ウエイトレスを務めるためには三つのものが必要だ。
一、愛嬌
二、セクハラやクレームに負けない強靭な精神力
三、ごろつき共を店外に追い出すための高い身体能力
この三つを以て初めて「本物」のウエイトレスとなる。クロエが祖母から口を酸っぱくして言われ、文字通り叩き込まれた教えだ。
クロエは長年の経験から、この三つを体得したと豪語できる。今は亡き祖母も、きっと満足してくれているだろう。どこのレストランでも喉から手が出るほど欲しい人材だ。
なのに、この目の前に座る男は――
「どうして私を雇ってくれない訳!?」
「うちは女は雇わねェからだ」
鼻毛だか口ひげだかを長く三つ編みにし、高いコック帽を被ったオーナーらしき男は、先程から「女は雇わない」とそればかり言っている。女も平等に働くこの時代に、それは差別ではないか。
「なんで女を雇わないのよ!?」
「……おれは誰かが何かやらかせば、足で蹴って躾けるんだ。女を蹴ることはできん」
「な、何よ、変に紳士的なのね……」
意外な理由に少したじろいでしまった。
「……でも、安心して。私は生まれてこの方ウエイトレスとして生きてきた。今更躾られることなんてないわ!」
ウエイトレスの職に関しては絶対的な自信がある。そう断言すると、横でやり取りを見ていた金髪で眉がぐるぐるの男が口を挟んできた。
「そうだぜ、クソジジイ。クロエちゃんは五歳から今までずっとウエイトレスをやってきてる。ジジイに指摘できることはねェんじゃねェか?」
「えっ、なんであなたが持ってるの!?」
オーナーが受け取ってくれず、テーブルに置いたはずの履歴書を、なぜか彼が持っていた。男は「驚いてる君も素敵だ」と目をハートにしている。
この男もかなりくせ者だ。彼の下心オーラは――クロエは経験から男性の下心オーラが見えるようになった――今まで見た事のないくらいにどす黒く、こちらに手招くように轟いている。男は自分の雇用に最初から賛成していたが、それは自分が女だからだという、ただそれだけが理由である可能性が高い。要注意人物だ。
「てめェはすっこんでろ、ここはおれの店だ」
ピシャリと言ったオーナーに、男は舌打ちした。
「悪ィが嬢ちゃん、他を当たってくれ。うちはあんたを雇わん」
「……志望動機くらい、聞いてあげてもいいんじゃねェか?」
志望動機は履歴書に書いてある。男はそれを今オーナーに言えと示しているのだ。
オーナーは鼻を鳴らし、義足の脚を組み替えた。
「……まァ、理由くれェは聞いてやる。何でうちに入ろうと思った?」
「……噂で聞いたの。食べたい人には食べさせてくれるレストランがあるって。それが、うちの祖父と同じ考えだなって妙に親近感が湧いて……ここで働きたいと思った」
祖父は祖母と一緒に小さな村でこぢんまりとしたレストランを営んでいた。祖父はコックとして、祖母はウエイトレスとして働いていた。祖父は空腹で倒れそうな、けれど無一文の人々に、よくタダで食べさせていた。祖母はそれを止めようとせず、「いい加減にして欲しいねえ」と口では言うものの、目尻の皺をぎゅっと結んで笑っていた。
「……お前のじいちゃんもコックだったのか?」
「そうよ、もうこの世にはいないけど……祖父と祖母が営んでいたレストランで、私はずっとウエイトレスをしてた。祖母が亡くなってからもずっと。最近祖父が亡くなって、レストランは経営できなくなった。だから私はこうして就活してるの」
「……そうか」
オーナーはすっと椅子から立ち上がった。
「理由はわかったが、うちでは雇えん……他を探せ」
「おい、クソジジイ!!」
続いて金髪の男が勢いよく立ち上がる。
「クロエちゃんを試しにここで働かせてみるのはどうなんだ!? 注意する必要がなけりゃ雇えばいい!」
「……ダメだ」
「なんでだよ!!」
「おれにはおれの流儀がある。この娘にはこの娘の流儀がある。おれの流儀とこの娘の流儀が違うのは当たり前だ。他人だからな……絶対に齟齬が生まれる。だからダメだ」
オーナーはそう言うと、店内から外へ出ていった。ドアの閉める音が妙に響く。
正論だった。正論すぎてぐうの音も出ない。
「……ごめんな、あのジジイはカタブツなんだ」
近くの椅子にドサッと座って、金髪の男が申し訳なさそうに言う。
「大丈夫……」
「本当にごめん……おれはクロエちゃんと一緒に働きてェんだがな……」
そう呟く彼は、下心オーラが出ていなかった。女という境目を飛び越えて、自分と向き合ってくれているのだ。嬉しくて笑みが浮かぶ。
「ありがとう。励みになるわ」
「うっ!!」
唐突に男は胸を押さえた。
「クロエちゃんは天使かい? おれのハートを撃ち抜くキューピット?」
何を言っているのかわからないので、無視することにした。
「……じゃあ、私はこれで」
立ち上がって鞄を肩にかけ直す。自分の所持品すべてが入った大きな鞄だ。そして、未だに胸を押さえている彼に宣言した。
「私、諦めないわ。絶対にあのオーナーに雇ってもらうって決めた」
「えっ?」
「絶対にここで働く。今決めたわ」
「そりゃクソ嬉しいが、どうしてそこまで……?」
クロエはにやりと笑った。
「あのオーナーの心意気に惚れたのよ」
「なっ!?」
「おれじゃなくてあのクソジジイにィ!?」と頭を抱えている彼を置いて、店の外に出る。
オーナーは甲板に座って暮れていく海を見つめていた。紫色がかった空に、彼の渋い横顔が映える。
――さあ、どうやって彼を口説き落とそうか。

20211217

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