この辺りの男達にとって、海上の一流レストランバラティエに、彼女と行くことはステータスであり、そこでプロポーズすることが定番であるらしい。
 テーブル越しにバラの花束を差し出され、クロエは用意していた言葉を告げる。自分で自分が、最も嫌になる瞬間。

「ごめんなさい……一人の人に縛られたくないの」

 えっ、と彼は呆然とこちらを見る。その表情を見れず、俯いたままもう一度、ごめんなさいと謝った。

「……どういう意味だ?」

「その通りの、意味よ……あなたのことは愛してるわ……でも私は、自由でいたいの」

「……………」

 彼はテーブルに花束を置き、無言で立ち去って行く。今回は、逆上も詮索もされなかった。テーブルに肘をつき、額に手をやる。出てくるのはため息だけ。本当は断りたくなかった。でも、8股してる女を嫁にするなんて、彼にとって不幸でしかない。

「……大丈夫ですか? レディ」

 スーツを着た金髪のウエイターに、ワインを注がれる。

「おれでよければ、話を聞きますよ」

 彼のこのセリフも、何度聞いただろう。いつもなら、ありがとうで流す言葉。しかし、今日は違う言葉が口をついて出た。

「……じゃあ、聞いてくれる?」

 彼は驚いたようにその右目を見開いたと思えば、ふっと笑った。

「喜んで」

 彼の座っていたところに、男が座る。仕事はいいの?と聞くと、あなたの話を聞くことに比べりゃ仕事なんて、と平然と言われた。人のことを言えないが、随分自由な男だ。どうぞレディ、と促され、クロエはゆっくりと話し出す。

「……私、一人の人だけを愛することができないの。同時に違う人を好きになったりして、気づけば何股もかけてる。勿論みんな愛してるわ、愛してるの、すごく……だから、傷つけたくないの」

 本当は、こんなことをしたくない。呆然とする男達の表情を思い出し、クロエは唇を噛みしめる。どうしたらいいの、と顔を伏せると、答えが返ってきた。

「……リセットしてみたらどうだい?」

「リセットって……全員と別れるってこと?」

 あァ、と煙草に火をつけながら男は頷く。

「今別れれば、あなたにとっても男たちにとっても、ダメージは少ないだろ?」

 男にとって、プロポーズを断られるくらいダメージのデケェもんはねェだろうからなと笑う。

「そうね……」

 確かにそうだ。納得すると同時に、今まで自分がしてきたことにどっと罪悪感がわいてくる。彼らは一世一代の決心をして、結婚を申し込んできたはずだ。うつむくと、慌てたように男が言う。

「いや、あなたを責めてるわけじゃ……」

「わかってる……でも私のしてきたことは、人の思いを踏みにじる行為だわ」

 男の言うとおり、皆と別れた方がいいかもしれない。彼らにとっても、それが幸せだ。顔を上げ、目の前の男を見つめる。

「……全員と別れるわ」

 ありがとう、話を聞いてくれてと礼を言う。

「いや、大したこと言えなかったが……そうだ」

 デザートまだだったな、ちょっと待っててくれ、と彼は立ち上がり、厨房の方へ入っていった。
 数分後、出てきた彼は銀のトレーを持っていた。コトリと目の前にお皿が置かれる。

「クレームブリュレです。白ワインとの相性がいい」

「まあ、ありがとう……!」

 あなたが作ったの?と聞くと、これでもコックなんだと笑う。ウエイターだと思っていた。
 いただきます、とそっとスプーンを入れる。上部にあるカラメルは、少しの力でパリッと割れた。中には柔らかいカスタードが詰まっている。口に入れると、穏やかな甘さが広がった。

「美味しい……!」

「そりゃよかった」

 白ワインと合うという言葉を思い出し、ワインを一口飲む。バニラとカラメルの香りと甘さがワインによく合った。

「……こんなに合うなんて、知らなかったわ」

 美味しさに感動しながらスプーンを動かし、あっという間に白い容器は空になった。

「ご馳走さま。とても美味しかったわ」

 本当にありがとう、と微笑むと、男は元気になったようで良かった、と笑った。改めて見ると、彼は端正な顔立ちをしている。眉がぐるりと円を描いているが、左目が隠されているせいか、謎めいた雰囲気がある。咥えタバコをしているため粗野な感じを受けるが、口調は穏やかで彼の優しさがにじみ出ている。

「……あなた、名前は?」

 自然と口から出た質問に、彼は瞬きをして答えた。

「おれはサンジ。あなたの名前をお聞きしても?」

「クロエよ……あんまり軟派なタイプは好きじゃないんだけど」

 サンジは少し特別かも、と笑うと、彼は目をハートにして体をくねらせた。

「ああ、なんという幸せ!!」

 是非あなたの特別にならせてください、とサンジは跪く。その様子に、クロエは別段驚きはしなかった。彼が女好きだということは、何度もここにきているので知っている。惚れっぽいという点で、彼と自分は似ているのだろう。

「……もう少し、サンジが大人になったらね」

 微笑みながら言うと、はうっとサンジは胸を押さえた。そして、小悪魔なクロエさんも素敵だ〜とハートを飛ばしてくる。
 彼の言うとおり、一度一人になって、そして違うことに目を向けるのもいいかもしれない。たとえば料理とか、読書とか。これまでずっと、男が生活の中心になっていた。虚しさを感じるかもしれないが、それに代わる趣味を見つければ、誰も傷つかずに済む。
 ――たまには、一人でここに来るのもいいかもね。
 メロリン状態の彼を見ながら、クロエは思った。


20180413

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