「君のアンニュイな表情に、どうしようもなく惹かれて堪らない……けれど僕は君の輝く笑顔が見たい。僕の愛を捧げても、それは叶いませんか?」
一時間前に振られたのにナンパされるなんて、世界は回っているのだなあと思う。けれど私は今くさくさしているので、噛み付くように言ってしまった。
「……愛って、何?」

一時間前に振られた私は、ナンパ男とカフェにいる。ナンパ男は金髪で眉がぐるぐるしているけれど、整った顔をしている。タバコを吸う姿も様になっているし、女慣れしていそうだ。機嫌の悪い私に付き合わされて可哀想にと思うものの、私の口が緩まることはない。声をかけてきたのは向こうだし。
「私は彼のために尽くしたのに、彼は私の愛が重すぎるって……私は尽くすのが愛だと思ってたのに、なんだかその言葉で愛がわからなくなった」
男は横を向いてタバコの煙を吐き、言った。
「……別に、わからねェままでいいんじゃねェの? おれも厳密に答えろって言われても答えられねェし」
ナンパ男はスーツを着ているものの柄は悪いらしく、ちょこちょこ口調が荒くなる。
「……あなたの場合、色んな女性に愛を振りまいてそうね」
そう言うと、男は笑った。
「はは、クソ当たってる」
「それは博愛主義なの?」
「まァ、そんな感じだな……全ての女性を愛することがおれの使命というか、ポリシー」
「特別な一人は作らないの?」
「作らねェ」
男はきっぱりと言った。こんな女好きがこの世にいるなんて、世界は広い。
「……けど、クロエちゃんならその一人になってもらってもいいと思う」
「そうやって、女を落としてる訳ね?」
「はは、ひでェな」
男は否定はしなかった。きっと何人もの女性がこの男に泣かされている。
「……ある意味羨ましいわ、そこまで割り切れるなら楽になるかも」
「んー、真似するのはやめた方がいいが、おれみてェな奴もいるって考えた方が気が楽になるんじゃねェかな」
「博愛主義、ねえ……」
愛だのなんだの考えるのが馬鹿らしくなるほどこの男のポリシーは突飛だ。私は万人に等しく同じ愛を与えるなんてできないから、ある意味尊敬すら覚える。そう考えたところで、ふと一つの解決案が浮かんだ。
「……ねえ」
「ん?」
「あなたが女性に愛を与えてるところを見せて」
「えっ?」
「どんな風に愛してるのか、知りたいの。その姿を見れば、私の悲しみももやもやも消えるような気がする」
「……笑顔にもなるかい?」
「もちろん」
渋るかと思いきや、「じゃあいいよ」と男は快諾した。
「君の笑顔のためなら何でもするよ」
語尾にハートマークを付けたその言葉に、私はくらりと行きそうになったけれど、なんとか持ち直した。この男は誰にでもそう言うのだ。騙されてはいけない。

男の名はサンジと言った。
サンジは美女に目がなく、手当り次第声をかけている。私はそれを見守る女Aだ。物陰に隠れながらひっそりと見つめる。
サンジの勢いに戸惑い、スルーする女性が多いものの、今度の女性は気を良くしてサンジと話している。サンジは褒め言葉が無限に出てくるらしく、女性は照れたように笑っている。そのままカフェにでも入りそうな雰囲気だったけれど、サンジは女性と別れてこちらに戻ってきた。
「……あの子、よかったの?」
「君を放ってはいけないよ」
「別にそれでよかったのに。私はその姿を見れればいいから」
「そうは言ってもなァ……」
サンジは頭をかいた。困っているようだ。
「……でも今の様子を見て、私、ちょっと元気になったよ」
本当にサンジは愛を平等に与えているのだとわかったから、私の愛についての解釈が広がって、少し気が楽になっていた。なのにサンジは複雑な顔をして、それからこう言った。
「おれと愛を育まないかい?」
「愛を育む? 付き合うってこと?」
「あァ、今日一日おれとデートしよう」
サンジはさらりと言った。私はそんな気には到底なれなかったから断った。
「いやよ、まだ彼を忘れられないわ。あなたのことは嫌いじゃないけど、デートなんて……」
「君を振った野郎なんて、忘れちまった方がいいと思うが」
「それもそうだけど……」
私にとっては大切な彼だったのだ。振られたけれど。
断り文句を探しているうちに、彼が私の手を取って日向に連れていかれてしまった。夏のはじまりの太陽が眩しい。
「やっぱりクロエちゃんは日向が似合う」
連れ出した当の本人は何やら満足気だ。
「私はあなたとデートなんて……」
「おれをカフェまで連れてったのに?」
私はため息をついた。それとこれとは別だけれど、サンジにとってあれがデートだったらデートになってしまう。自分の軽率な行動に呆れる。
「……わかった。デートするわ」
「よっしゃ!」
サンジは目をハートにして、「そこ行って、そこ行って、最後は……」とデレデレしている。何やら鼻血も出している。よからぬことを企んでいるのは一目でわかるので、私は気をつけようと思った。

サンジのデートコースは完璧だった。この辺で評判のいいレストランに行き、可愛らしい雑貨屋に行き、私の好みに合う服屋に行った。サンジとの会話も弾み、私は自分が楽しんでいることに気づいた。あれだけデートを拒否していたのに。失恋に効くのは新たな恋だという言葉が浮かんで、私は必死にかき消した。恋の相手が悪すぎる。
夕方になり、サンジは何故か私を港へ連れ出した。
「……言ってなかったけど、おれ、コックなんだ」
「えっ」
驚いた。レストランでもそんな素振りは見せていなかったから。
「コックってことは――サンジはもしかして、バラティエの?」
まさかと思いながら問うとサンジは頷いた。
「あァ、そうだ。そこの副料理長やってる」
あのいろいろと有名なバラティエの副料理長。その若さでなるのもすごいし、その柄の悪さはバラティエから来ているのだとしたら納得だ。
「サンジって、すごいんだねえ……」
しみじみ言えば、サンジは笑った。
「はは、そんなことねェよ。で、どうだった? おれとのデートは」
「……楽しかったよ。純粋に楽しめた」
「そりゃよかった」
夕日を見ながら、サンジはタバコを取り出した。今日は天気が良かったから、夕暮れもきれいだ。紫がかった雲が茜色の空に浮かんでいる。
「……けど、まだクロエちゃんの笑顔を見てねェな」
「…………」
私は無言で空を見つめる。サンジとのデートが楽しかったのは本当だ。けれど振られた心の傷がどうにも癒えず、笑みを浮かべることはできなかった。
「クロエちゃん」
「なに?」
「今度店に来てくれないか? おれがとびきりの料理作ってあげるよ、絶対ェ笑顔になるような料理」
私は「うん」と頷くしかなかった。けれど絶対にバラティエには行かないだろうと思った。行って、そこでサンジの料理を食べたら、もう後戻りできないような気がした。
そっと手を繋がれる。サンジもきっと、私がお店に来ないとわかっている。わかっていて何も言わない。無理強いをしない。そんな彼の優しさを、体温を、今はひたすら感じていたかった。

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