ここ最近、気持ちがささくれ立っている。
「……であるからして……」
毎月の社長の挨拶は長ったらしく要点がはっきりしない。不得要領。こんなものを聞く暇が我々にあるとお思いか。……いや、残念ながら私にはあるのだが。
ナマエは組みかけた腕を解いた。いくら退屈とはいえそれを表に出すほど愚かではないし、それをするには長すぎる社会人経験が邪魔をする。長いものには巻かれろ。無意識に刷り込まれた社畜精神が、今の自分を作っていると言っても過言ではない。
「では、今月も頑張っていきましょう」
社長の金言が終わった。拍手が鳴る。ナマエもそれに倣う。やがて戸口にいた人々から続々と会議室を出ていく。ナマエも部屋を出ようとしたが、後ろから阻まれた。
「浮かない顔だな」
「鯉登GM……」
ゼネラルマネージャー、すなわち課長クラスの鯉登GMと話すことはあまりない。だからナマエは驚いて立ち止まったが、人通りを止めると気づき、すぐに会議室を出て邪魔にならないところへ移動した。
「……理由は、あれのことか?」
あれ、だけで意味が通じる。あれ、とは最近ナマエがミスをしてたち消えた案件のことだ。ミスをする前は、尾形、宇佐美に次ぐTL候補としてナマエは成果を上げていた。初めての大きな失敗と言っていい。
「あの件については、本当に申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げる。謝って済む問題ではないとわかっている。だがナマエには謝ることしか出来ない。鯉登GMは「よせ」と頭を上げさせた。
「君がその責任を今も抱いているのはわかってる……こういうときは忘れるのが一番だ。月島ァ!」
「はい」
通りがかった月島TLが足を止める。さすが鯉登GMと長く組んでいるだけあって、無言で指示を仰いでいる。
「今週金曜、19時から居酒屋を予約しろ。第七チーム全員で行くぞ!」
「……わかりました」
「ほう」
月島TLが頷いた時、鶴見部長がちょうど通りがかった。
「ミョウジくんがいくなら、私も行こうかな」
「キエエッ、鶴見部長……!!!」
鯉登GMは体を強ばらせた。この硬直が緊張と畏怖と尊敬から来るものだとナマエは知っている。なぜならナマエも同族だからだ。
「一度膝を突合せてみたかったんだ。なあ、ミョウジくん?」
ウインクされ、心臓に大ダメージを食らう。ぐはっと胸を抑えながら、ナマエはただこくこくと頷くしかできなかった。いつ見てもダンディで格好がいい。鶴見部長と個人的にお話するなど己の心臓が持たないのではないか。
「月島ッ、鶴見部長をもてなすために高級な割烹を予約しろ!!」
「……いいですが、誰が払うので?」
「俺が払う!!」
さすがはお坊ちゃま。鯉登GMは薩摩の御曹司だ。若いながらもGMに抜擢されたのは、父親が鯉登財閥の社長だからというのが大きい。この会社はそうしたコネでできている。
「頼んだよ」と言い残し、鶴見部長は去ってしまった。その後ろ姿を名残惜しく見送る。ああ、今日は鶴見部長と話したからいいことが起こりそうだ。先程のささくれ立った気持ちはいくらか安らいでいた。
「よし、ミョウジさん。鶴見部長も来て下さることだし、金曜は嫌なことを忘れるくらいはしゃごうじゃないか!」
「はい、鯉登GM!」
期待に胸をふくらませ、頷く。「あんたら似たもの同士だな」と月島TLが呟いたが、どちらもそれを無視した。

迎えた花の金曜日。鯉登GMは定時になると月島TLを連れ、「鶴見部長を迎える準備をするのだ」と颯爽と退勤し(宇佐美と二階堂兄弟もついて行った)、各々が帰り支度をする中、鶴見部長がなんとこちらにやってきた。
「ミョウジくん、一緒に行かないかい?」
「えっ、わ、私は……」
ちらと隣の尾形を見る。彼はまだモニターに目を注いでいる。
「私は、もうちょっと残ります」
「……そうか、残念」
残念そうに見えない笑みを浮かべながら、「お先に」と手を振り優雅に去っていく。鶴見部長はきっと全てを知っていると、彼の笑みからわかる。自分のこの想いも、たぶん全部知っている。侮れない方だと思う。
「……尾形さんは今日の飲み会行かれますか?」
「俺ぁ行かねえよ」
座り直して尾形へ声をかければ、そんなすげない返事が返ってきた。ナマエは「え?」と聞き返す。
「何でですか? 鶴見部長もいらっしゃるのに」
「残念ながら俺はやることがあってな。残業確定だ」
尾形のモニターに目をやる。ニャンTUBEやらニャーグルやらがタブで開かれていて、残業は嘘とひと目でわかる。
「……そんなに行きたくないんですか? 尾形さん、一回も飲みに来たことないじゃないですか」
最初は自分がいるからか、とも考えた。第七チームで紅一点、よく思われていないのかもしれないと不安になり宇佐美に聞けば、自分が会社に入る前から飲み会には参加していなかったという。
「……俺は群れるのが苦手だ」
尾形はモニターを見ながらそう呟いた。ナマエは何と声をかけていいか迷う。まさか、いつも飄々としている尾形から、そんな本音が吐露されるとは思わなかった。しばしの気まずい沈黙。やがて尾形が口を開いた。
「ミョウジ、これやる」
ウコン、と書かれたドリンクが手渡される。
「これって……」
「今日ははしゃぐんだろ? 目いっぱい飲んで、笑って、忘れてこい」
尾形はそう言って、少し笑った気がした。
「このところ難しい顔ばっかしやがって。俺はお前の間抜けな顔の方が好きだ」
「なっ、間抜けって……そんな間抜けな顔、いつもしてません!」
「俺には間抜けに見えてたけどな」
失礼なことを言うけれど、尾形が気にかけてくれた事実は嬉しい。ナマエはドリンクをそっと握り、「ありがとう」と礼を言った。きっとこのドリンクは一生飲めないだろう。初めて尾形がくれたものだから。

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