじゃないかと思うほど強く握られている。こんな人はみっちゃんじゃない。私の好きなみっちゃんは本当にいなくなってしまった。
「……私は、何かに夢中になって楽しそうなみっちゃんを見るのが好きだった」
みっちゃんは一瞬手を弛めた。その隙に両手に力を入れ、みっちゃんを思い切り突き飛ばし、ベッドからころがり降りた。
「おい……!」
背後でみっちゃんが焦ったような声を出す。私は振り返らず、階段を駆け下り玄関を飛び出した。もう、会いたくもなかったし見たくもなかった。私の知るみっちゃんはもういない。その事実が重く胸にのしかかった。

それからはみっちゃんとは関わらない日々を送った。シュート練習するみっちゃんはいないから、わざわざ公園へ遠回りすることもなくなった。みっちゃんの両親は相変わらずみっちゃんに困らせられているようだと母さんは言っていた。私はそれに「ふうん」と相槌を打つだけで、興味もわかなかった。だからみっちゃんが喧嘩で入院したと知っても私はお見舞いに行かなかったし、みっちゃんがバスケを再開したと聞いても、みっちゃんを訪ねはしなかった。けれどみっちゃんは違ったらしかった。
休みの日に部屋でゴロゴロしていると、下から母さんの呼ぶ声が聞こえた。何だろうと思いつつ、「はあい」と言って降りる。降りた先の玄関には、短く髪を切ったみっちゃんがいた。
「……みっちゃん」
「……まだそう呼んでくれるんだな、ナマエ」
みっちゃんはほっとしたように言った。それからちょっと話さねえか?と言って、私を外へ連れ出した。
二人で並んで歩く。どこに向かっているのかはわからない。けれど、その先はなんとなくわかる。
「……ナマエ、こないだはごめんな。本当に悪いことした」
「…………」
私はまだあの時の恐怖を忘れていなかったから、許すことはできなかった。無言でいると、みっちゃんはつらつらと話し出した。
「あん時のオレはどうかしてた……許してくれなんて言わねえが、謝らせてくれ。本当にごめん」
「……うん」
私は頷くことしかできない。みっちゃんは私を辛そうに見て、それから俯いた。私はその様子に同情を覚えてしまって、こう切り出した。
「……みっちゃん、髪切ったね。中学の頃より短い」
「ああ……スポーツマンらしくなっただろ」
「うん、そっちの方が絶対いい」
普通に話してみても、みっちゃんといるだけであの時のことがフラッシュバックする。ダメだ。
私は立ち止まった。みっちゃんもまた立ち止まる。
「……みっちゃんは、どうしてあんなことをしたの?」
みっちゃんはハッとして、それから目を逸らして言った。
「……オレは、ナマエが好きだったんだ」
思いがけない言葉に私は目を見開く。
「そういうことをしてえとは、昔から思ってた。けどナマエの気持ちもわからねぇから、自制してた。あの時、タガが外れちまったんだと思う」
「……そうしたって、順序ってものがあるでしょ?」
「ああ、本当その通りだ……ごめん」
謝られても困る。私の気持ちは揺るがない。
「……私も、あの時はみっちゃんが好きだった。だからすごくショックだった。みっちゃんがあんなことするなんて、思わなかったから……」
「本当、ごめん……ごめんな……」
みっちゃんはなぜだか辛そうだ。辛かったのは私の方なのに。
「……ナマエ、また前みてえに話したりするのは無理かな? オレ、今もナマエが好きなんだ……」
私は首を振った。
「……無理だよ。みっちゃんといるとあの時のことが過ぎっちゃう。前に戻ることはできないよ……」
「そうか」とみっちゃんは俯いた。可哀想にも思ったけれど、私の意思は揺るがなかった。みっちゃんとの恋はあの時に終わったのだ。みっちゃんが改心しても、バスケにまた夢中になっても、私の気持ちは変わらない。
「……それに私、今彼氏がいるの」
「!」
みっちゃんは驚いたように私を見て、「そうか」と頷いた。
「ナマエ、かわいいからな。男が黙ってねえだろうとは思ってたが……そうか……」
みっちゃんは微笑んだ。その笑みは今まで見たことのないほど切なげな笑みだった。
「……幸せにな、ナマエ」
「……みっちゃんも、バスケ楽しんで」
「ああ」
これがみっちゃんとの最後の会話になった。
みっちゃんはこの時、たぶん私をいつもの公園へ連れ出そうとしていたのだと思う。そこで昔みたいに、他愛のないことを話して仲直り、を思い描いていたのだろう。けれど現実は違う。私はみっちゃんを許せなかったし、あんなことをされて元通りにはならない。
大学生になった今、みっちゃんのことをたまに思い出しては複雑な気持ちになる。みっちゃんがバスケから遠ざからなければ、そもそも怪我をしていなければ――あの時、みっちゃんがあんなことをしなければ。考える。そしていつも同じ結論にたどり着く。結局、私とみっちゃんの道は交わらなかった。ただ、それだけなのだと。

back

- ナノ -