姿見に映る自分を、確認する。
 いつもより丁寧に上げた睫。グロスで艶やかな唇。髪は入念に梳かされ、光の輪が見えている。黒のPコートにロングスカート。薄手のタイツが足を綺麗に見せる。
 あまり寒くなくて良かった、と心底思う。着いた島は冬島と言っても、雪は積もってなく、少し寒さを感じるくらいだ。これで雪の吹きすさぶ、氷柱も凍る冬島だったら、かわいくないダウンを着て、セットした髪を台無しにしながらデートしなきゃならない。初デートでそれは絶対に嫌だったから、次に着く島が冬島とわかったときから、クロエは神様に祈りを捧げていた。人間、都合の良いときだけ神頼みするものだ。

「ちょっと、サンジくん待ってるわよ!」

 ノックもせずにドアが開けられ、ナミが入ってくる。

「ねえ、私かわいい?」

 確認すると、「ああ、かわいいかわいい」となおざりに言われた。

「もうちょっと、スカートの色抑えた方が良いかな?」

「いいから、早く行きなさい」

 ずっと迷っていたことを口にすると、背中をぐいぐいと押され、その勢いで女部屋を出た。仕方なく、サンジの待つ甲板へ向かう。

「……ねえ、ナミ」

 隣を歩くナミに声をかける。

「何?」

「デートって、こんなに緊張するもの?」

 一般的な感情が知りたくて尋ねると、ナミは笑った。それから当たり前のように言った。

「そりゃそうよ。緊張しすぎて空回りしないようにね」



 神様は初デートに最適な環境を整えてくれていた。サンジと歩きながら、心の中で神様に感謝を述べる。道は石畳できれいに舗装され、洒落た店も多かった。人も多く、栄えている。

「なかなか洒落た島だなァ」

 サンジも同じことを思ったらしい。辺りを見回しながら言ったサンジに、「そうだね」と相づちを打つ。それから言葉を続けようとしても、なかなか話題が浮かばなかった、
 デートなど今まで数え切れないほどしているはずなのに、サンジと会う前から、自分はひどく緊張している。デートしていても、よく他の男に目移りしていたが、今はまったく目に入ってこない。なんということだ。『恋』というものが恐ろしく感じる。

「クロエちゃん、何か見たいお店とかあったら教えて。おれも行きたいとこ見つけたら言うから」

「まァ、レシピ本売ってそうな本屋とかになっちまうんだけど」と彼は笑う。その微笑みで、緊張が少しほぐれた。

「私も、洋服屋さんとかになっちゃうよ。デートの定石」

「クロエちゃん、お洒落だもんなァ。今日の格好だってクソかわいい」

 自分と同じように、数え切れないほどのデートをしてきたのだろう。彼は女性を褒めることに慣れている。
自分も褒められ慣れているはずなのに、なぜだろう。胸がどきどきと音を立てている。
 もっと良い返しがあると知っていながらも、「ありがとう」としか言えない自分を呪った。「サンジもお洒落だよ」の一言が、恥ずかしくて言えなかった。
 前から来た人とすれ違う。その人を避けようとして、サンジのほうに近づく。お互い手持ちぶさたな手が一瞬触れた。ぴくりと動いたのはどちらの手だったろう。人が去って行って、サンジはこちらを見た。彼の表情はどこか硬かった。

「……手、繋いでもいいかい?」

 遠慮がちに言われて、頬が緩む。なんだ、サンジも緊張しているんだ。
 もちろん、いいに決まっている。応える代わりに手を差し出すと、彼は嬉しそうな、あたたかい表情で自分の手を握った。随分大きくて、何でも作り出せるその魔法の手を、自分が独占していると思うと、ぎゅっと胸が締め付けられて、それから喜びがあふれ出す。
 これが、『恋』。二人ともたぶん経験したことのない感情だけれど、二人で丁寧に探りながら、少しずつ理解していきたい。そして、今感じている胸の高鳴りを忘れないように、心に刻んでいきたい。
そんな思いを込めて、ぎゅうっと彼の手を握る。彼もまた、強く自分の手を握った。交互に手を握り合って、それから笑い合う。
 ああ、幸せだなと思う。恋愛、というのは、好きな人がいるというのは、とても幸せなことなのだと、実感した。
 
 20210715

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